キングダム・廉頗(れんぱ)の史実とその最後は?藺相如との友情が激アツ!

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キングダムは古代中華を舞台にした大人気漫画です。

このキングダムには魅力的なキャラクターが多く登場してきますが、廉頗(れんぱ)将軍もその一人です。

知略に富みながらも武力も一級品で、王騎の時代であれば最強武将の一人に数えられるでしょう。

また廉頗将軍は史実に実在していますが、この廉頗将軍の史実での活躍はどれほどのものがあったのでしょうか?

そして廉頗将軍の史実の最期とは?

ちなみに趙の三大天だった廉頗と藺相如でしたが、史実での二人が熱い友情で結ばれていたことはあまりにも有名です。

こちらではキングダムの廉頗将軍の史実や最後をご紹介しながら、廉頗将軍と藺相如の熱い友情についてもご紹介していきます。

それでは最後までお楽しみください!

 

   
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キングダム廉頗は史実に実在?

さてまずキングダムの廉頗(れんぱ)将軍は、史実に実在した趙の武将です。

この廉頗将軍は優れた趙の武将で、数々の武功を立てたことでも知られています。

廉頗将軍の主な活躍は以下の通りです。

紀元前283年・・・将軍となって斉を攻撃し、昔陽の地を取る。

紀元前282年・・・再び斉を攻撃して、陽晋を落とす。

紀元前260年・・・秦の王齕(おうこつ)が趙を攻撃してきたため廉頗が対応。ただ廉頗はしばしば敗北したため守りを固めて防御策に出る。しかし秦の謀略によって趙王は将軍を廉頗から趙括に変更。秦は極秘のうちに白起を総司令官に変更し、長平の戦いで趙は大敗を喫す。

紀元前251年・・・燕が趙を攻めてきたため廉頗が対応。燕から5つの城を奪った上で和睦を結ぶことに成功する。

紀元前245年・・・魏の繁陽を攻め落とすも、悼襄王(とうじょうおう)が即位して廉頗は将軍を辞めさせられた。そのため廉頗は後任のが楽乗を攻撃して撃破。そのため廉頗は魏に亡命する。

 

廉頗将軍の戦いの記録はここまでで、魏では重用されることなく、また楚でも将軍となったものの武功を挙げることなかったと伝えられています。

 

廉頗将軍と郭開の確執とは?

また廉頗将軍は趙の重臣・郭開と確執があったことが伝えられています。

先ほど書いたように、廉頗将軍は悼襄王の時代に将軍を解任させられています。

もともと廉頗将軍は、悼襄王が太子だった時代から仲が悪かったと言われていました。

ただ廉頗将軍は、この時の重臣・郭開とも対立していたと言われています。

しかし廉頗将軍が趙を去ってから、趙は秦から標的とされるようになりました。

そこで廉頗の将軍職を解いた悼襄王は、廉頗将軍を呼び戻そうとしました。

この悼襄王からの依頼を引き受けた廉頗将軍だったのですが、郭開が悼襄王の使者を買収して、悼襄王に「三度遺失」(廉頗が使者の前で三度小用に立った、または廉頗が使者の前で三度失禁したという2つの説があります。)と報告させました。

そこで悼襄王は廉頗を趙に戻すことを許さなかったと言われています。

この話がキングダムの701話でも描かれていましたが、キングダムでは幽繆王の時代のことでしたが、史実では悼襄王の時代の話となっています。

(キングダムはあくまでフィクションですからね。こういうこともあるのでしょう。)

>>キングダム郭開の最期は悲惨?<<
 

もしも廉頗が趙に帰還していたら

さて廉頗将軍は趙へ戻ることができなくなりましたが、もしも廉頗将軍が趙に戻ればどうなったでしょうか?

廉頗将軍は非常に優秀な武将でしたので、廉頗将軍が趙に戻れば秦の進軍を食い止めた可能性は高いでしょう。

ただ廉頗将軍はすでに高齢でしたので、廉頗将軍はそう長くは生きてなかったと思います。

ですので廉頗将軍が戻ったとしても、秦の侵攻を食い止められた期間は限られたはずです。

とはいえ廉頗将軍の戦いを有能な若手の武将に学ばせることで、趙は人材を育てることができたのかもしれません。

そう考えると廉頗が趙に戻っても、秦の侵攻を食い止められた期間は限られたと思いますが、その後の人材育成を考えると廉頗が趙に戻った方が有益だったと思われます。

 

キングダムでの廉頗将軍の能力値は?

そんな廉頗将軍のキングダムでの能力値(公式ガイドブック・戦国七雄人物録)は以下のようになっています。

  • 武力・・・97
  • 知力・・・96
  • 指揮力・・98
  • 経験値・・S
  • さすらいの・・・生ける伝説

武力も知力もハイレベルな、非常に有能な武将の数値となっています。

またキングダムでの廉頗将軍は、趙の三大天という地位にいて、秦の六大将軍・王騎とはライバルであり、良き友となっています。

 

 
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廉頗の史実での最後とは?

また廉頗将軍の史実での最後はどのように伝わっているのでしょうか?

廉頗将軍は楚で武功を挙げることもなく、寿春という土地で病気で死亡したと伝えられています。

戦闘での死亡ではなく病没だったことが明らかになっています。

 

廉頗将軍は何歳で死亡した?

では廉頗将軍は史実では何歳で死亡したのでしょうか?

廉頗将軍については生まれた年も死亡した年も分かっていません。

ですので推測になりますが、活躍のあった紀元前283年~紀元前245年までで38年が経過しています。

そして最初に活躍した紀元前283年を18歳と仮定すると、18歳+38年=56歳となります。

その数年後に病死したとすれば、57歳~60歳で死亡したのではないか?と推測されます。

 

廉頗将軍はキングダムではどんな最後を迎える?

