古代中華を舞台にした人気マンガのキングダム。
このキングダムはのちに秦の始皇帝となる秦王・政と、ひょんなことから政に出会った下僕の信が主人公の物語として知られています。
このキングダムには様々なキャラクターが登場していますが、死してなお人気が根強いのが王騎将軍ですね。
王騎将軍は主人公の信を時に可愛がり、時に突き放し、信に様々な影響を色濃く残していった武将です。
またこの王騎将軍は史実でモデルがいたと言われていますが、そのモデルの人物は史実ではどのような人物で、どのような武功を上げたのでしょうか?
今回は王騎将軍の史実での記録を見ていきたいと思います。
最後までお楽しみください。
Contents
キングダムの王騎将軍とはどんな人?
王騎将軍の初登場とお風呂の場面は何巻?
それではまずキングダムの王騎将軍の紹介を簡単に。
王騎将軍がキングダムに登場したのは、単行本1巻の第7話「南方から来た刺客」でした。
上の写真がその初登場のシーンですが、口調がどうもおネェっぽく描かれていますね。
その後、おネェ口調はやや控えめになっていった印象がありますが、信が修行をつけてもらいに行った時にはお風呂場で話をして、王騎は信が「私に抱かれに来たのかと思いましたよォ」と語る場面がありました。
(単行本10巻 第105話「裸の付き合い」)
男色を匂わせるこの発言。
しかしこの時代にかぎらず日本の戦国武将でも、男色の話は多く残されています。
特に気にするほどのことではありませんが、おネェ口調で登場したこの将軍がのちに主人公の信に大きな影響を及ぼしていくことになっていきます。
王騎将軍、秦の六大将軍の一人として活躍!
また王騎将軍は、秦の六大将軍の一人として名前が挙げられています。
六大将軍というのはキングダムの中での創作ではありますが、昭王(しょうおう:政のひいおじいちゃん)の時代に作られていた称号でした。
昭王との鉄の忠誠心によって結ばれた六人の大将軍には戦争の自由が与えられていて、各国の脅威の的となって恐れられていた強い将軍たちのことを指します。
大将軍となるまでに多くの敵を葬り去ってきたものの、多くの味方の死にも立ち会ってきた王騎将軍。
亡くなった者たちの思いを背負うことで、王騎将軍もより強い存在となっていったのでした。
王騎将軍は本能型?知略型?
またキングダムでは武将のタイプとして、本能型と知略型という2つのタイプが登場してきます。
そして王騎の口からは、”知略”対”本能”が武将の中の永遠の題目であることが語られます。
(単行本7巻 第66話「武将の型」)
それでは王騎将軍は本能型なのでしょうか?知略型なのでしょうか?
これは麃公(ひょうこう)将軍のこの言葉がヒントになるはずです。
「童 信よ 己で気づいておるまいが 貴様 本能型の武将の才が目覚めてきておるぞ
・・・しかし王騎の矛を受け取った男が本能型とは笑えるわィ」
(単行本26巻 第275話「本能型の才」)
麃公将軍のこの発言からは、王騎将軍が知略型であることが伺えます。
実際にキングダムでの王騎将軍は、本能的に直感で動くというよりも、相手の情報を分析した上で綿密な計算の上で自軍を動かし敵軍を操る将軍でした。
ゆえに王騎の裏を突くことは難しいと、公式ガイドブック(英傑列伝)に記されることになります。
王騎将軍の武力はキングダム最強か
またキングダムの王騎将軍の武力などの能力値は、公式ガイドブックでは以下のようになっています。
- 武力・・・98
- 指揮力・・93
- 知力・・・95
- 経験値・・S
- カリスマ・・100
ちなみに王騎を倒した龐煖(ほうけん)は武力100。
原先生もケンコバさんとの対談の中で「基準はやっぱり龐煖をトップに据(す)えて」と言っていたように、龐煖の武力は突出したものと設定されています。
しかしキングダムの物語の中で、王騎は三度もこの龐煖を斬り伏せることに成功しかけています。
一度目は王騎と龐煖の初対面で、摎(きょう)を殺された時。
(単行本11巻 第116話「武の結晶」)
二度目は王騎が亡くなってしまう馬陽の戦いで、李牧が軍を率いて現れる直前。
(単行本16巻 第166話「相容れず」)
そして三度目は王騎を魏加(ぎか)の矢が貫く直前。
(単行本16巻 第169話「死線」)
どの場面も内容的には王騎が龐煖を上回っていたと言って良いものでした。
しかも信が龐煖を倒した時は、信は命の火が消えるほど消耗していましたが、王騎はそこまで消耗することなく龐煖を切り伏せかけるところまで追い詰めています。
そう考えると龐煖よりも信が強く、信よりも王騎の方が強いと個人的には思います。
しかも原先生がトップに据えていた龐煖を上回っていますので、王騎はキングダムの物語の中で武力は最強を誇っていたと言って良いのではないでしょうか?
