キングダム趙高(ちょうこう)の史実!馬と鹿の話とその最後の死に方は

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キングダムは秦の始皇帝の時代を背景とした古代中華の歴史マンガです。

非常に人気のあるキングダムですが、ここに趙高(ちょうこう)という人物が登場してきます。

この趙高は李斯と共に、二世皇帝・胡亥(こがい)に仕えた人物として知られていますが、秦を滅ぼした悪臣という評価があります。

とはいえ秦が滅びた背景には他にも要因はあると思いますが、まずはここでは趙高という人物と二世皇帝・胡亥や李斯との史実でのエピソードに注目したいと思います。

またこの趙高の馬と鹿のエピソードは「馬鹿」の語源になったとも言われていますが、そこには恐ろしいエピソードがありました。

そしてこの趙高の史実での記録を見ていきながら、秦が滅んだ原因についても少し考察していきたいと思います。

なおここからの内容は、徳間書店 史記Ⅲ「独裁の虚実」を参照しています。

 

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キングダム趙高の史実の記録は?

趙高の出身はどこ?

まず趙高の出自についてですが、この趙高は名前に「趙」とついていますが、元々は趙の王族と遠い血縁関係があると言われています。

母は卑賎の家の出と記録されていて、何か罪を犯したのかこの母親は死刑に処せられたと伝えられています。

そしてこの趙高の兄弟たちは生まれるとすぐに宦官(かんがん)にされたと史記には記録が残されています。

生まれてすぐに趙高は男根をカットされたのか?

この点は疑わしいようで、この趙高には娘むこの閻楽(えんらく)という人物のことも史記には記されていますので、趙高には娘がいたことになるはずです。

また宦官いうのは男根をカットした男性のことを指しているのではなく、元々は王宮に仕える人のことを意味していたそうです。

ですので趙高の兄弟たちは、生まれてすぐに王宮に仕える身分になったと解釈すべきなのかもしれませんが、古い時代のことだけに情報が錯そうしていたのかもしれませんね。

そんな趙高でしたが、努力家であり刑法に詳しいという評判が立っていたことから始皇帝から登用されることになり、のちの二世皇帝となる胡亥(こがい)に法律のことを教えていたと伝えられています。

 

趙高と蒙毅の関係は?

また趙高は蒙毅(もうき)とただならぬ関係にあったようです。

それは趙高が重い罪に問われた時のこと。

皇帝は蒙毅に対してこの件を法に照らして裁くように命じたところ、蒙毅は少しも法律を曲げようとせずに趙高には死刑が相当と判定。

蒙毅は趙高の官位をはく奪したものの、始皇帝は趙高が仕事熱心であることを理由に罪を許した上で、趙高の官位や爵位を元に戻したと言われています。

そんな趙高は蒙毅が自分自身を取り調べた時に手心を加えなかったことを恨んでいて、折あらば亡きものにしようと考えていたことが史記に記されています。

しかしこの趙高の罪が冤罪(えんざい:無実の罪)ではなく実際に何かの罪を犯したのであれば、蒙毅を恨むのは筋違いだと思いますね。

そしてここから趙高の陰謀が加速していくことになります。

 

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趙高が秦を牛耳るまでの経緯は?

趙高、始皇帝の遺言を握りつぶす!

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(引用:キングダム)

この趙高が歴史の表舞台で躍動してくるのは、始皇帝が亡くなった後のこと。

彼は始皇帝の遺言を握りつぶすことになっていきます。

始皇帝は死期が近づいてきたことを悟った時、長男の扶蘇(ふそ)に向けて遺書をしたためたと言われいます。

「咸陽(かんよう)に戻って葬儀を主催せよ」

この言葉には自分の後継者になれ、という意味が込められているとも言われていますし、この扶蘇という人物は始皇帝の子供の中でも人格見識ともに最も優れており、臣下の人望も厚かったと言われています。

しかし趙高としては縁の薄い扶蘇に次の皇帝になられるよりも、自分が法律を教えていた胡亥(こがい)が次の皇帝になってくれた方が都合が良いと思ったのでしょう。

この始皇帝の遺言は扶蘇に送られることなく、ここから趙高の陰謀が加速していくことになります。

 

胡亥を説得!

