鬼滅の刃・炭治郎のその後の死亡を徹底考察!炭治郎は何歳で死亡した?

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鬼滅の刃は、大正時代を舞台にした鬼と人との戦いを描いた大人気漫画です。

また鬼滅の刃のアニメや映画も、映像美で人々を楽しませてくれています。

そんな鬼滅の刃は23巻ですでに完結していますが、主人公の炭治郎はその後にいつ何歳ぐらいで死亡したのでしょうか?

痣(あざ)を持った炭治郎は25歳までに死亡したのでしょうか?

また最終回のその後の炭治郎の生活も気になるところで、公式ファンブックにも最終回のその後の炭治郎の生活が描かれています。

そしてさらにその後の炭治郎はどのような生活をしたのでしょうか?

こちらでは鬼滅の刃の炭治郎が、最終回のその後にいつ何歳で死亡したのか?また最終回のその後の炭治郎の生活について考察していきます。

それでは最後までお楽しみください!

>>炭治郎とカナヲの馴れ初めは?<<
 

   
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鬼滅の刃・炭治郎の最終回のその後の死亡はいつ何歳?

さて鬼滅の刃の炭治郎は、最終回のその後に何歳で死亡したのでしょうか?

この点は公式では明らかにされていません。

また炭治郎には痣(あざ)が出ていましたし、鬼滅の刃での痣は寿命の前借りの意味合いがありました。

痣が出ると力がアップするものの、それは寿命の前借りなので痣が出たものは例外なく25歳までに死亡してしまう、というものがありました。

とはいえ実は痣が出ても短命に終わらずに、長生きした例外の人物が存在しています。

>>炭治郎が柱になれないワケは?<<
 

痣が出ても長生きした人物とは?

それは始まりの呼吸=日の呼吸の創始者でもある、天才・継国縁壱(つぎくによりいち)でした。

この継国縁壱には生まれながらに左側の額に痣がありました。

しかしこの継国縁壱は25歳までに死ぬことはなく、およそ80歳を超えるまで生きていたことが本編でも描かれていました。

(単行本20巻・第174話「赤い月夜に見た悪夢」)

また日の呼吸の選ばれた使い手には、生まれつき赤い痣が額にあることも鬼滅の刃の本編で明らかにされています。

(単行本10巻・第81話「重なる記憶」)

つまり継国縁壱は日の呼吸の選ばれた使い手であり、その選ばれた日の呼吸の使い手は25歳までに死亡せずに済むことになります。

では炭治郎は日の呼吸の選ばれた使い手なのでしょうか?

>>日の呼吸の使い手には誰がいた?<<
 

炭治郎は選ばれた日の呼吸の使い手?

炭治郎は自分自身では、自らの痣は弟が火鉢を倒した時にかばって出来た火傷だと思っています。

ちなみに炭治郎のお父さんには生まれつき薄く痣があったことも本編で明らかになっています。

(単行本10巻・第81話「重なる記憶」)

では炭治郎の痣は、生まれつきのものではないのでしょうか?

おそらくですが、その後の炭治郎の目覚ましい成長ぶりを考えても、選ばれた日の呼吸の使い手という可能性は否定しにくいところで、実際に炭治郎は鬼舞辻無惨を倒すことを成し遂げています。

それは炭治郎だけではなく、多くの人の犠牲のたまものでもありましたが、炭治郎が一人抜けていたら鬼舞辻無惨を倒せたかは分かりません。

また炭治郎は鬼の血を注ぎこまれると、陽の光を克服するほど鬼の血に対する順応性がありました。

炭治郎の肉体の特殊性はここにも出ていたと思います。

これらの理由から炭治郎の痣は生まれつきだったのではないか?と個人的には考えていますが、果たして真相はどうなのでしょうか?

 

炭治郎が最終回のその後に死亡したのは何歳?

では炭治郎の痣が生まれつきのものだとすれば、炭治郎が最終回のその後に死亡したのは何歳ぐらいのことだったのでしょうか?

生まれつきの痣者だった継国縁壱は、80歳以上まで生きています。

また炭治郎の父親も生まれつきの痣者だった可能性がありますが、病気で死亡したために死亡した時期は早かったようで、炭治郎が15歳の時にはすでに死亡しています。

さて炭治郎は何歳まで生きたのでしょうか?

