キングダム李牧は歴史上に実在!どんな人で最後はどうなるかを紹介

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人気漫画のキングダムには李牧という最強クラスの軍師がいます。

この李牧は歴史上に実在した人物なのですが、実際はどんな人だったのか?

興味が湧いてきますよね。

またキングダムでは歴史上に実在した人物と漫画のキャラクターに違いがあることはよく知られています。

そして歴史上の李牧の最後には悲劇が待ち構えていたのですが、その悲劇とは何だったのでしょうか?

ここでは歴史上の李牧の最後についてもご紹介していきます。

それでは最後までお楽しみください!

 

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キングダム李牧は歴史の実在の人物!実はどんな人?

李牧ってどんな人

李牧は趙の将軍として、歴史にその名が刻まれています。

最初は趙北部の国境での防衛戦でその名を挙げたと言われていますが、ここで匈奴(きょうど)という遊牧民族から国を守っていたんですね、李牧は。

つまり李牧は、最初から趙の主要な戦いで呼ばれていた訳ではなかったんです。

そこではこんなエピソードが残っています。

・毎日、数頭の牛を殺して部下に振舞い、弓や乗馬の訓練を徹底させた。

・情報活動を重視して、のろしの使い方に正確さを要求し、多くのスパイを放って情報収集に努めた。

・兵士たちの待遇に気を配った。

李牧は兵士に対してはしっかりと訓練させつつも、部下に対する気配りを欠かさない人柄だったことがうかがえます。

李牧って何か優しそう。

 

李牧の北方での戦い方は?

そして匈奴(きょうど)という遊牧民族との戦いでは、こういう方針を立てていたと言われています。

・匈奴が侵入して略奪してきたら、家畜をまとめて城内にたてこもること。

・匈奴と進んで戦おうとするものは、首切りの刑に処す。

首切りの刑というのも厳しい処分ですが、李牧からすると「これをやっては絶対にダメだ!」というポイントだったんでしょうね、きっと。

李牧、何かちょっと怖ぇ。(どっちやねん!)

しかし情報はしっかりと把握して、のろしの合図も的確に伝わる。

その上で匈奴が攻めてきたら城内に避難して、無用な手出しをしない―――

こうした戦い方を続けていましたので、趙軍には被害らしい被害はほとんど出なかったと言われています。

ただ一方では、匈奴は李牧を卑怯者と言っていましたし、趙の兵士からも李牧は臆病なのではないか?というウワサがささやかれるようになります。

そのウワサを耳にした趙の王様は、李牧に対して「対応が軟弱だ」と鋭く問い詰めてきたそうです。

しかし李牧は方針を改めようとはしませんでした。

これに怒った趙の王様は、李牧を代えてしまい別の人物を北方警備の将軍にしてしまいます。

するとどうでしょうか?

匈奴が現れるたびに城を出て戦うものの、連戦連敗で大きな被害が出てしまうようになりました。

そして住民も落ち着かなくなり、仕事が手につかなくなってしまったため、王は再び李牧を北方警備の将軍に任命しようとします。

しかし!

李牧は病気を理由に断り続けます。

それでも王が無理に将軍にしようとすると、条件を出してきました。

「前の方針を変える気はありませんねん。」

きっと確実に関西弁ではなかったはずですが、李牧は王にそう言ったと伝えられています。

そして李牧が北方警備の将軍になると、匈奴が攻めてきても被害を出すことは無かったと言われています。

 

李牧が攻めに転じた?!

こうして「守戦の名将」と言われた李牧でしたが、匈奴との戦いで攻めに転じたことがありました。

兵士たちは良い待遇をしてもらっていることに感謝しながらも、訓練に明け暮れる日々の中で戦う機会を与えられず、腕が泣くと言うようになりました。

そこで戦車や屈強な馬を選び抜いて、大規模な演習を実施。

城の外に人々や家畜を開放して、匈奴に攻められると、わざと負けたふりをして逃走。

この時には数千人もの人々を置き去りにしたと言われています。

それを聞いた匈奴の王は、大軍で趙に攻めてきました。

しかしこれは李牧の策―――

李牧は伏兵を配置しておき、敵を誘い込みつつ包囲殲滅する作戦を繰り広げていき、匈奴の騎馬兵十万あまりを討ち取ったと言われています。

匈奴に存在したいくつかの部族のうち、全滅した部族もあれば、降伏した部族もあり、匈奴は大敗北を喫することになりました。

それから十年あまり、匈奴は趙との国境に近づこうともしなかったと伝えられています。

 

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李牧の歴史上の最後はどうなる?

