キングダム荊軻(けいか)の政(始皇帝)暗殺事件を史実から考察

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人気漫画のキングダムですが、始皇帝こと嬴政(えいせい)にはいくつかの危機が存在してきました。

史実からひも解くと、今後のキングダムでも始皇帝の暗殺計画が明らかになっていくと思われます。

その暗殺計画の刺客(しかく)の名は、荊軻(けいか)―――

映画にもなっているようにこの話は有名ですし、史記にもこの話は載せられています。

今後は最終回までのどこかで、この話はキングダムの一場面として描かれることが予想されます。

そこでここでは荊軻(けいか)による始皇帝こと政の暗殺未遂事件についてご紹介していきます。

最後までお楽しみください♪

 

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キングダム荊軻(けいか)の史実での人物像とは?

荊軻って史実ではどんな人?

史記という中国の古い歴史書に荊軻(けいか)による始皇帝暗殺事件が記録に残されています。

この史記よれば、荊軻という人物は争いを好まない人物として描かれています。

ある人物と議論をしていてその相手が荊軻をにらみつけると、荊軻はそのまま立ち去ったと伝えられていますし、別の場所である人物と口論となって相手が大声を張り上げると、荊軻はまたも黙ってその場を立ち去ったと言われています。

そんな荊軻は酒好きではあるが本来は思慮深い人物

そして読書好きな人とも伝えられています。

また荊軻は訪れた諸国でも優れた人物と友好を重ね、燕(えん)という国では筑(ちく)という楽器の名手・高漸離(こうぜんり)とも親交を深め、田光(でんこう)先生という人物にはその非凡さを認められ友好を深めたと言われています。

ではそんな人物が、なぜ始皇帝の暗殺という大事件を起こすことになるのでしょうか?

そこにはこんないきさつがありました。

 

燕の太子丹の願いとは?

荊軻が訪れていた燕(えん)という国。

この国の王の世継ぎである太子・丹(たん)という人物が、荊軻に始皇帝暗殺を依頼することになります。

この太子・丹は若いころには趙の国で人質として暮らしていました

同じように秦の始皇帝(政)も子供の頃には趙で人質生活を送っていましたね。

ですので政と燕の太子・丹は幼なじみの関係でした。

その後に太子・丹は政が秦王になってからは秦の人質となっていましたが、史実では秦王・政が太子・丹を冷たく扱っていたと記録されています。

そのことを恨みに思った太子・丹が燕に逃げ帰って、その恨みを晴らすことを考えたことで荊軻の人生の歯車が動き始めることになります。

 

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荊軻(けいか)による秦王暗殺事件とは?

太子・丹を諫(いさ)める鞠武(きくぶ)

ちなみにこの荊軻による始皇帝暗殺事件が起こったのは、紀元前227年のこと。

秦の暦(こよみ)でいえば、始皇20年のことになります。

また趙が滅びたのは紀元前228年。始皇19年のこと。

この事件が起きた頃には趙が滅んでいて、秦の領土は東方の燕に接していたことになります。

そんな勢いのある秦は人口も多く兵も強い。武器も余裕充分であり、秦がその気になれば燕の運命は風前の灯火(ともしび)。

それでも秦王に対する恨みを晴らそうと思えば、秦王の怒りを買うことになる。

それでも良いのか?と鞠武は太子・丹に諫(いさ)めます。

(※諫める=誤りを注意すること。)

それでも秦王に対する恨みを晴らしたい一心の太子・丹は、秦から逃げてきた将軍をかくまうことになっていきます。

 

秦の将軍・樊於期(はんおき)をかくまう太子・丹

秦の将軍・樊於期(はんおき)。

この樊於期という将軍はキングダムで毐国(あいこく)の反乱で、反乱軍を指揮した将として描かれています。

また史実ではこの樊於期という将軍の記録はあまり残されておらず、秦の桓騎が燕に亡命した時に樊於期という名前に改名したという説もあります。

詳しいことは定かではありませんが、この樊於期という将軍が燕に亡命した時に、太子・丹はこの将軍を受け入れることを選択します。

この太子・丹の選択にも鞠武は真っ向から反論することになります。

史実では樊於期は秦王に罪をきせられて燕に亡命することとなっていますが、この樊於期をかくまった方が秦王の怒りを買ってしまい、燕を攻撃する口実を与えることになる。

だから樊於期を北方の匈奴(きょうど:異民族のこと)に送ってしまい、秦に燕を攻撃する口実を与えないようにすることが大事だと鞠武は言います。

その上で他の国と盟約を結んで連合して対応することを進言しますが、しかし太子・丹は鞠武の言葉にうなづくことはありませんでした。

鞠武は危険を招くことをして安全を求め、禍(わざわ)いの種を求めて幸福を願うという太子・丹のやり方を批判しつつ、自分には策がないため田光(でんこう)先生がいるので相談したらどうか?と太子・丹に告げることになります。

 

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荊軻(けいか)が太子・丹に出会った経緯とは?