まず趙高は自分が法律を教えていた始皇帝の末子である胡亥(こがい)から説得していきます。

趙高は始皇帝が亡くなった今、胡亥に対して天下の支配権を握るように説得します。

趙高の説得に対して、当初は父である始皇帝の意向を大事にしようとする胡亥。

しかし趙高は執拗に、胡亥に対して次期皇帝になることを迫っていきます。

それでも反対していた胡亥でしたが、趙高の巧妙な説得に次第に心がぐらついたのか、ついに趙高に同意。

この時に趙高が放った次の言葉はことわざにもなっています。

「断じて行えば、鬼神もこれを避く」

ここから趙高は李斯の説得に取り掛かっていきます。

 

李斯、趙高の威嚇に屈する!

ここであの李斯が登場してきます。

李斯は法について熟していることがキングダムでも描かれていましたが、始皇帝の死に際しても彼は丞相(じょうしょう)という最高位についていました。

ここで趙高は李斯に対して、扶蘇が次期皇帝になれば扶蘇に近い位置にいる蒙恬が丞相となり、李斯の地位が脅かされる恐れがあること、そして胡亥を立てることを次期皇帝に立てることを勧めます。

この李斯もなかなか首を縦に振ることはありませんでしたが、趙高もこのチャンスをものにするためにここでも執拗かつ巧妙な説得を続けていきます。

そして最後に決め手となったのは趙高の威嚇(いかく)でした。

自分の計画に賛成してくれれば子孫も安泰。

しかし自分の計画に反対するなら、その禍(わざわい)はご子孫にまで及びましょうぞ。どんな事態が生ずることか・・・

ついに李斯は趙高の計画に同意を与えることになってしまいます。

 

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趙高の行った粛清とは?

扶蘇を自殺に追い込む


こうして趙高・胡亥・李斯の3人は共謀して始皇帝の命令と偽って胡亥を太子に立てることを発表。

そして始皇帝の長男である扶蘇に対しては、始皇帝からの自殺を命じるニセの書簡が送られることになります。

この扶蘇という人物は始皇帝を諫(いさ)めたことでも知られていて、そのために北方軍司令官であった蒙恬(もうてん)の監督という名目で、中央から追放されていました。

ニセの書簡にも始皇帝のなすことを誹謗(ひぼう:悪口をいうこと)したなどの罪が述べられていて、この書簡は扶蘇に対して与えられた剣で自決するように迫る内容のものでした。

この書簡を扶蘇が読んだ時に蒙恬もそばにいたようで、陰謀の匂いを蒙恬はかぎ取ったのか、自殺を図ろうとする扶蘇を思いとどめようと説得します。

しかし扶蘇は心優しい性格であったようで、父が子に死を命じたと本気で信じ込んでしまっていて、蒙恬の説得もむなしく扶蘇は自殺してしまったと伝えられています。

この時代、趙でも同じように優れた嘉(か)という太子がいながらその人物が王になることはなく、反対に行いの悪かったと言われる遷(せん)が幽繆王(ゆうぼくおう)として即位した事例がありました。

はたから見ると「なぜこんなことに」という大きな疑問が生まれますが、組織の後継者選びはそれほどまでに難しいということなのかもしれませんね。

 

蒙恬・蒙毅兄弟も追い詰められる!

