キングダム郭開(かくかい)は史実に実在?最期の死亡と廉頗・李牧との関係は

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キングダムは秦の始皇帝となる秦王・政と、その政に出会った元下僕・信という少年が主人公の古代中華を舞台にした人気マンガです。

ご存知のようにこのキングダムの舞台となった時代は、中華の戦国時代。

多くの記録は史記に記載がありますが、この時代には秦以外にも趙や楚などの国が乱立していました。

ここに趙という国に郭開(かくかい)という人物が存在しています。

この郭開は趙の奸臣(かんしん:邪悪な家来)と評されていますが、史記にはどのように記載されているでしょうか?

ここでは史記の史実での記録をひも解いて、郭開という人物像を見ていきたいと思います。

またキングダムの中ではこの郭開という人物はどのような最期を迎えるのか?

郭開の最期についても考察・予想していきます。

最後までお楽しみください。

 

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キングダム郭開の史実!史記の記録は?

廉頗の趙への復帰を阻む

では郭開の史実での記録をひも解いていきますが、郭開の史記での記録としては2点が挙げられます。

まずキングダムでは趙の過去の三大天であった廉頗(れんぱ)将軍との関係です。

この廉頗将軍は、藺相如(りんしょうじょ)と「刎頸(ふんけい)の交わり(たとえ頸(くび)を刎(は)ねられても後悔しないほどの親しい交友関係)」を結んだことで知られています。

また廉頗は歴戦の猛者であり、廉頗がいるために秦もうかつに趙に手出しができないほどだったと伝えられています。

ただこの廉頗将軍が魏を攻めていた時、直後に趙王になった悼襄王から将軍職を解かれてしまいます。

そのことに怒った廉頗は、後任の将軍となった楽乗(がくじょう)を攻撃。

趙にいられなくなった廉頗は、趙を後にして魏に亡命することになります。

そして趙から廉頗がいなくなったことを機に、秦から標的にされることになった趙。

そこで廉頗を呼び戻そうとした悼襄王でしたが、この廉頗の趙への復帰を阻んだのがこの郭開だと言われています。

どうも廉頗が趙にいた時から、仲が良くなかった郭開と廉頗。

廉頗は悼襄王の使者の前で、10升のコメ(10合で1升なので10升=100合のご飯です!)と2.2キロの肉を食べ、鎧(よろい)を身に着けて馬に乗るという、老いてなお健在ぶりを見せたそうですが、郭開はこの使者を買収。

郭開は使者に悼襄王に対して、廉頗が三度遺失(遺失は小便をしたこととも、便をもらしたこととも言われています。)したと嘘の報告をさせます。

その報告を聞いた悼襄王は、廉頗が使い物にならないと判断。

その後、廉頗は二度と趙の地を踏むことは無かったと伝えられています。

廉頗がいなくなって秦から標的にされているという状況があるにも関わらず、廉頗とは不仲であったこと、また自らの地位が弱まるのを恐れて廉頗の趙への復帰を阻んだ郭開。

この件では郭開は自分のことばかりを考えていて、趙のことを全く考えていない人物であったことが伺えます。

そしてそれと同様のことを郭開は行い、そはが史記にも記録されています。

 

李牧・司馬尚を交代させる

では郭開の史実での2つ目の記録ですが、これは趙が滅亡する直前のことでした。

というよりも郭開のこの行為で、趙が滅亡していくことになります。

時は紀元前229年。

秦は王翦(おうせん)を総司令官にして、本格的な趙攻略に乗り出します。

そこで趙は、李牧と司馬尚を将軍にして秦軍を迎え撃ちます。

李牧と司馬尚の前に、趙の攻略がうまくいかない秦軍。

そこで秦は趙の内部かく乱をはかることになります。

王の寵臣(ちょうしん:お気に入りの臣下)であった郭開に多額のワイロを送って買収。

時の趙王・幽繆王(ゆうぼくおう)に対して、郭開はこう伝えます。

「李牧・司馬尚は敵に内通している疑いあり」

これはありもしない讒言(ざんげん:他人の足を引っ張るため、ありもしないことを目上の人に伝えること。)でしたが、ただ前王の頃から活躍していた李牧を内心では恐れていたとも言われる幽繆王は、この讒言を信じて将軍を交代させようとします。

