キングダム政の母・太后と呂不韋・ろうあいの関係は?最後は子供がラスボス?

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キングダムは古代中華の秦の始皇帝の時代を描いた大人気漫画です。

このキングダムは秦の始皇帝である政が、主人公側のキャラクターとして登場してきますが、この政の母親・太后もキングダムでは重要な役割を果たしました。

今回はそんなキングダムの政の母親である太后に注目していきます。

太后と呂不韋・嫪毐(ろうあい)はどういう関係だったのでしょうか?

また太后が絡んだ反乱の経緯や結末、そして太后の2人の子供が生き残っていますが、もしかするとこの2人の子供がキングダムのラスボスになるという展開はないでしょうか?

こちらではキングダム政の母・太后と呂不韋・嫪毐の関係や、太后の絡んだ反乱を振り返っていき、最後に太后は2人の子供と出会えるのか?について考察していきます。

それでは最後までお楽しみください!

>>政の死因は毒殺だった?<<
 

Contents

   
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キングダム政の母親・太后の過去が悲惨!出身地は趙?

まずキングダムの太后についてですが、この女性は政の母親として登場してきます。

この太后は元は趙の国の女性で、清純と気品に満ちた美貌を持ち、「邯鄲(かんたん:趙の首都)の宝石」とも「美姫(びき)」とも呼ばれていました。

そしてこの太后は一流の舞姫という栄誉もあって、多くの男たちにチヤホヤされる中、この太后のハートを射止めたのがあの呂不韋でした。

その当時の太后は、呂不韋との幸せな未来を思い描いていましたが、呂不韋は政の一代前の秦王となる子楚という人物に、全財産をつぎ込んで肩入れしていたんですね。

子楚が王位についたら、呂不韋は自らを丞相にするという約束の元、呂不韋は当時貧困にあえいでいた子楚を援助していたわけです。

ある時、太后は呂不韋から子楚を愛するようにと言われてしまい、太后は子楚と結ばれることとなってしまいます。

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調べるとこの辺りは史実でも同じですね。

しいて言えば史記では太后のことを「邯鄲の舞姫の中でも、とりわけ美形で踊りの上手な女」と記されています。

「邯鄲の宝石」や「美姫」といった名称はキングダムでの呼び方ということになります。

 

太后の初登場はいつ何巻何話?

またこの太后の初登場は何巻何話かと言いますと、単行本17巻・183話「第三勢力」の回のことになります。

初登場の太后も美しく、年をとらぬと噂されるほど若々しく、男根を失った宦官たちでさえ性欲を覚えるほどの色香があったことになっています。

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政の母・太后の名前は何と言うの?

ちなみに政の母親である太后の実の名は分かっていません。

太后というのはご存知のように、前の皇帝の皇后(こうごう:嫁)の地位の名称です。

ただ趙の出身であることから、趙姫(ちょうき)と言われることがあります。

 

政の母・太后は何歳?

ちなみに政の母・太后は史実で年齢が分かっています。

生まれた年が紀元前280年で、最後に死亡したのは紀元前228年。

死亡したのは53歳のことだったとされています。

280-228=52ですので、当時の中国は数え年(生まれた年を1歳とする年齢の数え方)ということになります。

ちなみに母・太后の初登場は、紀元前242年のことになっています。

(参考:公式ガイドブック戦国七雄人物録 P26)

ですのでこの太后の初登場時の年齢39歳ということになります。

(280-242+1(数え年のため1をプラス)=39)

また母・太后たちの反乱が失敗に終わったのは、紀元前238年のことです。

ですので、この時の母・太后の年齢は43歳ということになります。

(280-238+1=43)

 

太后と呂不韋の馴れ初めは?

