キングダム信の死亡は史実に記録がない?実在した李信の大失敗と最後を考察

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キングダムの主人公「信」のモデルは李信将軍と言われています。

実際に642話で信は姓を名乗るように政から言われて、幼なじみの漂(ひょう)が選んでいた「李」の姓を名乗ることになりました。

この李信という将軍は史実に実在の人物なのですが、では李信という将軍はどのような人物なのでしょうか?

まずこちらの記事では信のモデルである李信将軍の史実での記録について紹介していきます。

また史実の李信将軍はある戦いで大敗を喫したと伝えられています。

キングダムの信も同じような大敗をするのでしょうか?

また李信将軍の最後とは?

あの趙の三大天・龐煖(ほうけん)を倒した時には、信は死んだかと思われましたが、この時は羌瘣(きょうかい)が蚩尤(しゆう)に伝わる秘術を使って信の命を復活させることに成功しました。

キングダムでは描かれないかもしれない信の死亡ですが、李信将軍の最後について史実での記録を振り返りながら信の最後について考察していきます。

最後までお楽しみください!

 

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キングダム信は史実に実在の李信がモデル!

キングダム信は本当にいた!

さて人気マンガのキングダムですが、第1巻に描かれている李信将軍がのちの信の姿と言われていることはあまりにも有名です。

このことを私はアメトーーク!で知りましたが、実際に642話では信は李信を名乗ることになりました。

信のモデルは李信将軍であることがここで確定したわけですが、それでは李信将軍の史実での記録について見ていくことにしましょう。

 

李信が政の信頼を獲得したのは?!

ではこの李信という人物は、歴史上でどのような活躍を見せるのでしょうか?

まず李信が始皇帝から信頼されるようになったのは、紀元前226年のこと。

燕(えん)の太子(たいし:王の世継ぎ)・丹(たん)を討ち取った時のことだと伝えられています。

この燕の太子・丹は荊軻(けいか)という人物を使って、秦王政を暗殺しようと企(たくら)んだ人物でした。

 

ちなみにこの紀元前226年というのは始皇21年のことになりますが、秦の鄴攻めが始皇11年のことでした。

それまで李信は史実の記録に出てきたわけではなく、これまでの信の言動や活躍は全て原先生の創作だったことになります。

またこの暗殺事件を見ていると、荊軻という人物に肩入れしたくなるのですが、キングダムでは秦王・政は光ある王として描かれています。

ですのでこの荊軻という人物も、太子・丹もキングダムの中では悪者として描かれるかもしれません。

極悪人というキャラになるかもですね。

そんな始皇帝から信頼を得た李信でしたが、この後の戦いで大敗を喫することになります。

 

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キングダム李信の歴史上の大敗とは?

李信が大失敗した楚との戦いとは?!


では李信が大敗した戦いとは一体何なのでしょうか?

時は紀元前225年

李信が太子・丹を討ち取った翌年のことですが、秦の諸国の攻略が進んでいき、ここから楚を破ればいよいよ天下をほぼ掌握できるという段階で、始皇帝は李信を呼んで楚の攻略について尋ねます。

始皇帝「楚の平定にはどれだけの兵力が必要か?」

李信「20万もあれば充分かと」

始皇帝が同じ質問を王翦(おうせん)にも問いかけると、王翦は60万は必要だと語ります。

始皇帝としては60万もの軍勢を求める王翦は年老いて気力が衰えたように見えました。

若くて気概のある李信の方が頼りになる。

そう考えた始皇帝は李信と蒙恬に20万の軍勢を与えて、楚の攻略に当たらせます。

楚の攻略に向かった李信と蒙恬は二手に分かれて快進撃を繰り広げます。

そして楚の城父(じょうほ)という地点で李信と蒙恬は合流しますが、項燕(こうえん)という楚軍の将軍が三日三晩の追跡後に秦軍を奇襲。

不意をつかれた李信たち秦軍は二か所で防衛戦を破られてしまい、指揮官クラスの武将を7名も失うという惨敗をしてしまいます。

この後に李信は戦いに身を投じていますので、この戦いでは李信は逃げ延びることができたようですが、この楚の攻略は王翦将軍に任されることになっていきます。

しかしこの場面、キングダムではどのように描かれるのでしょうか?

連戦連勝で勢いに乗る信たちが油断してしまい、項燕将軍に急襲されてしまうのか?

しかし蒙恬や飛信隊には羌瘣や河了貂もいる中で、それほどの油断を信がしてしまうのかは疑問も残ります。

それよりも項燕将軍が優れた武将とは認知されていなかったことが、キングダムのこの戦いで影響してくるのかもしれませんし、項燕将軍は龐煖以上の武の持ち主として描かれるのかもしれません。

そして一騎打ちで信が項燕に敗れてしまうのか?

まだこの場面がどのような形でキングダムでは描かれるのか分かりませんが、この点は注目ポイントですね。

 

大敗をした李信は大将軍になっていた?!