王騎将軍の身長は?
ちなみに王騎将軍の身長はどのくらいでしょうか?
王騎将軍は大きくなる時があるので、いやオーラで大きく見せることがありますが、蒙武との背比べでは蒙武が頭一つほど抜けています。
蒙武の背が高いのだと思いますが、それでも王騎将軍は180㎝はあって欲しいところですね。
王騎将軍の馬の名前は?
また王騎将軍の馬の名前は「凰(おう)」と言います。
これは王騎将軍が死ぬ直前に描かれていましたね。(単行本16巻)
この馬の背に王騎将軍と共に信も乗っていましたが、その信に「将軍の見る景色」を見せた王騎将軍。
信に対して王騎将軍は見込みはあると思っていましたので、王騎将軍は信に対して時に厳しく、時にこの時のように可愛がっていたのだと思います。
物語の中では王騎将軍には子供がいませんでしたので、信のことを我が子のように思っていたのかもしれませんね。
キングダム王騎の史記での記録と最期は?
王騎のモデルは王齮(おうき)?
キングダム最近見初めてこのシーンが一番好き
アニメの王騎の最後のシーンは普通に泣いた pic.twitter.com/cxDfSRYMdu— デルタ@乃木男 (@CpjNINkGf42tSfZ) June 30, 2020
ではキングダム王騎将軍の史実でのモデルについて見ていきたいと思いますが、これは王齮(おうき)将軍のことだと言われています。
この王齮将軍の史実での初登場は、秦の昭王の50年のこと。
紀元前257年のことになっています。
(参考:徳間書店 史記Ⅲ 独裁の虚実)
ここで王齮将軍は趙の王都である邯鄲(かんたん)を包囲。
この時、邯鄲は陥落の危機が迫ったと言われています。
しかしこの邯鄲の危機を救ったのは魏の信陵君(しんりょうくん)。
この信陵君が魏軍を率いて秦軍を攻撃しようとしたところ、秦軍は邯鄲の包囲を解いて撤退したと伝えられています。
ちなみに魏の信陵君は、斉の孟嘗君(もうしょうくん)、趙の平原君(へいげんくん)、楚の春申君(しゅんしんくん)と共に「戦国四君」と称されていた人物。
この4人はそれぞれ王族の人物でありながら、競って才能ある人物を食客(しょっかく)として招いていたことでも知られています。
キングダムでは春申君が合従軍の総大将として描かれていましたね。
それはさておき史実で記録の残されていた王齮将軍は、この邯鄲包囲戦で敗れることになります。
政の即位と同時に将軍に任命される
また次の王齮将軍の記録としては、政が秦王になった後の始皇元年。
これは西暦で言えば紀元前246年のことになりますが、蒙驁(もうごう)や麃公(ほうこう)と共に将軍に任命されたと伝えられています。
王齮の初登場だった紀元前257年からこの紀元前246年までは11年もの歳月が流れていましたが、この間の王齮将軍の記録は残されていないようです。
秦はのちに中華を統一した国ですので、この秦に関する記録は他の六国に比べても手厚かったはず。
ただ史記の時代は古代中華の記録ですので、失われた記録も多かったと思われます。
また政が秦王になったその年に王齮は将軍に任命されたことから、記録のない11年の間にも様々な武功を上げていたことが想像されます。
もしも活躍していなければ、将軍に任命されるはずはありませんからね。
記録が残されていない王齮将軍の活躍。
そこは多くの想像力がかき立てられる場面と言えます。
王騎の史実での最期は?