キングダム 政 母親 太后 呂不韋 馴れ初め

(引用:キングダム)

また政の母親の太后と呂不韋の馴れ初めですが、キングダムでは大量の花や宝石を呂不韋が太后に送ったことが描かれていました。

キングダムで描かれていたのはこの点のみですが、かつては「邯鄲の宝石」と呼ばれていた太后ですので、有名な女性であり呂不韋もその姿を見て知っていたことでしょう。

そんな太后のハートを射止めるために呂不韋が準備したのが、大量の花や宝石だったというわけです。

のちに太后は呂不韋のことを「これほど欲情をかり立てられる男はいない」と思っていましたので、その後の2人は大恋愛に落ちたものと思われます。

 

悲惨な過去を持った太后

キングダム 政 母親 太后 過去 悲惨

(引用:キングダム)

ただ太后はその後、子楚に譲られることになり、政を生むことになります。

そして秦は長平の戦いで40万もの趙の人々を生き埋めにしたことから、政と太后は趙で侮辱や虐待を受けたことになっています。

また太后の夫である子楚は秦に脱出したことになっていました。

孤立無援となった太后は、趙の人たちの悪意のただなかで生きることを余儀なくされ、実の子である政を含めて周りの者全てを憎悪したことになっています。

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この点は調べると史実と少しだけ違いがあります。

確かに史記でも秦が王騎将軍に趙の邯鄲を攻めさせたため、趙は子楚の命を狙いました。

そこで子楚は呂不韋を対策を立てて秦に脱出しています。

その後の太后と政も趙から命を狙われますが、太后が趙の豪家の娘だったため、家の力によって身を隠すことができ、母子ともに命を長らえたことになっています。

太后も政も命の危機はありましたし、太后たちに対する風当たりは強かったと思いますが、家が豪華で身を隠せた点はキングダムと史実で違いがあります。

 

その後、太后がどのように秦に戻ったのか?

この点はキングダムと史記は同じで、子楚が太子(次の王位を継ぐ地位)になると、趙から子楚の夫人である太后と子供の政が丁重に送り返されたことになっています。

 

 
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キングダム政の母・太后は呂不韋と密通?

さて秦に戻った政の母・太后は、子楚が荘襄王として秦王になると皇后に、その荘襄王が3年で亡くなってその子の政が秦王になると、太后という地位につくことになります。

そしてキングダムでは政と呂不韋の勢力争いが起こっていました。

時に呂不韋は暗殺者集団を差し向けてまで、政の命を狙ったこともありました。

そんな呂不韋を政は裁くことができず、力の差を見せつけられましたが、政は太后の率いる後宮の勢力を味方につけようと太后に頭を下げに行きます。

しかし太后は呂不韋派につくことを決意。

ただそこには呂不韋が太后を満足させるという条件がつけられていました。

そんな太后と呂不韋の姦通の場面は、単行本18巻・186話「美姫の面影」、そして18巻・188話「奇貨居くべし」に掲載されています。

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太后と呂不韋の姦通が発覚!

その後、キングダムでは呂不韋と太后が姦通していることが、政の側室の一人である向から政に伝わることになります。

政の陣営はこの情報を活用。

世間にこの話を流していき、さらに後宮の三大宮家が呂不韋陣営に向かったことで、この噂は真実味を帯びることになりました。

そこで呂不韋は事が収まるまで太后の密会の誘いを先延ばしにしようとしていましたが、太后には呂不韋の都合は通じず、噂が広まっている中で太后は呂不韋との密会を重ねることになっていきます。

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史実でも太后と呂不韋が密通を重ねていたことは事実のようです。

ただその経緯は、政と呂不韋の勢力争いだったとは史記には書かれていません。

昔の恋人同士だったことは史実でも確かなので、この点から2人は昔を思い出すように燃え上がったのかもしれません。

ただ史実での呂不韋は太后との関係が露見することを恐れていて、どちらかというと太后の方が燃え上がっていたようです。

 

 
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キングダム政の母・太后は嫪毐(ろうあい)と熱愛?