その後、蒙恬・蒙毅兄弟も、趙高によって追い込まれることになっていきます。

扶蘇の死を知った胡亥は、蒙恬を許す気になったようですが、蒙氏が重用されることになれば自分の身が危うくなると感じた趙高は、蒙氏を滅ぼそうと胡亥にニセ情報を吹き込みます。

「始皇帝が胡亥を太子に立てようとしたのを蒙毅が反対していた」

これを聞き入れた胡亥は、蒙毅を投獄。

この前に蒙恬はすでに投獄されていました。

そして始皇帝の葬儀が終わり太子・胡亥が即位して二世皇帝となると、趙高は郎中令(ろうちゅうれい:官房長官)の要職について、政治の一切を取り仕切ることになりました。

その趙高は昼夜問わずに蒙一族を中傷(根も葉もないことを言い、他人の名誉を傷つけること)。

ついに蒙一族の罪状をでっち上げて、責任を問い詰めるに至ります。

二世皇帝・胡亥の使者が蒙毅を訪れると、蒙毅は丁寧に反論をするものの、胡亥の意図を知っていた使者は蒙毅の訴えに耳を貸すことなく、そのまま蒙毅を殺害したと伝えられています。

そしてその刃は蒙恬にも向かいます。

蒙恬に向けられた罪は、多くの過失と弟・蒙毅が大罪を犯したことに伴う連座(罪を犯した家族まで刑罰が及ぶこと)。

使者に対して蒙恬も丁寧な反論をするものの、使者は蒙恬の言葉を取り次ぐつもりはないと冷たく一蹴(いっしゅう)。

蒙恬はついに毒を飲んで自殺したと伝えられています。

趙高は蒙恬など有力な人物が重用されると、自らの立場が危うくなると考えていたそうですが、その後に実権を握った後で失態が起こると、二世皇帝など他人に責任を押し付けようとしていきます。

実際に趙高は二世皇帝を殺害することになっていきますが、結果に責任を取ろうとしない人物が実権を握ることの怖さ(滅亡してしまう怖さ)がここに現れていると言えます。

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趙高が行った粛清の嵐

二世皇帝・胡亥と趙高は、この他にも大規模な粛清(しゅくせい)を行っていきます。

そのキッカケは、胡亥が二世皇帝となってから。

各地をめぐって皇帝の強権を示そうとしたものの、始皇帝に比べるとスケールの小さな二世皇帝の姿をさらすことになったと言われています。

そして臣下の軽蔑のまなざしに不安になった胡亥が趙高に相談すると、趙高は厳しい取り調べを進言。

そのことにより権威を天下に示すことができ、皇帝のお気に召さない者を排除することができると伝えます。

そのことを同意した胡亥は新たな法律を作った上で、臣下や公子(君主の子。始皇帝の子を指すと思われます。)の罪をでっちあげては趙高の手で調べさせることになります。

この流れで蒙毅などが殺され、公子12人が咸陽で処刑。

公主(君主の娘。ここでは始皇帝の娘のことでしょう。)10人が磔(はりつけ)にされたと記されています。

その後、皇帝に向かって諫言(かんげん:過ちを指摘して忠告すること)をしようものなら「誹謗(ひぼう)罪」が適用されてしまうので、政府高官にいる人たちは皇帝に対して耳ざわりの良いことしか言わなくなったと伝えらています。

どこかの国で同じようなことが行われ始めているのかもしれませんが、この結果は何をもたらすことになったのか?

歴史は大いなる教訓を伝えてくれていますが、もう少し趙高と二世皇帝の粛清の続きを見ていきましょう。

 

李斯を処刑させる

この後、二世皇帝が圧政と法令のさらなる厳しい適用を行うことにより、秦に反旗を翻す勢力が反乱を起こすようになっていきます。

こうした事態を心配した李斯は二世皇帝に意見を言おうとしますが、趙高はこの李斯をワナにはめていきます。

趙高はまず二世皇帝の過ちを指摘してくれるように李斯に依頼します。

この頃の二世皇帝は趙高の進言によって、自らにハクをつけるため朝廷に姿を見せることはなくなっていました。

そのため李斯は二世皇帝の都合が分からないと趙高に言うと、趙高は陛下が暇な時を見つけて李斯に知らせると伝えます。

しかし趙高が李斯に伝えていたタイミングは、いつも二世皇帝が酒宴を開いて女どもと戯れている時でした。

これが何度も繰り返されると、二世皇帝は逆上!

