キングダム嫪毐(ろうあい)は史実に実在?真の反乱の黒幕を徹底考察!

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キングダムは古代中華を舞台にした大人気マンガです。

このキングダムには多くの魅力的なキャラクターが登場してきますが、その中に異色な人物として嫪毐(ろうあい)という人物がいます。

さてキングダムに登場してくるこの嫪毐という人物は、史実には実在していたのでしょうか?

こちらではキングダム嫪毐の史実について、史記を元に詳しくご紹介していきます。

それでは最後までお楽しみください!

>>太后と呂不韋の怪しい関係とは?<<
 

Contents

   
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キングダム嫪毐とは?

さてキングダムの嫪毐(ろうあい)という人物から紹介していきますが、キングダムの嫪毐は元々や下級の文官だった人物です。

この嫪毐には特別な才覚はありませんでしたが、巨根の持ち主でした。

そんな嫪毐は自らの一物で車輪を回すなどの芸を行って、上級・中級の文官たちの接待を行っていました。

その嫪毐に目を付けたのが呂不韋(りょふい)で、呂不韋は太后との肉体関係を断つために、嫪毐を秘密裏に偽りの宦官として後宮に送り込みました。

そんな嫪毐のキングダムでの能力値は、次のようになっています。

  • 武力・・・70
  • 知力・・・50
  • 指揮力・・20
  • 経験値・・D

武力は70と予想以上に強そうです。

キングダムの嫪毐は大柄な人物のため、力はあったのかもしれませんね。

 

キングダム嫪毐は史実に実在?

ではこの嫪毐は、史実に実在した人物なのでしょうか?

この嫪毐は史実にも実在しています。

ちなみに史実での嫪毐は、呂不韋の食客(しょっかく)となっています。

ご存知にように食客というのは、客として厚くもてなされる才能を見込まれた人物のことで、食客となった人物は何かあれば主人を助ける役割を求められていました。

そして呂不韋はこの嫪毐に、宴会の余興として嫪毐の一物に桐の車輪をはめて、卑猥(ひわい)な歌に合わせて車輪を転がしてまわらせました。

それは嫪毐のウワサを太后の耳に届けるための目論見(もくろみ)でしたが、この呂不韋の目論見はズバリ的中!

太后から呂不韋に対して、この嫪毐を手に入れたいという申し出が届きます。

 

宦官になりすました嫪毐

ただ普通の男は後宮に入ることはできません。

そこで呂不韋は、嫪毐が宮刑(男性は男根を切断される刑)に値する罪を犯したことにします。

男根をなくした男(=宦官)であれば、宮廷や後宮で仕えることができるからです。

そして太后は嫪毐に刑を執行しないのに、刑を執行したことにしてしまいます。

こうして嫪毐は、あごひげと眉毛を抜いて宦官になりすまして、太后の側に仕えることになっていきます。

そして太后と嫪毐は密通を重ね、2人の子供が生まれたことも記録されています。

 

出世した嫪毐

また嫪毐と太后との間に子供ができたことは一大事でした。

しかし嫪毐は太后との関係が良好であったことから、多大な恩賞にあずかることもできましたし、召し使いは数千、食客は千人を越えるほどだったと言われています。

また嫪毐は長信侯に封じられ、さらに山陽の地を与えらえましたし、太原郡の汾河(ふんが)という地域から西側を毐国(あいこく)としています。

このように史実の嫪毐は身分が上がったことはもちろん、召し使いや食客も増えましたし、領土は広がるなど出世の一途を辿っていきます。

 

キングダムと史実の異なる点

また嫪毐については、以下の点がキングダムとは史実で異なる点です。

史実の嫪毐は呂不韋の食客 ⇔ キングダムの嫪毐は下級文官

史実の嫪毐が芸を披露したのは呂不韋の目論見 ⇔ キングダムの嫪毐が芸を披露したのは上級・中級役人の接待のため

史実の嫪毐を後宮に呼んだのは太后 ⇔ キングダムの嫪毐を後宮に送り込んだのは呂不韋

基本的にキングダムは史実を元にしていますが、ご存知のようにフィクションも混じっていますので、こうした違いは当然と言えます。

 

 
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史実の嫪毐の反乱とは?