その後の政の母・太后はしばらくキングダムでは出てきませんでしたが、著雍(ちょよう)の戦いが終わった後で久しぶりに登場してきます。

そして太后は「山陽」と「著雍」を後宮勢力がもらうと言い始めます。

そこで嫪毐(ろうあい)という宦官が登場してきて、太后は山陽の長官はこの嫪毐に任せると言い出します。

この嫪毐という人物は宦官(去勢されて後宮に仕える男の役人)の身分ですが、呂不韋が太后との肉体関係を終わらせるためにひそかに後宮に送り込んだ男娼であり、去勢されていない男だったのです。

 

太后が嫪毐に見せた悲しみの姿

こうして太后の夜の相手をすることになった嫪毐でしたが、嫪毐を相手にしていた太后は嫪毐に涙を見せることがありました。

これは38巻・409話「何もない男」に掲載されています。

それまでは太后が鬼のように乱れ狂う姿に恐ろしさを感じていた嫪毐でしたが、太后の涙を見て太后が深く傷ついていることを理解することになります。

そして嫪毐は自分が必要とされていることに感謝しつつ、太后の苦しみを取り除こうとするようになります。

この時の嫪毐は太后のことを本気で好きになったようですね。

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太后の涙のワケは?

さてこの太后の涙のワケは何だったのでしょうか?

呂不韋から嫪毐をあてがわれた哀しみだったのでしょうか?

それとも自らの運命を悲観した涙だったのでしょうか?

この点はキングダムでは明らかにされていませんが、太后も嫪毐のことを心安らげる相手だと感じたのか、太后は心を休めるという願望を胸に抱くようになっていきます。

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史実での嫪毐も同じ理由で太后にあてがわれています。

ただ経緯は少し違っていて、呂不韋は嫪毐を自らの食客(客としての待遇で養われている人物)にしました。

そして宴会の余興として、嫪毐の一物に車輪をはめて、卑猥な歌に合わせて車輪を転がして回らせたそうです。

それは太后に噂を聞かせて気を引く作戦だったようですが、その狙いはズバリと当たって太后の方からその男を手に入れたいという申し出があったようです。

キングダムでは太后は嫪毐をあてがわれたようになっていますが、史実では太后の方から望んで嫪毐を求めたようです。

 

 
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太后と嫪毐の狙いは国造り?

キングダム 太后 政 母親 ろうあい

(引用:キングダム)

その後、秦の古都・雍(よう)で太后と嫪毐(ろうあい)は過ごしていましたが、李斯はこの太后たちの情報を得るために朱凶(しゅきょう:暗殺者集団)をスパイとして放ちます。

そこで朱凶が聞いた内容は、山陽の地に国を創るということ。

また政の母・太后と嫪毐の間には2人の子供がいることも判明しました。

しかし朱凶はここで何者かに討たれてしまいます。

それが上の画像の場面ですが、朱凶を襲った人物の衣装は、キングダムの当初に信を襲ったムタと同じものです。

ムタは南の越という国の「ベッサ族」の出身でしたが、このベッサ族を雇って朱凶を殺害した人物は誰なのか?

この点はキングダムでは描かれないまま、この話は終了しています。

(おそらくベッサ族を雇った人物は、政の勢力をそごうとしていた呂不韋だと個人的には思いますね。)

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史実でも太后が嫪毐に夢中になり、2人の間に2人の子供がいたことが分かっています。

また2人の間に子供が生まれてからは、その事実が漏れては一大事なので、インチキ占いで厄を避けるという理由で都を離れ、旧都の雍に移ったことが分かっています。

そして嫪毐は太后の側を離れず、奥向きの用件を一手に決済するようになり、召し使いは数千にのぼるようになったと言われています。

 

太后と嫪毐は毐国を創る

キングダム 政 母親 太后 ろうあい 毐国

(引用:キングダム)

その後、キングダムでは太后と嫪毐(ろうあい)は2人の発言通り、毐国(あいこく)を創ることになっていきます。

場所は太原(たいげん)という地で、上の画像の場所になります。

当初は一般人も列国の首脳たちも、宣言だけの建国は実を結ばないと考えていましたが、趙高(ちょうこう)という才能ある宦官のもと、毐国は着々と国としての形を整えていくことになっていきます。

また毐国は楚とも連携。

楚が秦に侵攻してきたことで、秦は毐国に向けて大軍を送ることが出来ない状況になっていきます。

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史実では秦は紀元前239年に、嫪毐を長信侯(ちょうしんこう)という身分にして、山陽の地を与えています。

そして太原郡の汾河(ふんが)より西側を毐国にしたことが分かっています。

 