命令を拒む李牧。

そこで王はひそかに手を回して、李牧を逮捕した上で斬罪として処分。

司馬尚は将軍職を解かれることになります。

そして趙が代わりに将軍としたのは趙蔥(ちょうそう)と顔聚(がんしゅ)でしたが、その三か月後―――

王翦は趙に対して総攻撃を開始すると、趙蔥(ちょうそう)は戦死。

顔聚(がんしゅ)と幽繆王はここで捕虜となります。

こうして趙はここに滅びることになったと伝えられています。

ただ李牧を斬罪にさせたのは、幽繆王の母親の悼倡后(とうしょうこう)だったとも言われています。

 

郭開は有能?

郭開が史記に登場しているのはこの2つの記録です。

廉頗は優れた将軍でしたが、郭開と不仲であったことや郭開自身の地位が低くなることを恐れて、廉頗復帰を阻止。

そして秦から多額のワイロを渡された上で、幽繆王に李牧・司馬尚に謀反の疑いありと讒言(ざんげん)。

両名の将軍職を解かせることになります。

郭開が行ったことは、優れた将が活躍できないようにしたことでした。

そのことで郭開は自らの地位の安泰を図ることができ、大金を得ることはできたのかもしれませんが、それは個人の得。

そして結果的に趙という国が滅びる結果にはなっていますので、郭開は趙を滅亡に導いた奸臣(かんしん:邪悪な家来)と言えます。

そういえばキングダムの中でも、郭開は嘉と李牧に対して「人気も実力もあるあの二人は 決して生かしてはおけぬ」と言っていました。

嘉と李牧の二人が人気も実力もあるという判断は秀逸。

しかし二人を生かしてはおけぬという判断は最悪。

国のことを考えれば、嘉と李牧の実力を活かす道を考えるべきだったんですけど、郭開の回路はそうはならないようです。

ただ郭開自身が国を滅ぼした面はあるにせよ、郭開を重用していた王にも問題があったと言えます。

ではなぜ、王は郭開を重用していたのでしょうか?

 

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なぜ郭開は趙の重臣たりえたか?

王への取り入り方が上手かった!

ではなぜ郭開は、趙で重要な地位にいることができたのでしょうか?

これは私の推測になりますが、一つには王への取り入り方が巧みだったことが挙げられると思います。

おそらくですが郭開は王に対しては、耳障りの良い話を常に言っていたと思われます。

そして郭開はイエスマンでもあったはず。

こうした態度を取っていれば、確かに王からは可愛がられるとは思います。

ただ後で書きますが、こういう臣下ばかりを王が身近においていたことが趙滅亡の原因になったと思われます。

 

政敵を排除した

また郭開は廉頗の趙への復帰を阻止したり、李牧・司馬尚を将軍職から解任させましたが、このように自分と勢力を争う政敵を排除してきたことが、郭開が重用された原因なのかもしれません。

その時に郭開が利用していたのはニセ情報。

史実に記録のある郭開の2つの出来事は、このニセ情報を流すことで趙王に誤った判断をさせていました。

そしてそのことにより郭開は自らの地位を脅かす可能性のある政敵を排除できていたんですけど、これも優れた将を排除することになったたため、結果的には趙のためにはならないことだったと言えます。

 

趙が滅びた原因は趙王にあり?

さて郭開が重用されてきたであろう原因について見てきましたが、このことで趙王は狂いの道を突き進むことになったように思います。

イエスマンであり、王に対して耳障りの良いことを言っていたであろう郭開。

こうした態度を取る臣下ばかりを王が身近に置いておくと危険なのは、王自身が間違った判断を下した時です。

この状態(王が郭開のような臣下ばかりを身近においた状態)であれば王が誤った判断をくだした時にも、王の周りの臣下はその誤った判断でさえも褒めたたえることでしょう。

誤った判断を積み重ねていけば、国や組織がどうなるか?

そのことは考えなくても分かることかもしれませんが、なぜか人間はこのような過ちを繰り返す生き物なのかもしれません。

本来であれば王が間違った判断を下した場合、それを諫(いさ)める(目上の人に対して過ちを指摘する)ことが国や組織のためには必要なことのはず。

しかしそういう臣下を王が周りに置かないことで、王は間違った判断を下しやすくなり、趙が滅びる原因となっていったと思われます。

趙国滅亡には確かに郭開の非もあったとは思います。

ただこうした耳障りの良いことを言う臣下を手元に置いた王にも、趙国滅亡の責任があると言えます。

 

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キングダム郭開の最期は?