また史実でも嫪毐は反乱を起こしています。

史実の嫪毐は、太后との間に出来た子供を秦王の後継者にしようと語っていたことになっています。

ただこの話と太后と嫪毐の間に2人の子供が生まれていたこと、そして嫪毐が宦官ではないことは、史実では秦王に密告されています。

このことを聞いた秦王・政は、すぐにこのことを表には出さずに、戴冠・帯剣の儀式(成人式の意味合いの儀式)を行いました。

しかし嫪毐は自分に災いが起こることを恐れて、仲間と通じあって王の玉璽(ぎょくじ)と太后の印璽(いんじ)を使って軍を起こし、反乱を起こすに至ります。

 

秦王・政の反撃

嫪毐の反乱を察知した秦王・政は、昌平君昌文君に反乱の鎮圧を命じます。

史実でもこの反乱軍との戦いは咸陽で行われていますが、咸陽で戦闘が行われたということは、秦にとっても非常事態ではあったと思われます。

しかし戦闘は秦王・政に軍配が上がって、嫪毐は敗走を余儀なくされます。

逃亡している嫪毐を捕まえるべく、秦王・政は懸賞金をかけて嫪毐を捜索しました。

その結果、嫪毐たちは一網打尽となってしまい、嫪毐は一族が滅ぼされ、太后との間に生まれた2人の子供も殺されてしまいます。

そして嫪毐の家臣や食客たちは財産を没収された上で、蜀(しょく)という土地に移されることになってしまいます。

こうして嫪毐の反乱は幕を閉じますが、のちに嫪毐・呂不韋のような者が出た場合、その一族の戸籍を抹消して奴隷とする、という布告が発せられることになります。

(引用:徳間書店 史記Ⅲ 独裁の虚実)

 

 
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なぜ嫪毐は反乱を起こしたのか?

ちなみにキングダムの嫪毐の反乱は、呂不韋が裏で工作したもので、この戦いで秦王を破った反乱軍を呂不韋が自ら鎮圧することで、呂不韋は秦王となり秦の全てを手に入れようとしていました。

ではなぜ史実の嫪毐の反乱は、なぜ起こったのでしょうか?

史実の嫪毐の反乱は、嫪毐本人が起こしたことになっています。

ただこの反乱に呂不韋の関与も記されていますが、呂不韋がどこまで反乱に関与していたかまでは明らかではありません。

呂不韋は単に嫪毐を太后にすすめただけかもしれませんし、嫪毐に反乱を「そそのかす」ぐらいは行ったかもしれません。

もしくはキングダムと同じように、本当の首謀者は呂不韋だったのか・・・

嫪毐の反乱に対する呂不韋の関与の度合いは、いまだにベールに包まれていると言えます。

 

嫪毐は野心を抱いた?

または嫪毐は太后との関係から、著しい出世を遂げています。

これだけの立身出世をしたら、嫪毐が野心を抱いたとしても不思議はありません。

また咸陽での反乱を起こした点からは、嫪毐が狙っていたのは秦王の座でしょう。

それが可能か?と思えるほどの力を持ったがゆえに、嫪毐は自らの意思で反乱を行ったのかもしれません。

嫪毐にとっては一世一代の博打だったことは確かだと思いますが、その夢は破れることになってしまいます。

 

周囲の人が嫪毐に反乱をそそのかした?