毐国、反乱を起こす

ただキングダムでは政の母・太后たちは毐国を創ったものの、当初は太后も嫪毐(ろうあい)も秦に反旗を翻(ひるがえ)すつもりはありませんでした。

秦の咸陽を落とすには、莫大なお金が必要になるからで、それが不可能であることを太后は薄々感じていたようです。

太后の目的は、あくまで嫪毐と共に心を休める場所を見つけることだったのですが、どうも楚から潜入したであろう虎歴(これき)が毐国を暴走に持って行こうと策謀を巡らせていきます。

どうも虎歴は毐国の家臣を大金で買収。

そして太后と嫪毐の間に生まれた子供のことが咸陽にバレた、咸陽は毐国を討つために軍を興す準備に入った、だから毐国から先に先手を打つべし。

こうした話を虎歴は嫪毐に持ち掛けます。

この話に嫪毐は乗りませんでしたが、毐国の家臣たちは咸陽から討たれる前に先手を打つべきと言う声が多数を占めることになっていきます。

そこで虎歴は挙兵か?太后と嫪毐と2人の子供の首を咸陽に送って許しを請うか?

この二択を太后に迫ります。

こうして太后は挙兵することとし、秦王・政の「加冠の儀」を狙って咸陽を狙うことを決断することになります。

忍者
史実では嫪毐が自ら反乱を企てたことになっています。

史実の記録では反乱への太后の関与は記されていませんが、欲を抱いた太后が嫪毐をそそのかした可能性はあるのかもしれませんね。

 

加冠の儀が始まるが

そしてキングダムでは、ついに政の「加冠の儀」が始まります。

加冠の儀というのは、国内外の人民に成人した王の誕生を示す政治的な式典のことです。

この加冠の儀には太后も参加しますが、政たち咸陽の家臣たちからは太后の隠し子のことが判明している様子は感じられず、咸陽が毐国討伐の軍を興している様子も見られません。

そこで太后は気づくことになります。

この毐国反乱は呂不韋が仕組んだものであることに。

この反乱軍には呂不韋の息のかかった者も多くいて、呂不韋は咸陽を火の海にして秦の王族を根絶やしにすることを狙っていました。

そして反乱軍は加冠の儀にも乱入して、秦王・政も始末する予定でした。

その惨劇は反乱軍の非道さを際立たせるのに充分。

そこで呂不韋が蒙武を従えて反乱軍を討つという計画を立てていました。

こうして呂不韋は余さず秦国の全てを手に入れる。

呂不韋はそうした計画を立てていて、これに気付いた太后はまたしても利用されたことに怒りを露わにすることになります。

 

玉璽で秦の兵を際限なく興そうとする反乱軍

そして反乱軍は咸陽に向けて進行中。

その数は3万との報告が上がりますが、その反乱軍の兵力の多さに玉璽が複製されていることを政は気づきます。

複製されたその玉璽が効力を発揮するなら、反乱軍は秦の国内から際限なく兵を集められることになります。

太后は呂不韋の蒙武軍に対して、圧倒的な兵力差で戦いを挑む決意を見せることになります。

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史実でも嫪毐は王の玉璽(ぎょくじ)と太后の玉璽を盗んで、兵士に命令を発して反乱をしようとしたとされています。

玉璽を盗んでいたことから、秦国内でいくらでも兵を興せた可能性は高いのかもしれません。

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討伐軍が反乱軍を鎮圧する

さて加冠の儀を終えた政でしたが、咸陽には反乱軍が迫っていました。

ここから政の陣営から、昌文君と壁が反乱軍の鎮圧に向かいますが(李信はすでに反乱軍の鎮圧に向かっていました)、ここで驚きの事態が起こります。

呂不韋陣営だと思われていた呂氏四柱の一人である昌平君が、このタイミングで呂不韋と袂を分かつことを決断するのです。

この時の昌平君が呂不韋に言った「世話になった」という言葉は、キングダム昌平君の名言の一つとなっています。

>>昌平君は最後に裏切る?<<
 

咸陽攻防戦はピンチの連続

そこから咸陽攻防戦が始まりますが、反乱軍を率いるのは樊於期(はんおき)、樊琉期(はんるき)の親子でした。

咸陽も反乱軍に宮中まで入り込まれてしまい、政の側室の一人である向ちゃんとその子供も命が狙われる事態になります。

そこで向ちゃんの親友の陽ちゃんが、向ちゃんたちを守るために敵の騎馬の前に立ちふさがりますが、陽ちゃんの間近に騎馬が迫った時に現れたのが李信でした。

そして李信は樊琉期を捕まえて、まずは向ちゃんや子供を救い出すことに成功します。

 

