キングダム王賁(おうほん)の史実!歴史に実在した王賁の最後の死に方は

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キングダムは中華の歴史マンガですので、多くの武将が登場してきます。

この中で主人公の信と同世代の武将に王賁(おうほん)がいます。

この王賁はキングダムでは六将・王騎の同族であり、王氏の総本家を継ぐ立場として描かれていますが、その立場はプレッシャーなのか?

時に無理な戦いに身を投じることがあります。

またこの王賁は史実にも記録が残されている実在の人物としても知られていますが、それでは王賁は史実ではどのような活躍を見せたでしょうか?

まずこちらでは歴史上に実在した王賁の史実での活躍を見ていき、キングダムの中での能力や性格を改めて見ていきます。

そして王賁の最後の死に方はどうなるのか?

この点も気になるところで、史実での王賁の最後とキングダムでの王賁の最後の死に方を考察していきます。

それでは最後までお楽しみください!

 

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キングダム王賁(おうほん)の史実での活躍は?

4か国を滅ぼす武功をあげる

それでは歴史に実在した王賁の史実での活躍を見ていきますが、秦の天下統一の時期の武将だけに他国を滅ぼすという功績を次々と挙げています。

  • 紀元前226年:楚を攻めて楚軍を破る。また王翦(おうせん)と燕を攻めて、燕の都・薊城(けいじょう)を占領。燕王は東の遼東に逃れて抵抗を続けた。
  • 紀元前225年:魏の都・大梁(だいりょう)を水攻め。大梁の城壁が崩壊して魏王が降伏を願い出る。魏を滅ぼすことに成功。
  • 紀元前222年:遼東で抵抗する燕を討ち、燕王・喜(き)を捕虜とし、燕を滅ぼす。同じ年に代を攻めて、代王・嘉(か)を捉えて、代を滅ぼす
  • 紀元前221年:李信・蒙恬(もうてん)と共に斉を攻める。斉王建を捕虜にして斉を滅ぼす。ここで秦の中華統一が果たされることとなった。

最後には李信や蒙恬と共に斉を攻めたことになっています。

ですので同世代であることは確かなようで、キングダムの中と同様に良きライバルとして史実でも切磋琢磨していたのかもしれません。

 

王賁と王騎は史実でも同じ一族?

またキングダムの中では王賁と王騎は同じ一族という設定で、王賁は王一族の総本家、王騎は分家であるという位置づけになっています。

これは史実でも同様なのでしょうか?

調べてみると、王騎と王賁に血のつながりがあるのかは不明でした。

王翦(おうせん)と王賁は史実でも親子関係なのですが、この王翦・王賁親子と王騎や王齕(おうこつ)など過去の六将との血のつながりは史実でははっきりとした記録は残されていません。

王賁もその父である王翦も、秦の天下統一に大きな貢献をしている武将ですので、多くの記録が残されています。

この中で王騎や王齕などとの関連性の記録が残されていないのであれば、王翦・王賁の親子と王騎や王齕などの武将との関係は史実では無いのかもしれません。

キングダムの主人公である李信は、同じ秦の李斯や趙の李牧とは全く血縁関係の繋がりはないようです。

ただ古い時代の記録だけに、多くの記録は失われていて確認ができないことが多いことも事実。

そのため王賁と王騎の血縁関係が本当に無いのか?

これを確認することは不可能と言えますし、どのような想像もできると言えます。

そこは歴史のロマンと考えていきたいところですね。

 

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キングダム王賁(おうほん)の能力や性格は?

王賁の能力値は?

またキングダムの王賁の能力について振り返っていきますが、公式ガイドブックでは以下のような能力値となっています。

  • 武力93
  • 指揮力88
  • 知力89
  • 経験値B

武に関しては他の武将との勝負を見ていくと、この武力の数字以上の力があるとは思われます。

 

また知力も89とトップレベルではないですが、キングダムでは著雍(ちょよう)の戦いでは王賁の作戦で秦軍は勝利を挙げることに成功するなど、優れた知力も垣間見せています。

史実でも多くの武功を上げた王賁。

ただこの時期は秦が他の国に比べても国力が増大していた時期。

趙の以前の三大天・藺相如(りんしょうじょ)の頃にも、史実では「秦は強国、趙は弱国」との表現が見られます。

(参考文献:徳間書店 史記Ⅱ 乱世の群像)

秦は国内制度を整備して国力の増強を続けてきていましたし、その後の戦いでも鄴攻めなど難しい戦いを父親の王翦(おうせん)が行ってきていましたし、蒙驁も多くの城を落とした実績がありました。

王賁も4か国も滅ぼしましたので充分な能力はあったと思いますが、それまでの秦の多くの武将の活躍があってこその王賁の武功であることもまた確かなこと。

それでも過去の秦の武将のバトンを受け取ってしっかりと武功をあげている点は、色あせることはないと言えます。

 

王賁の性格は?