また先ほどご紹介したような大敗をした李信でしたが、その後も将として他の国を侵攻していることが記録されています。

まず紀元前222年

この年に李信は王賁(おうほん)と共に燕(えん)を攻めて、燕王を捕虜にすることに成功。

ここに秦は燕を滅ぼすことになります。

また紀元前221年

この年には李信は王賁と蒙恬(もうてん)と共に斉を攻めて滅ぼすことに成功。

ここに六国すべてが滅亡。

秦が中華統一を成し遂げることになります。

そして李信は大将軍の地位を授かっていたと伝えられています。

ヘマをしてもまだ将としての活躍が記録されていることから、キングダムと同じように政は李信に対して信頼を寄せていた可能性があったのかもしれません。

 

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李信の最後は?その死亡を考察

李信将軍の最後の死に方は?

また信のモデルである李信の最後はどうなっているでしょうか?

この李信の最後については史実では詳しい記録が残されていません。

また李信は斉を滅ぼす際に活躍していて、その斉を滅ぼしたことで秦の中華統一が完成しました。

そこから争いが無くなったとすれば、李信は戦いで亡くなることは無かったのかもしれません。

そうすると史実では李信は寿命や病気によってその最後を迎えたと考えるのが自然なのかもしれません。

しかし二世皇帝になってからの混乱を、李信はどのように見つめていたのか?

この点は気になるところで、ただ始皇帝が生きている間に李信はこの世を去ったのかもしれません。

その場合には大きな戦乱が起こったわけではありませんので、李信は病気や寿命によって最後を迎えた可能性が高いと思われます。

ただ始皇帝の死後まで李信が生き続けていれば、この世代交代による混乱を見て李信は秦に愛想をつかしていった可能性もあるように思います。

そのためにのちの世で秦を倒すべく反乱が起こった際には、子供たちには秦に仕えないようにと李信は諭(さと)したのではないか?と思います。

 

始皇帝亡き後の秦は?

ここで始皇帝亡き後、二世皇帝になってからの秦の史実を簡単に振り返っていきます。

まず始皇帝には長男の扶蘇(ふそ)がいて、この扶蘇は人格者として知られ見識もすぐれており、臣下の人望も厚かったと言われています。

ただ刑罰を恐れて誰も始皇帝の過ちを指摘する人がいない中、扶蘇だけは始皇帝に忠告をして、しかし始皇帝の怒りを買ってしまい、蒙恬の監視役として北方に遠ざけられることになります。

また始皇帝には20人ほどの子供がいたと伝えられていますが、始皇帝は末っ子の胡亥(こがい)を可愛がっていたとも伝えられています。

そして始皇帝の時代に高い地位についていた臣下に、李斯(りし)や趙高(ちょうこう)という宦官(かんがん)がいました。

李斯は呂氏四柱としてキングダムに登場していましたし、趙高は毐国(あいこく)の反乱の時にキングダムに登場していましたね。

この趙高が始皇帝亡き後の時代を翻弄(ほんろう)していきますが、趙高は末子の胡亥とつながりが深く、この胡亥を次の皇帝にすべく画策していきます。

ただ始皇帝は死の間際に扶蘇のことを思い出して自分の葬儀を行うように遺書をしたため、この内容は始皇帝が扶蘇を後継者を指名したという意味があるとも言われています。

しかしこの始皇帝の遺書は趙高の手の内にあり扶蘇に送られることはありませんでした。

そして趙高は胡亥をたきつけて次の皇帝を目指すことを承諾させ、扶蘇と蒙恬を自殺に追い込んでいきます

その上、李斯も二世皇帝胡亥と趙高の手によって処刑されることになり、李斯は一族が皆殺しになったと言われています。

 

李信は高い地位についていなかった?

そんな権力争いが起こる中で、李信の子孫が漢で活躍したことが史実にも記録されています。それはつまり李信は始皇帝から信頼されていたとはいえ中華統一後に高い地位についていなかったことが挙げられるのかもしれません。

自分の脅威となるものを排除する―――

そのことを主眼に粛清(しゅくせい:反対派の取り締まり)が行われたと思いますが、この時に脅威と思われない立ち位置に李信がいたことで、一族皆殺しという悲劇にあうことがなかったように思います。

史実に記録がないために本当のところは分かりませんが、個人的にはそんなことを思います。

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李信は身を隠していた?!

または李信は秦の中華統一の後で、地位を手放して身を隠していた可能性もあるのかもしれません。

歴史上にも王や皇帝が独裁色を強めていき、これまで活躍した武将さえも疑って亡き者にすることがあります。

趙を支えたあの李牧でさえも、趙王から捕まえられて処罰されてしまいます。

 

そうしたリスクを回避すべく、秦の中華統一後に李信は論功行賞でもらえるものはもらってから、身を隠した可能性もあったのかもしれません。

キングダムの信のキャラクターではそこまで頭は回らなかったのかもしれませんが、漫画の中では羌瘣(きょうかい)や河了貂(かりょうてん)など知略に富んだ人材もいます。

史実でも李信はそうした知略ある人物と交流を深めていたかもしれず、そうした人物からアドバイスを受けていたのかもしれません。

 

李信は反乱軍に加担して戦死?!