ただ史実での王齮将軍の死は、早くに訪れることになります。
史実での王齮将軍の死は、紀元前244年。
政が秦王に即位して3年目のことと伝えられています。
キングダムでもこの年に王騎将軍が亡くなった馬陽の戦いが描かれています。
ただ史実では王騎のモデルとされている王齮の死について、詳しい記録は残されていません。
ここも様々な想像ができる場面で、原先生はここで龐煖(ほうけん)という武の結晶を王騎将軍とぶつけることで、王騎将軍の死を演出しています。
ここはキングダムファンでも泣けたという感想の多いところですが、史実の出来事は年代をズラさないという原先生の意向が反映された場面と言えます。
王騎と摎の史実での関係は?
摎はやはり男性か?
摎と王騎、2人を見てると、どうしても涙がでてくる。((T_T)) pic.twitter.com/2dMOfqWB98
— まぁちゃん (@aswg08__maaa) July 30, 2014
また史実の王齮と摎の関係はどうだったのでしょうか?
キングダムでは結婚するはずだった二人。
まず摎に関する史実を振り返っていきますが、この摎に関する史実の記録は2つしか残っていません。
・紀元前256年 将軍として韓を攻撃。陽城・負黍を取り、4万の首を挙げる。その後、趙を攻撃して20県あまりを奪う。この時に斬首した者と捕虜にした者は9万に達する。この時、西周の文公が諸侯の軍勢を集めて秦を攻撃。この西周を摎は攻めて降伏させる。
・紀元前254年 魏を攻めて呉城を奪う。
2つしか記録は残されていませんが、残された記録は勝利の記録のみ。
強そうな雰囲気が漂いますね。
またキングダムの中では摎は女性として描かれていましたが、おそらくですがこの時代に将軍として戦場を駆け巡たのは男性だったと思います。
そうなると史実においては、王騎と摎の結婚はあり得ないということになってしまいます。
ただ摎が男性というのは私の推測にすぎません。
もしも摎が女性だったら・・・
キングダムのような悲しい恋があったのかもしれませんね。
王齮と摎は男色の仲?
または王齮と摎は男色の仲だった・・・
史実ではそんな可能性があるのかもしれません。
王齮は紀元前257年が初登場で、摎は紀元前256年に記録が残されています。
キングダムの王騎はおネェ口調で男色の傾向を見せていて、二人は同時代の人物。
そうなるとこの説も有力なのかもしれませんね。
王騎のモデル王齮は王齕(オウコツ)と同一人物?
王齕(オウコツ)とはどんな人物?
✨副官紹介✨
今回紹介するのは副官です!その副官はこちら!
王コツ-怪力伝説-です♪
この王コツは恐らく副官の中では一番優秀な副官かもしれません
※👆個人の見解です
HPの倍率が現在の副官の最高倍率である、3.44倍となっており、攻撃力、防御力ともにかなり優れたステータスになっています‼️ pic.twitter.com/ScpsMX7XQ9— THEミラクル(特攻少) (@themirakuru2020) April 28, 2020
また史実での王齮将軍は、王齕(オウコツ)と同一人物だったという説もあります。
この王齕という人物は、秦の昭王の時代に将軍として活躍した記録が残されていて、一例ですが昭王の47年(紀元前260年)には韓を攻めて上党という地を占領したと伝えられています。
(王齕のウィキペディアでは、この年に「趙を討って」と書かれていますが、私の手元の徳間書店の「史記Ⅱ」ではこの年に王齕は韓を攻めたと書かれています。)
その他にも王齕については様々な武功が記録に残されていて、同じ紀元前260年には趙の40万人が生き埋めにされた長平の戦いでは副将を務めたことが記録されています。
キングダム王騎は長平の戦いの副将?