「わしはいつでも暇なのだ。丞相のやつ、そんなときには来ぬくせに、たまに楽しんでいると、のこのこやってきては、会わせてくれなどと言いおる。わしを青二才と思うてか、それともバカにしおってか。」

そこで趙高は李斯が王になりたがっている、李斯の息子の李由(りゆう)が反乱軍と文書を交わした事実もある、などのことを二世皇帝の耳に入れます。

こうして二世皇帝は李斯の罪状の取り調べにかかっていきます。

このことを耳にした李斯は二世皇帝に対して趙高の責任を追及する文書を差し出します。

しかし趙高を信頼しきっていた二世皇帝は、李斯からの文書を取り合うことはありませんでした。

逆に趙高が李斯によって殺されることを心配した二世皇帝は、李斯の文書の内容を趙高に伝えます。

そして趙高はこう言います。

「丞相が目の敵にしているのは、このわたくしだけです。わたくしさえ亡きものにしてしまえば、あとは田常(でんじょう)※と同じようなことをするにちがいありません。」

(※田常(でんじょう)は斉の簡公(かんこう)の家臣で、最高位まで出世した人物でしたが、莫大な富を広く施して人民や臣下の支持を集めることに成功。

その後、ライバルの宰予(さいよ)を殺し、簡公まで朝廷で殺害して斉の国を乗っ取った人物とされています。)

これで二世皇帝の心は決まり、李斯は趙高に身柄を引き渡されることになっていきます。

厳しい取り調べの結果、無実の罪を自供してしまった李斯。

それを聞くと二世皇帝は喜んでこう言ったと伝えられています。

「趙高がいなければ、あぶなく丞相にだまされるところだった。」

こうして李斯は処刑されることになり、一族も皆殺しになったと伝えられています。

しかしこの時、秦国の内部で粛清などで争っている場合ではなく、反乱軍が勢いを増している状況でした。

こういう事態にも関わらず、趙高という人物は国を一つにまとめようとすることはなく、逆に君主と臣下の関係を引き裂いていき、功績のあった人物が一人また一人と消えていきます。

結果として皇帝は人の言うことに耳を貸さなくなっており、真実に目を向けることなく、耳障りの良いことばかりを聞くことに慣れきってしまいますが、ここから秦は滅亡の道をひた走ることになっていきます。

 

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趙高の馬と鹿のエピソードとは?

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(出典:photoAC)

そして趙高はかねてからクーデーターを考えていたと言われていますが、臣下たちが同調するか自信が持てなかった彼は一計を案じます。

趙高は二世皇帝に鹿を献上して「馬でございます」と言います。

二世皇帝は笑って「丞相はどうかしてるな。鹿を馬だとは。」と側近たちに話します。

側近たちの反応は三つに分かれて、ある者は黙り、ある者は趙高にへつらって「いえ、馬でございます」と言い、またある者は「鹿でございますとも」と答えました。

その後、趙高は鹿と答えた側近たちを罪をかぶせて殺害するに至ります。

これは「馬鹿」の語源となったエピソードだとも言われていますが、何とも恐ろしい話でもあります。

またこれは趙高にとっては不都合な者を排除することができることになりましたが、しかし真実をねじ曲げる人物が残るという結果をもたらすことになったはず。

ここから反乱軍が勢いを増すという事態となっていくと、趙高と二世皇帝は醜い責任のなすりつけ合いを行うことになっていきます。

 

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趙高の最後の死に方は?

二世皇帝を殺害!