または李信は秦を倒すべく立ち上がった反乱軍に加担した可能性もあったのかもしれません。

史実によれば二世皇帝・胡亥(こがい)は、王族や臣下の罪をでっちあげて処刑するなど恐怖政治を行ったと言われています。

またいわれもない罪で蒙恬の弟の蒙毅(もうき)を殺害し、弟が罪を犯したことを理由に蒙恬にも自害を迫ったことで、キングダムの信のキャラクターであれば李信将軍はそのことに怒りを感じていた可能性もあるのかもしれません。

その時の李信の年齢によるかもしれませんが、秦のやり方に怒りを感じた李信が打倒・秦の戦いに身を投じていく。

そうすれば李信は打倒・秦の戦いで戦死した、という可能性もあるのかもしれません。

ただその場合には、反乱軍の中に李信の名が記録に残されていても不思議はないですが、そうした記録が残っているわけではありません。

とはいえ古代中国のことだけに、記録が全て残っていると考えるのも極端なのかもしれませんし、もしかしたら無くなった記録の中には秦・反乱軍の中に李信の名前が刻まれていた―――

その可能性はまだ残されているのかもしれませんね。

 

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李信の史実での両親や兄弟・嫁は?

父親は李瑤!

またキングダムでは信は戦争孤児であり、親兄弟を戦争で亡くしたという設定です。

ただ史実では李信には親がいたことが分かっています。

父親は李瑤(「りよう」と読むのでしょうか?)という人物であり、秦の南郡という土地の郡守(=長官)という地位についていました。

李信はまずます良い家柄だったということになると思いますが、その後に戦争で家族を失った可能性は否定できないのかもしれません。

 

母親・兄弟・嫁の史実の記録は無い!

また李信の兄弟については史実での記録は残っていませんし、李信の母親や嫁についても史実での記録はありません。

「史記」以外の資料が無くなっていて、李信に関する詳しい情報は不明です。

李信の父親や子孫に関する情報は「新唐書」という書物に記録が残されていますが、ただこの書物は粉飾もあると言われています。

 

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李信の子孫は漢で活躍?!

李信の子孫は秦を滅ぼした漢で活躍?!

また李信の子孫の活躍も史実には伝えられていて、李信の子供に「李超」という人物がいたことになっていて、この李超という李信の息子は、漢の大将軍になったと伝えられています。

この漢という国はご存知のように、秦を滅ぼした後に中華を支配した国として知られています。

またこの李超の子供を含めて、李信の子孫は漢で活躍していたことが記録に残されています。

しかし秦で活躍した李信の子孫が、漢の大将軍として活躍していた―――

この事実は何を意味しているのでしょうか?

 

李信やその子孫は秦を見限っていた?!

李信の子孫が活躍していたこと。

これは喜ばしいことですが、しかし始皇帝亡き後の秦は有能な人材を粛清していくなど、混乱を極めた時代と言えます。

それゆえ秦は短命政権に終わることになりましたが、先ほどご紹介したように始皇帝亡きあとの世の中が見るにたえない汚濁(おだく)であることに、李信は嫌気がさしたかもしれません。

人々の暮らしよりも自分たちの権力争いを優先させる。

それは間違った王室のあり方だと李信は考えて、子供たちには秦に仕えないように言っていたかもしれませんし、秦に対して反乱が起こってくると李信の子孫は秦を見限っていったのかもしれませんね。

 

まとめ

ここまでキングダムの主人公・信のモデルと言われる李信の史実での実像と、その最後についての考察をお届けしてきました。

李信という将軍は史実にその名を刻まれている実在した武将で、秦王・政の暗殺未遂事件を主導した燕の太子・丹を討ち取ったことから秦王の信頼を得たことが記されています。

ただその後に楚の攻略戦で大きな失敗をしてしまいますが、それでも六国最後の斉の討伐にこの李信将軍は名を連ねていますが、それだけ秦王・政の信頼が厚かったと言えるかもしれません。

そして子孫は秦を倒した漢での活躍が歴史に記されていますが、李信が高い地位にはなく趙高から脅威と思われていなかったことで、一族が皆殺しになるなどの悲劇を逃れた可能性はあるのかもしれません。

また李信の最後については詳細な記録が残っていないので分かりませんが、子孫が漢で活躍していることから秦が中華を統一した後に死亡したことは確かだと思います。

そして普通に考えれば病死や寿命で死亡した可能性もありますし、始皇帝亡き後の汚濁(おだく)が見るにたえないと思って、秦に反旗を翻(ひるがえ)す軍隊に身を投じていき、そこで戦死した可能性もあったのかもしれません。

実在した李信については史実の記録は多くないので様々な可能性を推察してみましたが、ハッキリ分かっていないことだけに自由な発想で想像尾を巡らせることができるのは歴史の一つの楽しみ方のように思います。

またキングダムの信の恋愛や結婚も気になるところですが、この点はどうなるでしょうか?

 

これからのキングダムの展開も気になるところですが、それではここでキングダム信のモデルと言われる実在した李信の実像とその最後についての考察を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

(出典 引用:徳間書店 史記Ⅲ 独裁の虚実)

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