キングダム悼襄王(とうじょうおう)の最後は?趙での史実の姿を振り返る

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キングダムの趙王に悼襄王(とうじょうおう)という王がいます。

この悼襄王はキングダムの中で李牧も暗いと評しているように愚かな王として描かれていますが、この悼襄王は史実に実在の人物ですが、同じように愚かな王なのでしょうか?

まずは悼襄王の史実での姿をひも解いていき、愚かな王だったのかを検証していきます。

またこの悼襄王はキングダムの中では、朱海平原の戦いの敗戦の責任を李牧に問い、李牧を斬首刑に処することを決断しています。

そのことに怒った舜水樹の発言だったのか、王を殺してでも李牧を助けるとの不穏な発言が聞かれています。

実際に史実でも秦の鄴攻めが起こった年にこの悼襄王は死亡していますが、それではこの趙王の悼襄王は舜水樹たちに殺害されてしまうのでしょうか?

それとも趙王は別の形での最後を迎えるのでしょうか?

実際にキングダムでは644話で悼襄王の最後が描かれましたが、こちらの記事ではキングダムでの趙王・悼襄王(とうじょうおう)の最後の死亡について予想・考察をしていき、実際のキングダムの中での悼襄王の最後についてもご紹介していきます。

最後までお楽しみください♪

 

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キングダム趙の悼襄王(とうじょうおう)の史実の姿は?

紀元前244年

では、まず趙王の悼襄王(とうじょうおう)の史実での姿からご紹介していきます。

この悼襄王が即位したのは、紀元前244年のことと言われています。

この紀元前244年は、キングダムで言えば王騎が李牧と龐煖(ほうけん)によって討たれた年のことになります。

この年に即位した悼襄王は、魏を攻めていた将軍を廉頗(れんぱ)から楽乗(がくじょう)に交代させます。

このことを不満に思った廉頗は怒って楽乗を攻撃。

そのまま廉頗は攻めていた魏に亡命することになります。

王になって何かをしたいと考えたのかもしれませんが、廉頗という名将の尊厳を考えずに魏へ亡命させてしまったことは、この悼襄王の愚かな一面を表していたかもしれません。

ただ人間、過ちは犯すもの。

ここから悼襄王は新たな人材を登用する姿を見せていきます。

 

紀元前243年

その後、紀元前243年には悼襄王は北方の匈奴(きょうど)という異民族に対する守備を任されていた李牧を将軍として登用。

李牧に燕を攻撃させて武遂(ぶすい)と方城(ほうじょう)という二つの城を攻め落とすことに成功しています。(これは紀元前244年とする説もあるそうです。)

 

紀元前242年

また紀元前242年には学者であった龐煖(ほうけん)を将軍に起用。

龐煖を侮っていた燕軍を討って、燕の将軍・劇辛(げきしん)を討ち取っています。

このように史実をひも解くと、人材の登用は積極的に行っていた様子も垣間見ることができます。

 

紀元前241年

ただ紀元前241年には龐煖を将軍として、趙・楚・魏・燕の4か国の軍勢で秦の蕞(さい)を攻めましたが「不抜(抜けなかった)」

キングダムでは蕞に秦王・政が現れて、蕞の民衆を鼓舞した姿が印象的でした。

 

紀元前236年

その後は紀元前236年には龐煖を将軍として燕を攻撃。

龐煖は燕の複数の城を落とすことに成功しますが、この年に秦の鄴攻めを受けてしまいます。

そしてこの年に悼襄王は死亡することになっています。

 

悼襄王の史実の姿をまとめると

全体的に見ると、悼襄王の時には趙は燕には強かったものの、秦に対しては攻撃は成功せず、秦の侵攻を止めることはできませんでした。

長平での戦いで40万人以上を失ってから、趙が傾いていくのを止められなかった王と言えるかもしれません。

これはこの時代の流れとして仕方ない面があったとは思います。

 

悼襄王は男色もあった?!

