キングダム王賁(おうほん)の父親は王翦(おうせん)ではない?

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キングダムは古代の中国の秦の時代を描いた大人気マンガです。

またこのキングダムには魅力的なキャラクターが多く登場してきますが、秦の王翦(おうせん)将軍は趙の三大天・李牧を相手にした鄴(ぎょう)攻めを成功させた名将です。

またこの王翦には王賁(おうほん)という息子がいます。

しかしキングダムでは、この王賁は王翦の実の息子ではないのでは?とのウワサや疑惑が描かれています。

まず王賁は王翦の実の息子なのか?という疑惑のいきさつを振り返りながら、王翦と王賁の親子関係の真相について考察していきたいと思います。

王翦と王賁親子は決して良い関係とは言えませんが、果たして2人は本当の親子なのでしょうか?

 

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キングダム王翦の妻は朱景

王賁は王翦の実の息子ではないのではないか?

この疑惑のいきさつを振り返っていきますが、まずキングダムでの王翦の妻は朱景(しゅけい)という女性でした。

この朱景という女性は、貴族中の貴族という家柄の女性で、関家のお姫様でした。

そして朱景は教養もある才女で、多くの男性から求婚を受けていたほどの美女だったと言われています。

また対する王翦も王一族の当主であり、名家中の名家の出身。

そんな2人の婚姻は多くの人に祝福され、2人の婚姻の参列者は何千人にものぼったそうです。

そして王翦と朱景が結婚してまもなく、朱景は子供を身ごもりました。

これが王賁なのですが、ここで妙なウワサが流れることになります。

 

王賁は王翦の実の子ではない?

そのウワサというのは朱景には王翦との結婚の前に好きな男がいて、この男の種を宿した状態で王翦と結婚したという内容でした。

これが本当であれば王賁は王翦の実の子ではないことになります。

そこで周囲の人たちは朱景に真相を問いただしましたが、肝心の朱景はこの件について固く口を閉ざしたと言われています。

また王賁の母である朱景は、王賁を生んですぐに亡くなってしまいます。

そのためこの真相は明らかにならない謎になってしまいました。

では史実での王翦と王賁の関係はどうだったのでしょうか?

 

史実での王翦と王賁の関係は?

では史実での王翦と王賁の関係を見ていきますが、史実では王翦と王賁は親子ということになっています。

王翦も王賁も史実では秦の中華統一に大きな功績を挙げていて、王翦・王賁の親子は蒙恬一族と並んで臣下の中でも最も功績が高く、その名声は後世まで伝えられたと言われています。

ただ秦の始皇帝の時代の話は、書物そのものが失われているものも多いはずですし、もしかするとキングダムのような疑惑があった可能性はゼロではないのかもしれません。

とはいえそれも想像にすぎませんし、そうした悪質なウワサが立ったのも名家同士の結婚を妬んだ誰かのしわざなのかもしれませんね。

またキングダムの中では王翦と王賁が不仲に思える場面がいくつかありました。

次にその点をご紹介していきます。

 

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王翦と王賁の親子関係の確執は?

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(引用:キングダム)

それでは王翦と王賁の仲が良くないことを匂わせる場面をご紹介していきます。

それは著雍(ちょよう)の戦いの前に見られましたが、著雍の戦いの総大将を務めていたのは騰(とう)でした。

この著雍の戦いは魏との戦いでしたが、魏が援軍を増やしたことで秦は戦力も圧倒的に不利になってしまいました。

そこで騰たちは著雍の北にいた王翦に援軍を頼もうとしましたが、王賁は「王翦軍を著雍に呼ぶのは絶対にやめろ」と言っています。

またこの発言は当初は戦略の話だと王賁は言っていましたが、後でこの点を訂正。

実は王翦軍を呼ぶなと言った言葉には、多少私情が入っていることを認めています。

ここは王賁が父である王翦に対して、嫌な気持ちを抱いていることが分かった場面と言えます。

 

王賁の命がけの行為を冷たく突き放す王翦

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(引用:キングダム)

また秦が趙の鄴を攻めた時のこと。

王翦本陣が趙から挟撃を受けることになった時、王賁は命がけで父・王翦を救いに行きます。

この時の王賁は、総大将を救うというより父を救うという気持ちが強かったように見えました。

ただこの時、王賁が率いていたのは騎馬が約二十騎ほど。

そのため王翦は王賁に対して「理解に苦しむ」「愚か者が」と冷たい言葉を投げかけています。

普段から王翦は味方に対して冷たい視線を見せることがあります。

では王翦が王賁に対して冷たいのは、王賁が王翦の実の息子ではないからなのでしょうか?

次にこの点に迫っていきたいと思います。

 

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王賁は王翦の実の息子ではない?

王翦が王賁に対して冷たい理由は?

では王翦の息子は王賁ではないのでしょうか?