李牧が秦と対戦する?!

北方警備の将軍として名をあげた李牧でしたが、秦が趙に侵攻してきたことで、大将軍として秦軍を迎え撃つことになります。

時は紀元前233年。

秦が趙に攻め込んできましたが、宜安(ぎあん)という場所で秦軍を破ります。

この時、李牧はあの桓騎を敗走させたと伝えられています。

その後も「守戦の名将」李牧は、秦の侵攻を食い止めて守りを固めたと言われています。

 

李牧に訪れた悲劇とは?!

そして紀元前229年、ついに李牧に悲劇が襲うことになります。

この年、秦が趙に大軍を送り込んできました。

この時の秦の将軍は王翦(おうせん)。

そして楊端和と羌瘣を引き連れていたと言われています。

この時に趙は、李牧と司馬尚を将軍として秦に対抗していきますが、苦戦した秦は趙の内部分裂を画策していきます。

秦は趙の王様にかわいがられていた郭開(かくかい)という臣下に大金を渡して、趙の王様にこう吹き込ませます。

李牧と司馬尚は、敵と裏でつながっている疑いあり―――

この中傷を信じた趙の王は、李牧と司馬尚を別の将軍に代えようとしますが、李牧はこの命令を拒否。

すると王はひそかに手を回して李牧を逮捕して、首を斬って処刑。

司馬尚も将軍の職を解かれることになったと伝えられています。

 

 

何ともあっけない幕切れですね、歴史上の李牧は。

秦との戦いで敗れるわけではなく、秦の内部離間策によって疑われてしまう。

しかもそれは事実でも何でもなく、根も葉もないデタラメだったんですよね。

だって本当は郭開という臣下こそが、敵と裏でつながっていたわけですから。

そして郭開の話をうのみにした結果はどうだったか―――

趙は将軍を代えてしまったことで、趙は秦に滅ぼされる結果になりました。

それは李牧が亡くなって、たった3か月後のことだったと伝えられています。

 

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キングダム李牧の歴史の実在 まとめ


ここまでキングダムの李牧の歴史上の実像に迫ってきましたが、いかがでしたか?

李牧の実在の人物像からは、部下思いな面もあり、そして厳しさもあわせ持った人柄であることが伺えましたね。

ただ歴史上に実在した李牧の知略は、キングダムに描かれているほど優れていたのか?

その点については史実では詳しく記録が残されていませんが、匈奴を討つだけでなく秦の侵攻を防いだことは紛(まぎ)れもない事実。

この時代の秦の侵攻を一時的にでも食い止めたのは、李牧と楚の項燕(こうえん)という武将だけだったとも言われています。

「守戦の名将」と評されていた李牧でしたが、この時代の趙の将軍だったから守ることが多かっただけで、攻めても優れた武将だったのかもしれませんよね。

ただ李牧の歴史上の最後は悲劇的で、あっけない幕切れとなっています。

趙の王様は軍を掌握(しょうあく)して手柄を立てていた李牧を、内心では恐れていたとも伝えられています。

ただ恐れていた人を亡き者にして得たものは、国の滅亡という悲しい結末でした。

王の判断力、人物を受け入れる度量にも疑問が残りますが、李牧の優れた能力ゆえに王や秦に恐れられたこと―――

それは戦国ならではの波乱の結末と言えるのかもしれません。

こんな李牧には生まれ変わって幸せな一生を歩んでいてもらいたい。

そんな気持ちも沸き上がりますが、キングダムでは史実とは違った最後を迎えて欲しいと思います。

それではキングダムの李牧の歴史上での実像をお届けしました!

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