またキングダムの中では、悼襄王の周辺には男の子が奉仕している場面が描かれています。

歴史をひも解けばこうした男色は決して珍しいことでもありませんが、どうも悼襄王にも同じような男色は確かにあったようです。

キングダムの中でも春平君(しゅんぺいくん)という美少年を、悼襄王が寵愛(ちょうあい:特別に可愛がる)していたことが描かれていました。(単行本17巻 第175話「李牧、咸陽へ」)

キングダムの中ではこの春平君が拉致(らち)されて、その交換条件として宰相(さいしょう:日本で言えば総理)に迎えに来させるように呂不韋が仕向けていました。

史実ではここは少し違って、春平侯(しゅんぺいこう)という悼襄王の兄がいて、確かにこの春平侯は秦に行きましたが、この春平侯は秦で拉致されておらず趙に返されています。

ただこの悼襄王の兄の春平侯が、悼襄王の寵愛を受けていたことは記録に残されています。

ですので悼襄王の男色は確かにあったことのようですね。

 

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悼襄王(とうじょうおう)の最後は臣下に殺害?

趙王は臣下に殺害される?!

それでは次に趙の悼襄王(とうじょうおう)の最期について考察・予想していきますが、640話では扈輒(こちょう)将軍もこの悼襄王を愚かだと評しています。

そして李牧を斬首にするという行為に対して、舜水樹も悼襄王に対して怒りをあらわにしていました。

また馬南慈も李牧を救うのに力を貸して欲しいと、列尾の扈輒将軍や舜水樹に依頼しています。

そして舜水樹の言葉だったのか、「王を殺してでも李牧様を助ける」という不穏な発言も聞かれています。

ここから推測されるのは、李牧を救うために舜水樹たちが趙王を殺害することが考えられます。

ただまずは趙王に対して、李牧の斬首を思い止まるように直訴することから始めるでしょうね。

それが受け入れられない場合に、趙王殺害計画が実行に移されると思いますが、それではどのような形で悼襄王を殺害するのでしょうか?

 

趙王に直訴したその場で趙王を殺害する?!

まず考えられるのは、趙王に直訴したその場で剣を抜く手段です。

舜水樹や馬南慈、扈輒将軍の誰かが剣を抜いて、暗愚な趙王を亡き者にしてしまう。

そして李牧救出も実行してしまう方法です。

ただ趙王に直接面会ができる場で、剣を帯びることが許されるのか?

趙王に面会する前には、どこかで剣を預けることが求められるのかもしれません。

それを考えて見つかりづらい短刀を忍ばせておくのか。

それとも趙王への面会を取り継ぐ人物を、金銭その他の方法で味方にしておくのか。

ただ他の人物を味方にしようとすれば、李牧救出作戦が趙王側に知られてしまうかもしれず、情報の流出をふせぐためには信頼できない人物を味方に引き込むのはリスクがあるかもしれません。

また短刀を忍ばせておいて趙王を殺害するとしても、短刀で脅せば趙王は屈するようには思います。

自分の命を捨ててまで李牧斬首にこだわる理由は見当たらず、趙王を短刀で脅した上で李牧を救出するのなら、ここで趙王は殺害されないことも考えられます。

暗愚な王だけに李牧救出を機に、李牧も光を見出していた太子・嘉(か)を次の趙王に即位させるべく、ここで悼襄王を殺害してしまおうと考えるのか?

この点はどうなるかは予測が難しいところだと思います。

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暗殺によって趙王を討ち取る?!