この点を考察していきますが、まず王翦が王賁に冷たい理由としては、単純に王翦は王賁の戦略眼がまだまだだと思っているからだと思われます。

魏との著雍の戦いで、王賁は同日同時刻に3点撃破をするという戦略を披露しました。

その戦略はこの時成功したものの、王翦はこの戦略を危うい戦略だと考えていたかもしれません。

またこれまでも王賁は、羌瘣(きょうかい)から「身を切る傾向がある」と評されたこともあります。

そして王翦軍から王賁の玉鳳隊に加入した関常(かんじょう)からも「捨て身が過ぎる」と言われたこともあります。

ちなみに関常が王賁に「捨て身が過ぎる」と指摘したこの時、「父君王翦はそんな危うい手は打ちませぬぞ!」とも指摘しています。

また王翦は、絶対に勝てる戦以外は興味がない人物としても描かれています。

王賁の戦術眼は蒙恬よりもすごいとも評される一方で、王賁の危険な橋を渡ろうとする傾向を、父・王翦はまだ認めていないと思われます。

 

王翦が王賁を右翼の総大将にしなかったワケは?

また鄴攻めの朱海平原の戦いでは、秦左翼で麻鉱(まこう)が討たれてからは、蒙恬を将軍にするという決断を王翦は下しました。

それは蒙恬が王翦と同じレベルで戦が見えていたことが要因でした。

しかし秦右翼で亜光(あこう)が倒れてからは、秦右翼の多くの人から王賁を将軍にして欲しいという願いが王翦に届けられたものの、そこで王翦はその願いを聞くことはありませんでした。

この王翦の決断は、王翦が王賁のことを実の子ではないと疑っているからではないか?と周りから推測されてしまうことになりましたが、王翦が王賁を将軍にしなかった理由は何なのでしょうか?

ここでも王翦は秦右翼の王賁の戦略に疑問を抱いていたことが考えられます。

ちなみに秦右翼が最初に討ち取った趙の武将は岳嬰(がくえい)でした。

そしてこの岳嬰を狙うと言ったのは王賁でした。

しかしのちに王翦は秦右翼の戦いを評価する場面があって、王翦は秦右翼の戦いで最初に狙うべきだったのは岳嬰ではなく、軍の頭脳となっている趙峩龍(ちょうがりゅう)だったと言っています。

つまり以下の2点について、王翦は王賁のことを評価していなかったのではないでしょうか?

  • 王賁の戦略眼がまだまだだと判断したこと。
  • 王賁が危うい手を打つこと。

 

そのため王翦は王賁を秦右翼の将にしないという決断を下した可能性が非常に高いと思われます。

王賁が危うい手を打とうとするのは、「大将軍になる」という王家の正統な後継ぎとしての責務のためではあります。

ただ王賁のこの傾向は、王賁を総大将にした場合に軍が全滅する可能性さえあるはずです。

そのような王賁の危うい戦略を実行しようとする点そのものが、父・王翦から見ると総大将としての資質に疑問を持つ要因だったのかもしれません。

つまり王賁を右翼の将軍にしなかったのは、王翦が王賁を実の子ではないと疑っていたことが要因では無く、単に軍全体を任せるには役不足と思われただけなのではないか?

それが私の考察になります。

 

母・朱景が弁明しなかったワケは?

それでは王賁の母・朱景が、他の男の種を宿しているのでは?という疑惑に固く口を閉ざした理由は何なのでしょうか?

ここは女心なので考察が難しい点ですが、「そんなウワサに取り合うこと自体が馬鹿馬鹿しい」と母・朱景が思っていたことがその要因かもしれません。

またその真相を問われて真相を語ったとしても、ウワサが消えることは無いことを悟っていたのかもしれません。

名家同士の結婚を祝福する人がいる一方で、それを妬む人たちも存在していたはずです。

王翦と朱景の結婚を妬んだ誰かが、または朱景に想いを寄せていた男の誰かが、ありもしないウワサを流した可能性はあるのかもしれません。

そして朱景は王翦から充分に信頼され愛されていたからこそ、消えることのないウワサの弁明をする必要はないと考えたのかもしれません。

この人(王翦)に理解されて信頼されていれば問題ない。

朱景はそう感じたからこそウワサに対して口をつぐんだのではないでしょうか?

以上を総合して考えると、王賁は王翦の実の息子であったはず。

私はそう思います。

 

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キングダム王翦(おうせん)の息子は王賁ではない? まとめ

ここまで王賁(おうほん)は王翦(おうせん)の実の息子なのか?

この2人の親子関係について考察してきました。

私の考察の結論としては、王賁は王翦の息子だったと思います。

王翦が王賁に対して冷たいのは、無理な作戦を実行する点や戦略の甘さがある点など、単に王賁の武将としての資質に疑問を感じているためであって、実の息子でないと疑っているわけではないと思います。

また王翦の妻であり、王賁の母である朱景がウワサの真相について口をつぐんだのは、夫・王翦から充分に信頼されて愛されていたからのように思います。

そう言えば王翦は、息子の王賁が槍の稽古をしている時に声を掛けたことがありました。

王翦が息子の王賁に声を掛けるのは珍しいことだったそうですが、不器用な父もこの世にはいます。

もっと愛情表現をしたいのにできない親もいますし、誰もが愛情表現が上手いわけではありません。

単に王翦はそんな父親だっただけではないでしょうか?

それでは以上で、王翦と王賁の親子関係に関する考察を終わります。

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