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(出典:photoAC)

反乱軍が発生した中、当初は「恐るるにたらず」と高言していた趙高でしたが、反乱軍が勢いを増していく中で責任を追及されることを恐れた趙高は、病気と称して朝廷に出なくなりました。

そして二世皇帝は趙高に対して、反乱軍をはびこらせた責任を追及。

ここに及んで趙高は、その弟の趙成(ちょうせい)と娘むこである閻楽(えんらく)と協議。

ここで事態を趙高一族のせいにしようとする二世皇帝を殺害して、子嬰(しえい)という王族を立てることが決定されます。

綿密な計画が立てられ、閻楽の心変わりを防ぐためにその母親を人質にした趙高。

そして閻楽が宮殿の中に入っていき、二世皇帝を追い詰めていきます。

近くにいた宦官(かんがん)に対して、二世皇帝はこう言います。

「こんな事態になる前に、なぜもっと早く真相を告げてはくれなかったのだ。」

宦官はこう反論します。

「とても申し上げられませんでした。だからこそ、今日まで命を保つことができたのです。申し上げておれば、とっくに陛下のお怒りにふれて、処刑されていたことでしょう。」

二世皇帝は真実から目を背けて耳ざわりの良いことばかりを求めた結果、危機が身近に迫っても本人は何も分かっていなかったという愚かな結末を引き起こすことになりました。

これは二世皇帝のそばにいて信頼されていた趙高にも問題はあって、「恐るるにたらず」と高言していた反乱軍の鎮圧などが全くできなかった趙高は、しかし武功のあった蒙恬などを粛清した結果、危機に対応できる人材まで失う事態を引き起こしています。

そして趙高は責任が自らに及ぶと、その責任を逃れるために皇帝を殺害するという蛮行(ばんこう)に及んでいます。

しかも自分では手を下さずに、汚いことは他の人にやらせている。

趙高という人物像が明確になっていきますが、とはいえこうした人物を信用してしまった二世皇帝にも責任はありますね。

今でいう任命責任。

しかも趙高一人だけを信頼しすぎたために、別の視点からの意見が入ることがなかったことも二世皇帝の過ちだと思われますが、その結果は信頼していた趙高に裏切られるという結果をもたらしました。

ただその趙高も、自分自身の最後が近づいていることには気づいていなかったようです。

 

趙高、殺害される!

その後、趙高は朝廷で二世誅殺のいきさつを告げて、二世皇帝の兄の子供である子嬰(しえい)という人物を秦王(反乱軍の乱立からこの時に皇帝を王に改めています。)に擁立(ようりつ)。

趙高は子嬰に対して、王になるための儀式を行うように伝えますが、子嬰は儀式にことよせて殺されるのではないか?と趙高に対して疑念を抱(いだ)いていました。

そこで子嬰は仮病を使うことを決断。

業を煮やして自らやってくる趙高を殺害することを企(くわだ)てます。

そして趙高からの使いが何度も訪れるものの、仮病を理由に動かない子嬰。

そこで趙高は自ら催促に出向きますが、ここで子嬰は趙高を殺害。

趙高の父母や兄弟、妻子をことごとく処刑した上で、咸陽でさらし首になったと伝えられています。

 

趙高という人物の功罪

ここまで趙高という人物の史実での記録を振り返ってみましたが、始皇帝の死をチャンスと見るや、自分と関係の深い胡亥を皇帝にするための素早い行動と決断、そして巧みな説得術は目を見張るものがありました。

とはいえ、その後に実権を握ってしまうと、後は粛清の嵐。

始皇帝の長男であり人望も厚かった扶蘇や、蒙恬・蒙毅兄弟を粛清。

他にも趙高からの二世皇帝・胡亥への進言により、言われなき罪に問われた人は多くいました。

李斯もその趙高の毒牙の餌食(えじき)となってしまい、自らの保身のためにウソをついてでも他者を追い落とすことに必死だった様子が伺えます。

しかし李斯を粛清する頃はすでに反乱軍の勢いが増していた頃で、この期に及んでも趙高はなお国を一つにまとめることに力が向かず、他者を追い落とすことに汲々(きゅうきゅう)としていました。