ただキングダムの物語の中では、王騎将軍が長平の戦いの副将であったことが描かれています。
当初はこの戦いで秦は白起を将軍に、趙は廉頗を将軍にしていました。
しかし、しびれを切らした趙王が将軍を廉頗から趙括(ちょうかつ)に変更。
その趙括を王騎は一刀両断した場面がキングダムの中で描かれています。
(単行本8巻 第75話「過去」)
史実に照らすと、この時の副将は王齕(オウコツ)でしたが、キングダムでは王騎。
ということはここだけを見ると、2人は同一人物であるという説をキングダムでは採用しているように思えます。
しかしキングダムの中では王齮と王齕はどちらも六将となっていて2人は別人物のはず。
この点はキングダムの中の疑問点ですが、史実ではある武将の活躍がキングダムでは別の武将の活躍として描かれることはあります。
ですのでこの場面でも、原先生としては趙括を豪快にぶった斬る「王騎」を描くことを重視して、この長平の戦いの副将という戦歴だけは王騎が担うことにした。
そんな可能性があるのかもしれません。
王齕(おうこつ)の戦歴は?
その他に王齕には以下の戦歴が残されています。
・紀元前259年 趙の武暗君を討ち、皮牢(ひろう)を攻略。
・紀元前258年 秦の王陵(おうりょう)は趙の邯鄲を攻撃。戦局は思わしくなく白起(はっき)を将軍にしようとしたものの、白起はその要請を受けず。王齕を将軍としたものの楚の春申君と魏の信陵君の率いる数十万の軍勢が秦軍を襲撃。秦軍は大打撃を受ける。
・紀元前257年 邯鄲を攻め落とせず魏を攻める。首を切ること六千、魏軍は敗走して黄河で二万人が流れ死ぬ。また汾城を攻め落として、張唐と共に寧新中を攻め落とした。
・紀元前247年 韓の上党を攻めて太原郡を置く。魏の信陵君が五か国連合軍を率いて秦を攻める。王齕は蒙驁(もうごう)と共に迎え撃つも敗北。
王齕の史実での戦歴には敗北もいくつか刻まれています。
この時代の記録がどれだけ残されているかは分かりませんが、キングダムファンとしてはこの時代の記録が多く残されていなかっただけで、王齕も優れた戦績を残していたと思いたいところですね。
まとめ
実写版キングダムようやく見れた〜〜〜。王騎が大沢たかおって想像できなかったけど、表情も声も身体もめちゃ王騎で最高にかっこよかった〜…どのキャラも漫画のイメージ崩さないどころかかっこよくなっててアクションも爽快でニヤニヤした〜大満足。 pic.twitter.com/EEDi96QYUt
— Are you me! (@ayupigumon) June 28, 2020
ここまでキングダムの王騎将軍に関する史実での実在した記録についてご紹介してきました!
まずはキングダムの王騎将軍のことを簡単にご紹介しましたが、王騎のモデルと言われる王齮将軍は史記に実在の記録が残っているものの、その記録はそれほど多くなかったことが分かります。
ただあまり史記に記録がないにも関わらず、のちの始皇帝となる秦王・政が王位についてからすぐに将軍となった点からすると、王齮将軍は優れた武勇や知略の持ち主だったと思われます。
当然ながら古代中国の物語ですので失われた記録も多かったはずで、王騎のモデルとなった王齮が優れた武功をあげていたとしても不思議はありませんし、そうした見果てぬ想像をしてみたくなります。
それではここでキングダムの王騎将軍のモデルである王齮将軍の史実のご紹介を終わります。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!
(参考文献 徳間書店「史記Ⅱ 乱世の群像」「史記Ⅲ 独裁の虚実」)