田光先生が太子・丹に荊軻を紹介

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(出典:photoAC)

そして鞠武が田光先生の元を訪ねて、太子が相談したいことがあることを伝えます。

それを受けて田光は燕の宮廷を訪れて太子・丹と面会することになります。

ここで太子・丹は燕と秦は両立しないことを伝えて、先生の考えを聞かせて欲しいと言いますが、田光は年老いた状態。

そこで田光は荊軻を推薦することになります。

ただ太子・丹はこのことは他言しないようにと田光に伝えましたが、田光は太子・丹に疑われたことを恥じ、自らの首をはねて自害することで秘密を守るという壮絶な最期を迎えることになります。

 

太子・丹の願いを引き受ける荊軻

そして太子・丹は荊軻に会うことになり、田光先生の最期のことも耳にすることになります。

太子・丹はこのことに涙を流しつつ、荊軻に秦王暗殺計画を打ち明けることになります。

全てを聞き終えた荊軻は自分には務まらないとして最初は断りましたが、是非にと頼む太子・丹の願いを荊軻は最後には引き受けることになります。

太子・丹は荊軻に高い地位を与えて豪邸や豪勢な食事を与えて手厚くもてなしたと言われています。

 

秦王に会うために樊於期の首を持ち帰る

荊軻を手厚くもてなす太子・丹でしたが、なかなか腰を上げない荊軻に太子・丹は気が気ではありませんでした。

そして太子・丹は荊軻に話に行きますが、荊軻は樊於期(はんおき)将軍の首に秦王が懸賞金をかけていることに目をつけて、樊於期将軍の首と作物がよくできる督亢(とくこう)という場所の地図をそえて献上すれば、秦王が喜んで会ってくれるはず。

そう荊軻は進言するのですが、太子・丹は樊於期将軍が自分を頼りにして亡命してきたため、樊於期将軍の首を差し出すことに難色を示すことになります。

そこで荊軻はひそかに樊於期に会うことにして、樊於期の仇を討つ策を申し出ました。

将軍の首を差し出しせば秦王は喜んで会うはず。

そして秦王を暗殺してしまう―――

その計画を打ち明けると樊於期は自ら首をはねて自害することになります。

そして秦王を殺害すべく、毒を塗った匕首(あいくち:短刀)を準備。

また太子・丹は荊軻に秦舞陽(しんぶよう)という男を副使として一緒に秦王の元に送ることとして、荊軻は秦王の元に向かうことになっていきます。

 

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荊軻(けいか)の秦王暗殺は失敗に終わる?

荊軻の秦王暗殺は失敗に終わる?!

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(出典:photoAC)

秦の都についた荊軻。

ここから荊軻は秦王が可愛がっていた臣下の蒙嘉(もうか)という人物に多額の贈り物を渡して秦王へのとりなしを頼みました。

そこで蒙嘉は燕の使者が訪れたこと。

その燕の使者は樊於期の首と燕の督亢(とくこう)の地図をそえて持参してきていることを伝えると、秦王は喜んで荊軻たちに会うことになります。

副使となって付き従っていた秦舞陽は青ざめてしまいますが、荊軻は後ろの秦舞陽を振り返って笑い、その場をうまく取り繕(つくろ)いました。

そして話が順調に進んで秦王が地図を見せるように伝えると、荊軻は地図を取り出して献上します。

すると地図の中から現れたのは匕首(あいくち)

瞬間、荊軻は左手で秦王の袖(そで)をつかみ、右手に匕首を握って秦王を突こうとしますが、荊軻の突きが届くより早く秦王はとっさに身を引いて立ち上がると、ひとまずは難を逃れることに成功します。