これは公式に公表されていませんので想像にすぎませんが、継国縁壱と同じ程度の70歳から80歳まで生きたのではないか?と思いたいところです。

やっぱり炭治郎には鬼舞辻無惨という鬼を倒した功績があります。

そしてカナヲとも幸せな家庭を築いて、その後のつつましくも幸せな生活を長く楽しんでいて欲しいという想いからも、70歳から80歳までは生きて欲しいな~と考えたいところです。

またカナヲも長生きして、2人で色んなところに旅行に行くなどして人生を楽しんでくれていたらと想像すると、何かホッとした気持ちにもなります。

これは私情に過ぎませんが、人柄の良い炭治郎の最終回のその後は、長寿で幸せな生活を続けていたと思いたいですね。

 

炭治郎がその後に死亡したのはいつ頃?

ちなみに炭治郎はいつ頃に死亡したのでしょうか?

炭治郎たちが生きていた時代が大正何年だったのかは、公式には不明です。

ですので炭治郎たちが生きていたのが大正5年(1916年)~10年(1921年)だと仮定します。

そしてその時の炭治郎が15歳です。

もしも炭治郎が80歳まで生きていたとすれば、そこから65年生きていたことになります。

ですので炭治郎が死亡したのは、1916年+65年=1981年から1921年+65年=1986年まで生きていたことになります。

(あくまで推測です。)

 

 
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鬼滅の刃・炭治郎の最終回のその後の生活とは?

さてここからは炭治郎が最終回のその後に、どんな生活をしていたのかを考察していきたいと思います。

鬼滅の刃では最終回の一つ前の204話で、炭治郎たち大正時代の鬼殺隊員たちの物語はここで終わることになりました。

この時に鬼殺隊は解散しました。

そして炭治郎の左腕はマヒになったかのように、上げ下げはできても握ることはできない状態となっていました。

また炭治郎はひじから下は触られていることも分からない状態となっていました。

そして右目も形は整っているものの機能していない状態になっています。

無惨との決戦はそれだけ過酷だったことを物語っていますが、ただ鬼となった炭治郎にかまれた禰豆子(ねずこ)は無事でした。

そしてその後の炭治郎は、これまで出会った人たちとの触れ合いの後、善逸や伊之助と共に自分の家に戻ったようです。

ここまでが204話で描かれていました。

 

炭治郎の最終回のその後・公式ファンブックのコソコソ話は?

ちなみに公式ファンブックの「大正コソコソ噂話」では次のような炭治郎と竈門家の人柄が書かれていました。

「竈門一家は村から離れた山奥に住んでいましたが、人柄の良さからみんなが村の人に好かれていました。

みんなが困っている時は手助けしてあげましたし、炭治郎たちが困っている時は村の誰かが助けてくれたりしました。

炭治郎は幼い頃父に言われた、自分が苦しい時でも人を慈(いつく)しむことができる、しなやかで強い人間になれという言葉を胸に、どんな時も頑張っていたようです。」

(引用:鬼滅の刃 公式ファンブック弐)

 

炭治郎の最終回のその後・公式ファンブックの近況報告は?

また最終回のその後の炭治郎たちの生活については、公式ファンブック弐にも記載されています。

炭治郎たち(炭治郎・禰豆子・伊之助・善逸)は次のような生活をしばらく送っていたようです。

 

・夜明け前に起き出して水汲みをして、朝ごはんの準備をする炭治郎と伊之助が川で魚を獲る

・炭治郎たちは不自由しないようにと産屋敷輝利哉(うぶやしききりや)から目玉の飛び出るような大金をいただく

・それでも炭治郎たちは相変わらず炭焼きや内職をして働いている

・炭治郎はじっとしているのがダメで、とにかく働くことが好きだった

・炭治郎は禰豆子たちのためにも、できるだけ金銭を残そうとしていた

・ガスの普及により炭が使われなくなりそうだったが、炭治郎たちを懇意にしてくれるお客さんも多かった

・鱗滝さんや仲間たちも竈門家によく遊びに来てくれる

・炭治郎に義勇さんからも手紙の返事がくるようになった(前は返事を書かなかった模様)

・炭治郎は不死川実弥にも手紙を送っているが、返事はない(不死川実弥は字を読めるけど書けないそう)

・炭治郎は不死川実弥に対しては、産屋敷輝利哉の「(不死川実弥も手紙をもらって)嬉しいはずだから」という助言もあり、手紙を出し続けている

・炭治郎たちは月に一度はしのぶの家で定期検診を受けている

・善逸の空想の物語を読んだ炭治郎は、厳しくダメ出しを行った

・禰豆子が好きな善逸に対して、炭治郎は甘えてばかりでは良くないと諭した

 

ここまでが公式ファンブック弐で描かれていました。

さてこれ以降の炭治郎は、どんな生活をしていたのでしょうか?