ではキングダムでの廉頗将軍は、どのような最後を迎えるでしょうか?

701話になって廉頗将軍が趙に戻れないことが確定しました。

その後は廉頗将軍からの使者は、郭開と韓倉によって殺害される見込みですので、廉頗は趙に戻れなくなったことを知る由もなく、その後を過ごしていくことでしょう。

その後は高齢になっていることもあり、どこの戦場に出ることもなく、史実通りに静かに病死するのではないでしょうか?

廉頗将軍の最後は史実に記載がありますので、この通りに死を迎えると予想されます。

 

 
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キングダム廉頗と藺相如の史実の熱い友情とは?

ちなみにキングダムでは廉頗と藺相如(りんしょうじょ)は趙の三大天として知られていました。

この廉頗と藺相如の2人は、史実では熱い友情を育んだことで知られていて、親しい関係をよく「刎頸(ふんけい)の交わり」と言いますよね!

忍者
いや、あんまり言わんけど。

この「刎頸の交わり」というのは、廉頗と藺相如の友情物語から出た言葉なんです!

さて廉頗と藺相如は、どんな強い絆で結ばれていたのでしょうか?

 

廉頗より出世した藺相如

まずこの2人の物語は、藺相如が廉頗より出世したことから始まりました。

藺相如の史実はまた別の記事でご紹介したいと思いますが、藺相如は秦とのやり取りで秦をやり込めた人物として知られています。

藺相如はある時は秦王から所望された「和氏の璧(かしのへき)」という宝を無事に持ち帰り、またある時は趙王と秦王の会談の場で秦王に一歩も引かない立ち回りを見せました。

そこで趙王は藺相如を上卿(じょうけい:大臣)に取り立て、しかも藺相如は同じく上卿だった廉頗より上位の立場になったのです。

 

藺相如の下につきたくないと考えた廉頗

それを面白くないと感じたのが廉頗でした。

廉頗は自分は戦場で功績を挙げたのに、藺相如の活躍は口先だけの働きに過ぎないと考えていました。

また廉頗は藺相如が卑賎の出であること、そしてそんな卑賎の出の藺相如の下におかれるのが耐えられないと感じていました。

そこで廉頗は人に会うごとに「やつ(藺相如)にあったら、必ず侮辱してくれるぞ」と公言していました。

 

藺相如の対応とは?

それを藺相如は人づてに耳にすることになりました。

それからというもの藺相如は廉頗と顔を合わさないように心掛けていき、朝廷への出仕も廉頗との序列問題が表面化しないようにと、病気を口実に見合わせていました。

そんなある時に藺相如が外出した時に、たまたま遠くの方から廉頗がやってきました。

それに気づいた藺相如はあわてて脇道に逃げ込んだと言われています。

 

不満を感じた藺相如の家臣たち

そんな藺相如の姿に家臣たちも見るに見かねて、藺相如にこのようなことを言ったそうです。

「わたしどもが、家郷を捨ててまであなたにお仕えするのは、ひとえにあなたの高義をお慕いすればこそのことです。

いまやあなたはあの廉頗と同列のご身分、にもかかわらず廉頗の悪口雑言(あくこうぞうごん)をおそれて、ひたすら逃げかくれしておられる。

将軍、宰相ともあろうお方が、匹夫でさえも潔しとせぬ振舞、しかもてんとして恥じる色も見せぬとは、いったいなにごとですか。

もうがまんなりません。

暇をとらせていただきたい。」

 

藺相如の家臣への反論

そこで藺相如は家臣たちと次のような問答をしたそうです。

藺相如「そなたたちは廉将軍と秦王と、どちらが手ごわいと思うか。」

家臣「もちろん秦王です」

藺相如「それほどの秦王でも、わしは朝廷で堂々とわたりあった。

家臣どもなど、まるで子ども扱いにしてやったものだ。

そのわしがどうして廉将軍を畏れようか。

わしはこう思っている。

あれほど強大な秦があえてわが国を攻めないのは、廉将軍とこのわしが頑張っているからだと。

いま、ふたりが争えば、どちらかが傷つく。

わしがこんなふりをしているのは、個人の争いよりもまず国家の問題が肝心だからだ。

わかったかな。」

 

廉頗将軍の反応とは?

その藺相如の考えを伝え聞いた廉頗将軍は、肌脱ぎになっていばらのムチを背負って、藺相如に謝罪したと伝えられています。

廉頗「この愚か者をとくとごらんくだされ。将軍の寛大な心も知らずこの始末でござる」

これを機に2人は仲直りをして、それ以降「刎頸の交わり」を結んだと言われています。

(参考文献:徳間書店 史記Ⅱ 乱世の群像)

 

 
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キングダム・廉頗の史実と最後とは?藺相如との友情は? まとめ

ここまでキングダムの廉頗将軍の史実での活躍やその最後をご紹介してきました。

廉頗将軍は史実でも優れた将軍でしたが、趙の悼襄王とのソリが合わなかったことから不遇をかこつことになってしまいます。

またその史実での最後は病死と記録されていますので、キングダムの廉頗将軍も静かな病死を迎えることが予想されますね。

ちなみに廉頗将軍と藺相如は、キングダムでは三大天となっていましたが、史実では熱い友情で結ばれた2人であったことが有名です。

この刎頸の交わりはキングダムでは描かれませんでしたが、廉頗が最後を迎える時に藺相如との刎頸の交わりの故事が紹介されるかもしれませんね。

それでは以上で、キングダムの廉頗将軍の史実での活躍やその最後、そして藺相如との熱い友情物語のご紹介を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 
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