そして秦王は剣を抜こうとしますが、その剣は戦いで使うものではなく飾り物だったのか、剣が長すぎて秦王は剣を抜くことができないままでした。

秦王に襲い掛かる荊軻。

逃げ惑う秦王政。

並みいる臣下は秦王を助けないのか?となりますが、秦の法律では宮殿の中に控える臣下たちは武器を持つことを禁じられていました

また武器を持っている部下は宮殿の階段の下にいるか、秦王の命令がなければ宮殿の中に入ることができないことになっていて、とっさのことで兵士を呼ぶこともできない状態。

荊軻にとっては好都合な状況で、荊軻は秦王を追い回します。

秦王の臣下も薬袋を荊軻に投げつけるなど抵抗を試んでいき、そしてお側の者が叫びます。

「王、剣を背に!」

剣を背に持った秦王はついに剣を引き抜くことに成功。

秦王は荊軻の左股を斬りつけることになります。

荊軻は倒れてしまいますが、最後のあがきとして匕首を秦王に投げつけます。

しかし無情にも荊軻の投げた匕首は柱に当たってしまいます。

なおも荊軻に剣をふるう秦王。

八か所に傷を受けた荊軻は、もはやこれまでと最後に秦王に罵声(ばせい)を浴びせます。

そしてお側の者が荊軻にとどめを刺して、荊軻は壮絶な最期を迎えることになります。

 

鞠武の進言どおりに物事が進む展開に

荊軻の秦王暗殺事件は失敗に終わりましたが、この事件で秦王は燕に対する怒りを爆発

趙で作戦中だった王翦(おうせん)に対し、燕への侵攻を命じることになります。

ここで信こと李信が登場し、太子・丹を捕らえて殺害することに成功します

また秦王暗殺計画が失敗してからの展開は、鞠武が指摘した通りになっています。

とはいえ何もしなくても秦が燕を滅ぼしていた展開にはなっていたはずで、それが早いか遅いかの違いだけだったのかもしれません。

しかし太子・丹は自らの恨みを晴らすために、自らの国を顧(かえり)みずにしかも他人の命まで犠牲にしたことは、その国を背負う王族にはふさわしくない人物だったと言えると思います。

やるのであれば自分一人でやれば、犠牲も己一人で済んだのではなかったか。

そんなことをふと思います。

 

荊軻の友・高漸離の行動

またこの話にはまだ続きがあります。

荊軻は秦王暗殺事件を失敗で終わらせましたが、この荊軻の仇を討つ機会を狙っていたのが、荊軻の友・高漸離(こうぜんり)でした。

燕が滅亡してからは別の場所に名前を変えて隠れていましたが、筑(ちく)という楽器の名人であることが始皇帝の耳に届きます。

しかし高漸離の顔を知っている臣下がいました。

荊軻とのつながりもこの臣下は知っていたのかもしれません。

ただ高漸離の打つ筑の音に魅了された始皇帝は、高漸離の目をつぶしただけで側におくことにしました。

そして始皇帝の側にいることになった高漸離は、筑に鉛を仕込んで始皇帝に打ってかかることになります。

しかし目が見えない高漸離。

その狙いは外れてしまい、荊軻と同様に失敗してしまいます

事ここに至っては始皇帝も許すわけにはいかず、高漸離の罪をとがめて殺害することになります。

始皇帝にはツキの良さも備わっていた、というべきなのかもしれません。

 

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まとめ

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(出典:photoAC)

ここまで荊軻(けいか)の秦王暗殺未遂事件をご紹介してきました!

キングダムではこれまでも政の危機が描かれてきましたが、荊軻(けいか)による秦王暗殺未遂事件も大きくクローズアップされることでしょう。

この物語を史記で読んでいると、荊軻の側に肩入れをしたくなりますが、改めて振り返っていくと燕(えん)の太子・丹の人柄や判断力は国を背負う王族らしからぬものを感じます。

またこの事件のために荊軻は歴史に名を刻むことにはなりましたが、このような人物のために命を落とさざるを得なかったことは、荊軻の人生にとって果たして望ましいことだったのか?

この点は疑問に感じざるを得ません。

またキングダムも基本的には史実通りに物語が進んでいるとはいえ、キャラクター設定など細かな点は史実と異なることが多いことも事実です。

(例えば龐煖(ほうけん)は、史実では書物を書き残した人物として知られていますが、キングダムでは突出した武を持った人物として描かれています。)

ですのでキングダムでは政を光ある皇帝として描いていますので、荊軻や燕の太子・丹はキングダムでは悪者として描かれるのかもしれませんね。

そんな悪者である太子・丹を、信こと李信が討ち取ることに成功する。

キングダムではそんな展開としてこの荊軻による秦王暗殺未遂事件は描かれるのかもしれません。

それでは以上で、荊軻による秦王暗殺未遂事件の紹介を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

(参考・引用:徳間書店 史記Ⅱ 乱世の群像)

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