また趙王に直訴したその場で趙王を殺害できない場合には、次に考えられるのは趙王の暗殺です。

キングダムでは羌瘣(きょうかい)は蚩尤(しゆう)という暗殺者集団の末裔(まつえい)として描かれています。

またこれまで秦王・政を暗殺すべく、朱凶(しゅきょう)や号馬(ごうま)といった刺客集団も登場していました。

そうした暗殺者集団を雇った上で趙王を亡き者にする。

それが舜水樹たちの趙王暗殺計画なのかもしれません。

そして趙王亡き後の混乱に乗じて、李牧を救出するのが舜水樹たちの作戦ということも考えられます。

 

軍事衝突による正面突破

または軍事衝突によって李牧を救出することを舜水樹たちは考えているのかもしれません。

ただ趙王を守る邯鄲(かんたん)の王都軍は精強な軍勢として知られています。

楚の媧燐(かりん)もこの王都軍が出てくれば、王翦(おうせん)軍さえイチコロだったと評価しています。

また李牧を捕らえにきた王印の騎士団も、カイネたち李牧の側近の背後をいとも簡単に行うほど優れた身体能力の持ち主でした。

もしかすると趙の誇る邯鄲の王都軍は、個人個人がそれほどに精強な軍隊なのかもしれません。

とはいえ邯鄲の守護者との名を誇る扈輒(こちょう)将軍は、李牧がいなくなれば趙は終わると言うほどの人物です。

言うなれば扈輒将軍は李牧派の人物であり、扈輒将軍が王都軍の将軍になることはないはずです。

そうなると趙王側には優れた武将はいないかもしれません。

また軍隊は率いる将によって、その強さが変わるはず。

優れた将のいない王都軍は、舜水樹や馬南慈、扈輒将軍の軍略によって倒せる相手なのかもしれません。

ただ大々的な趙国内部での軍事衝突は、趙の国力をそぐことになりますので、出来る限り避けたい選択肢と言えるかもしれません。

 

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悼襄王(とうじょうおう)の最期は病死?!

悼襄王は病気がち?!


またはキングダムでは趙の悼襄王は、病(やまい)がちな王として描かれています。

そのためにどこかで寿命が訪れてしまい、早くに死ぬことを本人も自覚しているのか?

それゆえに「国がどうとか 民がどうとか 後のことまで知ったことか」と、キングダムの中では悼襄王が語る場面があります。

この発言を聞いて李牧は趙王の暗さを思いますが、しかしどうしようもないこと。

ここから秦に対抗すべく李牧は出陣していくのですが、では趙王の最期に話を戻していきます。

病(やまい)がちな悼襄王ですので、ここから普通に悼襄王は病死を迎えてしまうという展開も考えられるのかもしれません。

 

趙王崩御(ほうぎょ)の混乱の中で李牧が陣頭指揮を取る?!

また李牧斬首を決断した悼襄王が病死という形での最期を迎えることで、趙の内部は混乱してしまうことが想定されます。

そんな混乱に乗じて趙は他の国からも趙は攻められてしまうかもしれませんし、それは中華六国だけではなく北方の匈奴(きょうど)という異民族から攻められることになるのかもしれません。

この匈奴からの侵攻に手を焼いた趙は、匈奴に対して李牧を向かわせる。

そこで李牧は斬首を逃れる。

そんな展開が待っているのかもしれません。

元々史実でも北方の匈奴との戦いで功績を上げた李牧。

ここで北方からの匈奴の侵攻に備えて、李牧が陣頭指揮を取るようになるのかもしれませんね。

 

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キングダムでの悼襄王は毒殺?

毒殺かは明記されていない?