昌平君が敵将・ワテギを討ち取る

また咸陽の場外では、河了貂が残りの飛信隊を率いて戦っていましたが、不利な状況に陥っていました。

そこにさっそうと現れたのが昌平君の一団で、ここから敵将・ワテギを昌平君が狙います。

この時の昌平君が実行した戦法は「包雷(ほうらい)」という戦法で、敵の左右背後を囲んだ上で中央からの主攻で敵の将を仕留めるものでした。

また知略にあふれる昌平君でしたが、この戦いでは武力の高さも披露します。

包雷を受けて主攻の中央軍に突っ込んでくる敵将・ワテギでしたが、昌平君は二太刀でこのワテギの首を討つことに成功します。

ここに毐国の反乱は失敗に終わることになり、嫪毐は生け捕りにされて咸陽に送られることになります。

ここから反乱軍の処分が始まることになっていきます。

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史実での反乱軍の鎮圧は、もっとあっさりと書かれています。

秦王政は反乱軍を察知すると、昌平君・昌文君に命令を下して、兵を率いて嫪毐を攻撃させます。

戦闘は咸陽で行われ、敵の首を斬ること数百、戦功をあげたものにはみな爵位を与えた。

嫪毐は敗走し、国中に嫪毐を生け捕りにした者には銭百万、殺した者には五十万を与えるという布告が下された。

嫪毐の一味は一網打尽となった。

また呂不韋も嫪毐事件に関与したとして、この時免職処分になっています。

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反乱軍の処分

ここから反乱軍の処分が始まりますが、嫪毐(ろうあい)は車裂きの刑に処せられることになります。

ここで太后が処刑の場に進み出てきて、この反乱は自らが仕組んだことを明かします。

「嫪毐を車裂きにするなら、その前に太后を車にかけろ。」

それが太后の言葉でしたが、太后は嫪毐に愛を感じていたでしょう、この場面では太后は嫪毐を救おうとしていたようです。

ただ政はそれを認めることはありませんでした。

 

太后の2人の子供の処分は

また太后は自分と嫪毐の間に生まれた子供たちが処分されることを知ると、太后は政に土下座をして太后自身も嫪毐も助からなくていいから、子どもたちだけは救って欲しいと願い出ます。

太后の口からは、これまでの自らの人生が嫌なことの連続であり、灰色の人生だったことを明かします。

(邯鄲の宝石と呼ばれていたのに、趙で憎まれることになり、天国から地獄を味わったことは確かでしょうね。)

そして太后は、二十年以上渇いていた地に水を注いでくれたのが嫪毐だったと語ります。

太后にとって心から安心できる相手。

それが嫪毐だったのでしょう。

そんな嫪毐との間に生まれた2人の子供が、この時の太后にとっての全てとなっていたようで、この2人の子供の命だけは助けて欲しいと政に懇願します。

しかし政はその母の願いを断ります。

反乱の芽を残してはならない。

これは当時としては一般的な処分ではありますが、この政の決断に母・太后は逆上します。

太后は政に向かって、「やっぱりてめぇなんか産んだのが間違いだったんだ」と一番言ってはいけないヒドい一言を政に向かってぶつけることになります。

この母・太后の言葉に向ちゃんは、政にとっては太后がたった一人の母親であると強く反論するんですね。

太后としては最もつらい時期を一緒に過ごした政は、その当時を思い出してしまう存在だったのかもしれません。

そして母親の懇願むなしく、嫪毐と子供二人は処刑されることになってしまいます。

 