または嫪毐の周囲の人物の誰かが、嫪毐に「秦王になれる器だ」などと吹き込んで反乱をそそのかした可能性も否定できないところです。

その人物は自らのさらなる立身出世を求めていたのかもしれませんし、嫪毐をそそのかした人物がいれば、その人物こそ野心あふれる人物だったことでしょう。

ちなみに史実では反乱鎮圧後、以下の人物が車裂きの上でさらし首となり、一族まで皆殺しにされています。

  • 衛尉:竭(けつ)
  • 内史:肆(し)
  • 佐弋:竭(けつ)
  • 中大夫:令斉(れいせい)

※衛尉、内史、佐弋、中大夫はそれぞれ中国の官名です。

これだけ厳しい処分を下されたということは、このうちの誰か、または複数が嫪毐に反乱をそそのかしたのかもしれませんね。

 

他国の人物が嫪毐に反乱をそそのかした?

またキングダムではの国も、毐国の膨張に加担していました。

同じように嫪毐の反乱の黒幕は、他の国の誰かという可能性は否定できません。

それは楚の国の策士なのか、それとも趙や韓、魏の誰かなのか・・・

他の国にとっては秦国の弱体化という目的のために、嫪毐を裏で操ろうとしても不思議ではありません。

ただ史実としては嫪毐の反乱に、他の国が関与したという記録は残されていません

とはいえ他の国の誰かの関与は密かに水面下で行われて、明るみにならないように徹底的に情報封鎖された可能性は考えられます。

果たして他の国が、嫪毐の反乱の真の黒幕なのでしょうか?

 
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李牧が嫪毐の反乱の真の首謀者か?

または嫪毐の反乱の真の首謀者は、李牧という線はないでしょうか?

ご存知のように李牧は史実では非常に優れた武将で、この時期の秦の侵攻を防いだのは趙の李牧楚の項燕だけだと言われています。

また李牧は秦の侵攻を防いでいましたが、最終的に「敵に内通している」というニセ情報を流された結果、王に逮捕されて処刑されてしまいます。

しかし趙は李牧が亡くなった数か月後に、趙は滅びることになりました。

趙は同じ国力であるにも関わらず、李牧がいるかいないかで全く結果が変わったほどです。

李牧はそれだけ趙にとって重要な人物でしたが、この李牧が嫪毐の反乱の真の黒幕という考えも面白そうです。

 

年代で考えると李牧黒幕説は無くはないものの

ちなみに李牧は紀元前243年には燕を攻略しています。

つまり李牧が中央の将軍として歴史に登場したのが、紀元前243年頃になります。

一方で嫪毐の反乱が起こったのは、紀元前238年のことでした。

ということは李牧が中央の将軍となってしばらくしてから、嫪毐の反乱が起こったことになるので、李牧が嫪毐の反乱を裏で操っていた可能性は残されていることになります。

ただ李牧は戦いが優れた武将であって、裏工作が得意な人物なのかは分からないところです。

李牧が嫪毐の反乱の黒幕というのは興味深いとは思いますが、真相は闇の中ということになります。

 

 
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キングダム嫪毐の史実と黒幕は誰? まとめ

ここまでキングダムの嫪毐(ろうあい)の史実と、史実の反乱の黒幕は誰かを考察してきました。

嫪毐は史実に実在した人物で、自らの巨根で目覚ましい立身出世を遂げた人物です。

ただ実力や成果ではない立身出世は、周囲からは悪く思われていたようです。

しかし目覚ましい立身出世をした当の嫪毐本人は、自らの能力を過信してしまったのか、野心を膨らませてしまい、自らの破局を招いてしまったようです。

ただ嫪毐の周囲の人間が反乱をたきつけた可能性はもちろん考えられますし、呂不韋がどれだけ関与していたかも真相は明らかになっていません。

また他国の人物が嫪毐に反乱を起こさせて、秦の国力を削ごうと考えても不思議ではなく、真の黒幕は誰か?という点はベールに包まれています。

歴史はそんな想像をすることが魅力の一つですが、それでは以上でキングダム嫪毐の史実や反乱の真の黒幕に関する考察を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 
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