ではここから実際のキングダムでの悼襄王の最後を見ていきましょう。

悼襄王が死んだのは、キングダム第644話でのこと。

ここで李牧処刑を思い止まるように悼襄王を諫(いさ)めていたのは、息子の太子・嘉(か)でした。

しかし悼襄王は太子・嘉の右耳を噛みちぎるという奇行に走ります。

李牧を慕うカイネや舜水樹たちも、李牧救出のために処刑場に李牧が現れた時に救出することを考えていました。

そして悼襄王は、桃泉殿(とうせんでん)と名付けられた風呂場に子供たちと一緒に過ごしていました。

悼襄王はそのお風呂の中でお酒を飲んでいるとお酒を吐き出す場面があり、風呂場から上がると悼襄王の胸がズキンと痛みます。

そしてそのまま倒れると、悼襄王の口やお尻からも血が出る始末。

悼襄王は子供たちに医師を呼ぶように伝えるものの、王に侍(はべ)る子供たちは冷めた目で、そして悼襄王をバカにするかのような笑みを浮かべます。

それを見た悼襄王は、近くに侍る子供たちからも心の底では馬鹿にされていたことに絶望するかのような表情を浮かべて、そのまま風呂場で絶命してしまいます。

644話の中で、悼襄王は周囲の人たちから馬鹿にされていたような描写が見られましたが、最後に信頼を寄せていた身近にいた子供たちからも馬鹿にされていたことが分かった時は、大きな失意を感じたと思いますし、そのまま最後を迎えたことは悲劇的な最期だったと言えると思います。

自業自得の面があるにせよ、悼襄王の最後は何だか哀しい最後でしたね。

 

悼襄王は毒殺された?

ただこの悼襄王の死因はキングダムの中では、まだ明らかにされていません。

悼襄王の死に方からは毒殺のように思えますが、病気による死亡の可能性はまだあり得るのかもしれませんし、毒殺であれば犯人は誰だったのか?

この点もまだ明らかになっていません。

李牧処刑を阻止するために、李牧派の人物が悼襄王の毒殺を狙ったのかもしれませんが、すでに李牧派が武力行使に出ていた点からは、少し間違えると王毒殺の疑いが向けられやすい立場ともいえます。

王を毒殺した、または王を毒殺した犯人に仕立て上げられてしまうと、王に歯向かう逆賊というレッテルを貼られてしまい、立場が不利になることも考えられます。

そうした選択を舜水樹たち李牧派が選んだのであれば、それは李牧派の先読み能力が甘いと言えるように思います。

そうなると犯人は誰だったのか?

太子・嘉という線もあるかもしれませんが、父の悼襄王に耳を噛みちぎられたとはいえ、名君の予感漂う嘉がそのようなことをするとは考えにくいと思います。

では悼襄王が亡くなって得をするのは誰なのか?

もしも英書記官から悼襄王の次の王が遷(せん)になっていることが、遷の母親である江姫(こうひ)に伝わっていたとすれば、という条件付きですが、そうなると自分の息子を早く王にしたいと考えたこの江姫が、悼襄王毒殺の犯人なのかもしれませんね。

 

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まとめ

ここまでキングダムの趙王・悼襄王(とうじょうおう)の最期について考察してきましたが、いかがでしたか?

640話での「王を殺してでも李牧様を助ける」という不気味は発言からは、李牧を救うために趙王の悼襄王を殺害する計画を舜水樹たちが立てることが予想されました。

ただ考えてみると王を殺害してしまえば、王に歯向かう逆賊というレッテルを貼られてしまい、自分たちにとって不利になる行為だと思われます。

大義名分を失ってしまうと味方をしようとする人も少なくなりますしね。

ただ暗殺者を雇って趙王を亡き者にする。

暗殺者は口も堅いはずで、犯人が漏れる心配はないという意味では一つの魅力的な方法だったかもしれません。

ただ悼襄王のその最後は644話で描かれましたが、毒殺だったのか?と思えるような死に方でした。

また悼襄王は周囲の子供たちからも馬鹿にされていることが最後に分かり、身から出たサビとは言え何とも哀しい最後を迎える結果になっています。

歪(ゆが)んだ王だっただけに、そんな最後こそふさわしかったのかもしれませんが、周囲の臣下の諫(いさ)める言葉に耳を傾けていれば、こんな最後を迎えずに済んだのかもしれませんね。

それではこれで、キングダムの悼襄王の史実での姿とその最期に関する予想・考察を終わります。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

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