信に一刀両断される?

ではこの郭開はどのような最期を迎えるのでしょうか?

残念ながら郭開の最期については、史実の記録は残されていないようです。

となるとキングダムでの最期がどうなるかですが、ここは原先生の創作意欲が増す場面かもしれません。

一つ考えられるのは李牧はこの郭開によって将軍を解任させられ、結果的に李牧が処刑されるに至りますので、李牧を討ち取りたかった李信の手によって郭開が一刀両断にされてしまうという展開もあると思います。

とはいえ李信が受け継いだ王騎の矛が、郭開の血でけがれるというのも少しだけ後味は悪いようにも思います。

 

羌瘣に細切れにされる?

また史実では秦が趙を滅ぼした時、王翦(おうせん)と共に趙を責めていたのは羌瘣(きょうかい)と楊端和(ようたんわ)でした。

そうなると羌瘣の手によって、郭開が細切れにされるという展開も考えられるのかもしれません。

または楊端和の手によって乱戦の中で、郭開が討ち取られるのか?

どちらにしても廉頗や李牧を排除した郭開にふさわしい最期が用意されていると考えたいですね。

 

王翦自身が手を下す?

または総大将・王翦自身が郭開に手を下すという展開もあり得るのかもしれません。

自分が王様になりたいと考えているキングダムの王翦。

そんな王翦は郭開のことについても充分に調べているはずで、郭開を身近においてもワイロに目がくらんで何をするか分からない。

そう判断した王翦は、郭開に対しては慈悲深い気持ちを微塵(みじん)も見せることなく、郭開の処分を断行するという展開もあるのかもしれません。

 

郭開は李牧一派に殺害される?

または郭開は、李牧一派に殺害されるという展開も待っているのかもしれません。

趙が滅びた時にどれだけの武将が生き残り、秦でも登用されるのかは分かりませんが、李牧一派のカイネや傅抵(ふてい)、舜水樹(しゅんすいじゅ)や馬南慈(ばなんじ)が生き残っていれば、その誰かに郭開は殺害されるという展開もあり得ることでしょう。

李牧を最も慕っていたカイネの手によって、郭開が殺害されるというのが一番展開としては面白いのかもしれません。

 

郭開は毒殺される?

または郭開毒殺の可能性もあるはずです。

嘉が地下牢から救出した賢人たち。

彼らは一族郎党が皆殺しの憂き目にあってしまいましたが、李牧一派や嘉を慕う人たちなど郭開に恨みを持つ者は多くいたはず。

そうなると郭開に恨みを抱いていた人が郭開を毒殺するという展開もあり得るのかもしれません。

悼襄王の最期のように、毒を飲まされたあげく悲惨な最期を迎えるというのも、奸臣・郭開の最期にふさわしいと言えるかもしれません。

 

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まとめ

ここまでキングダムに登場する郭開の史実での姿やその最期に関する考察を行ってきました。

郭開は廉頗や李牧など、優れた将の働きを阻害したという記録が残されています。

また趙を滅ぼした奸臣という評価もあり、この点は妥当な評価ではあるでしょう。

しかし国のことを考えておらず、自らが得をすることのみを考えている人物であることを趙王が見抜くことなく、耳に心地の良いことを言われたのか趙王が郭開を身近において重用したことも、趙が傾いた原因でもあったはずですですね。

キングダムでは「郭開は全てをねじ曲げる そして趙王は最初から全てが歪(ゆが)んでいる」と描かれていましたが、趙滅亡まで趙王と郭開のよこしまな言動がキングダムの中で描かれていくことでしょう。

また郭開の最期については史実の記録は残されていませんが、キングダムでは戦場で秦の武将に斬られる展開もあると思いますし、趙の李牧一派から殺害される展開もあり得ると思います。

その他、郭開は多くの人から恨みを買っていたはずで、そうした人物の誰かから毒殺される展開も考えられます。

今後の展開がどうなるかが気になりますが、それではここでキングダム郭開の史実と最期に関する考察を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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