 

 
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鬼滅の刃・炭治郎の公式ファンブックのその後の生活は?

さて鬼滅の刃の炭治郎のその後の展開ですが、左腕と右目に不自由を抱えていましたので、体を使った仕事をすることが炭治郎には難しかったのかもしれません。

とはいえ炭治郎が最後に鬼を葬った事実は、周囲に知れ渡っていたことでしょう。

鬼殺隊は政府公認組織ではないため、表立った表彰などはなかったはずです。

ただそれでも藤の花の家紋の家は、炭治郎たち鬼殺隊の面々のその後の面倒を見たと思われます。

大きな傷を負った剣士・炭治郎は、左腕と右目が不自由でも周囲に助けられて、妹の禰豆子とゆっくりとした生活を続けていったことでしょう。

>>善逸と禰豆子のキューピットは炭治郎?<<
 

ヒノカミ神楽の継承も難しく

また炭治郎の左腕と右目の状況からすると、おそらくですが炭治郎はヒノカミ神楽を体で再現することは不可能だったはずです。

それでも、もしかすると炭治郎はヒノカミ神楽のやり方を文章で残していた可能性はあるのかもしれません。

善逸も鬼を倒した時のことを小説として残していたように、炭治郎はヒノカミ神楽を念のために記録として残していた。

古き平安の世に鬼が出たのならば、また今後に鬼が出ないとも限らない。

そんな想いからヒノカミ神楽の文書化を進めていたと思われます。

ちなみに炭治郎の子孫である竈門炭吉と竈門カナタは、ヒノカミ神楽を継承していることが公式ファンブック弐でも明らかになっています。

>>炭治郎の父・炭十郎は柱より強い?<<
 

炭治郎は医療に興味を抱く?

また左腕と右目に不自由さを抱えた炭治郎ですが、炭治郎は医者となったカナヲから定期検診を受けていました。

そして炭治郎はカナヲと結婚しましたので、炭治郎はカナヲの目をいたわりながらも医療に興味を示していくかもしれません。

剣術だけではなく学問でもその能力を開花していく―――

左腕と右目に不自由さを抱えた炭治郎は通常では生活しづらい面があったかもしれませんが、医療に興味を示してからは医療で生計を立てていくのかもしれません。

 

炭治郎は野口英世と会っていた?

そんな医療を学んだ炭治郎は、大正時代に野口英世に出会っていた―――

そんな可能性も考えられますね。

他の人を助けたいと願う野口英世は、心優しい炭治郎と気が合ったかもしれません。

そして意気投合して医療の将来を熱く語る二人の姿がそこにはあった。

そんな微笑ましい光景が大正時代に見られたのかもしれませんね。

 

 
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鬼滅の刃・炭治郎のその後の死亡は何歳?最終回のその後は?まとめ

ここまで鬼滅の刃の炭治郎のその後の死亡がいつ何歳頃なのか?

また最終回のその後の生活について、公式ファンブックの内容をご紹介していき、さらにその後の炭治郎の生活について考察してきました。

炭治郎は自分の痣は火傷だと考えていましたが、その後の強さの伸び方や最終的に鬼舞辻無惨を倒したことなどから、炭治郎も選ばれた日の呼吸の使い手であり、そのために額に痣があったと考えられます。

そのため炭治郎は25歳までに死亡したのではなく、病気にかからなければという条件は付きますが、70歳から80歳までは生きたのではないか?と思いたくなりました。

また炭治郎は、無惨との戦いで左腕と右目に不自由さを抱えることになりました。

その後の生計を立てるのに苦労したのかな?とも思ったのですが、鬼舞辻無惨を倒したという功績は世間一般からは評価されなかったとしても、藤の花の家紋を掲げている家々からはその大きな功績から様々な援助の手が差し伸べられたのではないか?と想像しました。

そうした周囲からの温かいサポートの中で、炭治郎もカナヲも不自由なく生活できていたかもしれません。

ただこの当時の平均寿命は50歳にも満たないほどでしたし、スペイン風邪が1918年(大正7年)に発生しています。

そんな世相を見て心優しい炭治郎は、医学を学ぶようになるかもしれないとも想像しました。

そして時代から考えると、炭治郎は野口英世という偉人に会っていたのではないか―――

そんな想像もしましたが、その後の炭治郎はお父さんから受け継いだ言葉を胸に、どんなに苦しい時にも他の人の辛さや苦しみを考えられる、本当に強い人間になろうと頑張ったことでしょう。

それでは以上で、鬼滅の刃の炭治郎の最終回のその後の生活や、その後にいつ何歳で死亡したのか?という点の考察を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 
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