またキングダムの王賁の性格はどうでしょうか?

これまでの様子を見ていると、どこか人に心を開きにくい印象で、とっつきにくく堅苦しい印象を受けます。

信の冗談にも本気で怒るような場面も多々見られます。

ただこういうタイプは、心を開いた人に対してはよく冗談を言うタイプでしょう。

そして意外と女性には甘えるタイプだとも思います。

また名家の出身でもあり、キングダム初登場では貴士族の誇りから信たちをバカにする場面も見られました。

高い地位にいても飛信隊を応援する武将もいる一方で、王賁はその意味では少し嫌味な印象を受けます。

ただ名家出身の家柄が本人にとってプレッシャーになっている部分も多いようで、名家の後継ぎとして実力で大将軍を目指すために、戦場で無理をする場面も多く見られます。

そして身を切る傾向があるとは、羌瘣(きょうかい)の王賁評でした。

また軍議を開くと、河了貂が発言しているとお前が仕切るなという趣旨の発言も聞かれ、歯に衣着せぬ物言いをする場面も見られます。

ただそう発言するだけに軍議では鋭い軍略を語る場面もありますし、父親・王翦に対しても素直な気持ちを吐き出すこともあります。

強気な面はあるものの、名家出身という立場におごることなく、あがいてもがいて大将軍をひたすら目指す姿は心打たれる時もあります。

 

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キングダム王賁(おうほん)の最後の死に方は?

また王賁の最後の死に方はどのような形になるでしょうか?

実は史実でも王賁の最後については記述が残されていません。

また王賁の史実の活躍を先ほど見ていきましたが、王賁の活躍もあって秦は中華を統一しましたので、戦死したという可能性もなかったということになります。

一方でキングダムでは王賁と同い年の蒙恬(もうてん)は、秦の始皇帝亡き後、権力を握った宦官・趙高の陰謀により毒を飲んで自殺したという悲惨な最後を迎えています。

 

ただ王賁にはそうした記述はありませんので、王賁は始皇帝の死後まで生きてはいなかったのだと思われます。

そうなるとどのような死に方を迎えたのか?

普通に考えると、ここは寿命や病死という死に方が考えれらますね。

その他で考えられるのは毒死ですが、こういう死に方は権力争いに巻き込まれてのことになるかもしれませんが、史実では秦が天下を統一してからの王賁は「通武侯」に封じられたことになっています。

そして息子の王離は秦の二世皇帝に仕えた武将となっていて、王賁一族は権力の座から引きずり降ろされた形跡も見当たりません。

こうなると王賁が毒殺されたという可能性もほとんどないと思われますので、天寿を全うして死亡したのだと思われます。

キングダムでは秦が統一された段階まで物語が描かれると思いますので、王賁の死亡のところまでは描かれないと予想されます。

 

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キングダム王賁(おうほん)の史実と最後 まとめ

ここまで歴史に実在した王賁(おうほん)の史実での活躍と、王賁の能力や性格、そして王賁の最後の死に方について考察してきました。

王賁は4か国を滅ぼした功績があるものの、それまで他の武将の活躍の上に王賁の活躍があるわけで、生まれた時代が違えば王賁がここまでの武功を上げることはできなかったことでしょう。

とはいえここでミスすることなく、しっかりと他の国を滅ぼすことができた点は評価に値する実績と言えます。

また公式ガイドブックでの王賁の能力値は、トップレベルにやや劣るというところですが、武力については王賁より上位の武将を倒していますので、ガイドブックの能力よりやや上と思われます。

すでにキングダムは公式ガイドブックが2冊目ですが、次のガイドブックが出た時には王賁の武力の数値などは変動があると思われます。

また王賁の最後の死亡についてですが、史実にはその記録が残されていませんので、天寿を全うした最後を迎えたのだろうと思われますし、キングダムでは王賁の最後まで描かれないままに物語が終了することが見込まれます。

基本的には史実に沿って物語が展開するキングダム。

王賁の史実での活躍を考えると、キングダムでの今後の王賁の活躍も見ものですね。

それではここで歴史に実在したキングダム王賁の史実に関する考察を終わります。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

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