救われた子供の命

表向きは処刑されたことになった太后と嫪毐の間の2人の子供ですが、キングダムでは政がこの2人の子供を救っていて、ひそかに城外へ出してかくまったことになっています。

そして政は母・太后に向かって、国内が落ち着いたら必ず2人と引き合わせることを約束しています。

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史実でも嫪毐は車裂きの上さらし首に。

また嫪毐は一族皆殺しとなっています。

太后の2人の子供も殺されたことになっていて、さらに史実の政は太后を追放するつもりだったようです。

ただ斉の茅焦(ぼうしょう)という人物が政に対して、母太后を追放することが他の国の王に知れ渡ると、秦に背くものが出てくるかもしれないと忠告します。

政はこの忠告に従い、太后を咸陽に迎え入れて再び甘泉宮(かんせんきゅう)に住まわせたといわれています。

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政の母・太后は2人の子供に会えるのか?

またキングダムでは史実と違い、母・太后の子供は政に救われることになりました。

では今後、太后は2人の子供に会えるのでしょうか?

史実での太后の最後の死亡は、紀元前228年。

また政の中華統一は、紀元前221年となっています。

政は太后に2人の子供を合わせるのは国内が落ち着いたらと言っていましたが、秦国内が落ち着くのはいつになるのでしょうか?

ちなみに太后が死亡した紀元前228年には、秦は趙を滅ぼしています。

紀元前230年には、秦は魏も滅ぼしています。

またすでに呂不韋は死亡していますので(死亡したことになっている?)、政の対抗勢力は出てきそうにはないように思います。

(キングダムで新キャラが出たら分かりませんが。)

ですのでこのままいけば、秦が趙を滅ぼす頃までには秦の国内も落ち着いていると思われますので、それまでに太后が2人の子供と会える可能性は充分に高いのではないでしょうか?

 

太后が2人の子供に会ったら新たな火種になる?

ただこの太后と2人の子供の出会いが、新たな秦国の火種となるかもしれません。

キングダムだけでなく物語を面白くしようとした場合、主人公側にピンチがないとドラマにならないと思うんですよね。

そこでこの太后の2人の子供が新キャラとなって、政を脅かす展開になる。

またはこの太后の2人の子供がキングダム史上最強の武将や軍師に成長して、政や李信たちのラスボスになるという展開もあり得るのかもしれません。

そうなると呂不韋の最後の時のように、政の優しさが弱点となったというストーリーが描かれるのかもしれませんが、果たして太后の2人の子供はどうなっていくのでしょうか?

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キングダム政の母・太后と呂不韋・嫪毐の関係は? まとめ

お疲れ様です。

ここまで政の母親である太后と呂不韋・嫪毐(ろうあい)の関係や、太后の関わった反乱を振り返り、そして太后は2人の子供に会えるのか?という点を考察してきました。

キングダムでは政の母・太后は、秦の王子を生んだことから趙で憎まれたことになっています。

また太后の夫が秦に戻ってからは、趙での太后の暮らしは孤立無援と凄惨なもので、周囲からの憎悪を一心に受けたものでした。

それゆえに母・太后の心は渇ききってしまって、実の息子である政を愛せなくなってしまった悲しい女性として描かれています。

そんな母・太后が癒されたのは嫪毐(ろうあい)で、太后と嫪毐は心の安らぎを求めて国を創ったものの、周りの思惑がそれを許さずに、太后と嫪毐は自分たちが望んでいなかった秦国への反乱に突き進んでいくことになります。

キングダムでの母・太后の物語は、戦国の世の頂点に近い地位にありながら、非常に悲しく切ない物語となっています。

そんな母・太后にはのちにキングダムで子供たちと再会して欲しいと思いますが、この2人の子供が優秀で、しかし自分たちの生い立ちを知って秦への憎しみを抱くようになっていけば、どうでしょうか?

この2人の子供が政や李信たちのラスボスになる、という展開も考えられるのかもしれませんが、果たしてどんな展開が待っているのでしょうか?

それではここで、政の母親・太后と呂不韋や嫪毐の関係や、2人の子供と会えるのか?などの考察を終わります。

非常に長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 
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