そして状況が悪くなると政治の一切を取り仕切っていたにも関わらずに、自らの責任逃れのために二世皇帝を殺害。

責任は取りたくないが権力だけは持ちたい、というのも何ともムシの良すぎる話ですが、最後は自らの危機を感じ取ることなく、無惨にも殺害される結果になっています。

馬と鹿のエピソードにしても、趙高は上に立っては人に恐怖を与えることで統治するというタイプであり、人の下に付いても組織に求心力よりも遠心力をもたらした人物と言えます。

また始皇帝もそばに置いていて、二世皇帝・胡亥からの信頼はあつく、趙高は上の立場の人に取り入ることは非常の上手だったことが伺えます。

しかしよくよく考えれば始皇帝の遺言を握りつぶしたのも、そして二世皇帝を殺害したのも趙高でしたが、それほど趙高は「皇帝」という権威を実はないがしろにしていて、自分のために皇帝を利用することしか考えていなかった人物であったことが伺えます。

少なくとも二世皇帝・胡亥は、趙高以外の家臣とのつながりも持っておくべきだったはずで、実務能力などが乏しい趙高をあまりに信頼しすぎた結果、責任が取れなくなった趙高に裏切られるという結末になっています。

また秦の滅亡に関しては、その前から始皇帝の治世のやり方に反対する言論を一切封鎖すべく、焚書(ふんしょ:書物を焼き捨てさせた政策)を李斯は実行していて、このことで始皇帝は自分と異なる意見に耳を傾けることができない状況になっていたのでは?と推測します。

秦が滅びた要因としては、始皇帝とその近くで政治を支えた李斯、二世皇帝・胡亥と趙高という人物それぞれに責任があったと考えるのが自然のように思いますが、そこには王の意図を汲み取って忖度(そんたく)するなど、取り入ることが上手い人物を重用してしまいたくなる人の弱さも見え隠れしているように思います。

私も王のような立場になったら、そういう人物を重用したくなるかもしれませんけどね。

 

まとめ

ここまで趙高という人物の史実でのエピソードをご紹介してきました。

趙高が歴史の表舞台に出て来るのは始皇帝が亡くなってからでしたが、その後の権力奪取までの動きは、巧妙で素早いものがありました。

しかしその後の趙高は自分の立場が危うくなることを恐れて多くの有能な家臣を粛清してしまうことで、秦という国家組織の力が弱体化。

そのために秦という国家組織は、危機に対応できない状況を招いてしまったと思われます。

とはいえそんな趙高の進言をうのみにして実行した二世皇帝・胡亥(こがい)にも大きな責任はありますが、取り入ることが上手い人物をそばに置いて信用したくなるのが人の持つ弱さなのかもしれません。

しかし少し思うのは趙高の立場であれば、有能な人物を粛清するよりも上手く活用した上で組織を発展させ、その上でその組織の中で旨味を吸っていた方が良かったのではないか?

そんなことも思います。

また馬と鹿のエピソードについては、馬鹿の語源になったとも言われていますが、これは趙高の反対派を粛清するための方法でありましたが、同時に趙高に対して真実を言おうという人がいなくなるという結果をもたらしたようにも思います。

真実を伝えられない状況を作り上げて、そのことで適切な状況判断が出来なくなったことが二世皇帝・胡亥にも当てはまりましたが、それと同じ状況に趙高は陥ってしまい、身の危険を感じることができなくなっていた可能性もあるのかもしれません。

歴史は深い教訓を与えてくれますが、真実に基づかない判断ほど愚かなことは無いのかもしれませんね。

それではこれでキングダム趙高の史実のエピソードと秦の滅亡に関する考察を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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