キングダムは古代中華の秦の始皇帝の時代の物語です。
そんなキングダムは戦国七雄が描かれていて、趙という国には扈輒(こちょう)将軍がいて、キングダムの中では「邯鄲(かんたん)の守護者」の異名を取っています。
この扈輒将軍は史実に実在していますが、 どのような武将だったのでしょうか?
またどのような形で扈輒将軍は最後を迎えるのでしょうか?
そして気になるのは、キングダムの中では扈輒将軍の顔に何か付いているように見えますが、これは一体何なのでしょうか?
ここでは扈輒将軍の史実での記録を振り返りながら、扈輒将軍の顔に付いているものを考察していきます。
それでは最後までお楽しみください。
Contents
キングダム扈輒(こちょう)将軍は史実に実在の武将?
「邯鄲の守護者」の異名を取る扈輒(こちょう)将軍の登場!史実ではのちにこの扈輒将軍は、10万の兵を失うことになっています。その場面はのちに訪れるとしても邯鄲の守護者の異名はダテではないはず。李牧も史実では守戦の名将と評価されていましたが、この扈輒将軍も守りはうまそう。#キングダム pic.twitter.com/BU2llzJzH5
— comic-search (@search_comic) March 25, 2020
それでは扈輒(こちょう)将軍の史実での記録について見ていくことにしますが、扈輒将軍の記録は多くはありません。
時は紀元前234年。
これは始皇13年のことになりますが、この年に秦の桓騎将軍が趙の平陽・武城を攻撃したことが伝えられています。
そしてこの時に桓騎に対峙(たいじ)したのが趙の扈輒将軍。
ただしかし、ここで扈輒は武隧(ぶすい)という地で敗死したと伝えられていて、10万人の趙兵が斬首されたと言われています。
キングダムでの扈輒将軍の強さは?
扈輒将軍に関する史実での記録はこれだけです。
あまり史実での記録は多くありませんが、キングダムでは初登場の時に「邯鄲(かんたん)の守護者」との異名で描かれていました。
ちなみに趙には「三大天」という称号がありますが、扈輒将軍は三大天ではありません。
扈輒将軍は予想外の戦いをするわけではないのかもしれませんし、そうすると相手を出し抜くという戦いはしないのかもしれません。
平凡な武将が三大天にはなれないのは仕方ないと思いますが、扈輒は「邯鄲の守護者」と言われているだけに守備に強い将軍という位置づけなのかもしれません。
または「邯鄲の守護者」というだけに、扈輒将軍は王都・邯鄲を守ることに特化した武将とも考えられます。
邯鄲について、その強みも弱みも全て把握している。
扈輒将軍はそのくらい邯鄲を熟知した将と言えるのかもしれません。
そして扈輒将軍は本能型というよりは知略型の武将だと思われます。
列尾を守ることを任されたものの、列尾が挟撃にあうと判断するとすみやかに兵を引くことを決断。
それはその後の秦の侵攻に備えてのことで、兵力を温存した結果の決断でした。
またキングダムでの扈輒将軍は燕との戦いで烈将と言われていたことが明らかになりました。
そして扈輒将軍はキングダムで最後を迎えましたが、最後の場面が近付いた頃には扈輒将軍は桓騎兵を数人は葬っていました。
またキングダムでの扈輒将軍は、燕との戦線で荒れ狂った烈将(れっしょう)で、鬼も寄り付かないと評されていますので、一定程度の高い武力は持っていると思われます。
扈輒将軍の武力や知力などの能力値は?
ちなみにキングダムの公式ガイドブック3冊目が発売されました。
この公式ガイドブックによると、扈輒将軍の武力や知力などの能力値は次のようになっています。
- 武力・・・90
- 知力・・・96
- 指揮力・・93
- 経験値・・A
武力も知力も高い名将と言える数値ですね。
さてそんな扈輒将軍は、その最後をどのような形で迎えるのでしょうか?
キングダム扈輒(こちょう)将軍の最後は?
また扈輒将軍は史実では桓騎に敗れたことになっています。
ここで戦死したとも言われていますが、キングダムの中でも扈輒将軍はその最後を迎えました。
この時の桓騎は孫臏(そんびん)の策を使ったと言われていますが、8万の桓騎軍は24万の扈輒軍と対戦した時に、桓騎軍には大量の脱走兵が出ました。
趙軍は残って戦っている兵だけを桓騎軍だと認識していましたが、桓騎軍には脱走兵と戦っている兵の他に、隠れている兵がいたのです。
この隠れていた兵は一千で扈輒軍の本陣に襲い掛かります。
また扈輒を守る本陣は約三千の兵だけでした。
そこから扈輒将軍は逃げようとするものの、桓騎は扈輒将軍が逃げる方向を予測していて、扈輒将軍の目の前に現れました。
桓騎軍の精兵200vs扈輒の精兵100
この場で扈輒将軍を守る近衛兵は100騎でしたが、桓騎軍は朱摩(しゅま)一家を投入。
朱摩一家は大きな一家ではないものの、個々の能力はゼノウ一家クラス。
桓騎にとっての朱摩一家は、ゼノウ一家のように「キメ」に行くときに活用する部隊と言えます。
そして扈輒将軍を守る近衛兵が次々と倒れる中で、扈輒将軍は朱摩一家に囲まれていきます。
そこから扈輒将軍は自害という決断を下しました。
それは総大将として辱めを受けるわけにはいかない、という理由からでした。
最後に扈輒将軍は数人の桓騎兵を討ち取りますが、さすがに多勢に無勢。
扈輒将軍は朱摩一家に討ち取られることになりました。
扈輒将軍の死に様はダサくない?
ここで扈輒将軍は死亡することになりましたが、この扈輒将軍の死に様は私はダサいと感じました。
というのも扈輒将軍は捕らえた雷土たちに、壮絶な拷問を加えていました。
それは戦争の常と言えると思いますし、敵から情報を引き出して戦いを有利に進めるために、拷問という手段を用いることは仕方ないことかもしれません。
しかし扈輒将軍は敵に凄惨な拷問を加えておきながら、自分の身に危険が及ぶと拷問されることを恐れて自害するという道を選択しました。
そんな扈輒将軍の死に様を見ていると、結局のところ扈輒将軍は「痛みが怖いんじゃないか?」という気持ちにさせられました。
それに比べると雷土は、桓騎軍の一員として他者に拷問を加えたものの、自らが捕まった時には自害することなく拷問を受け続けました。
その上で口を割らなかった雷土の死に様の方が、私は数段カッコ良かったと思います。
もしも扈輒将軍が自害しなければ・・・
さらに扈輒将軍と雷土に拷問を加えた拷問官は、一人を残して全員が自害しました。
そして桓騎は雷土の悲惨な死に方を見て、おそらくですがここから捕虜とした趙軍の兵士を皆殺しにするのではないか?と思います。
もしも扈輒将軍と拷問官が自害せずに、雷土に加えた拷問の報復を受けていれば、桓騎の怒りはその時点で晴れた可能性があったかもしれません。
しかし扈輒将軍と拷問官は報復を受けずに自害したことで、桓騎の怒りはその他の趙軍の兵士に向けられそうな事態となっています。
もしも桓騎が大量の趙軍の投降兵を殺害することになれば、それは扈輒将軍と拷問官が痛みから逃げて自害したため、と言えるように思います。
このような死に方をした扈輒将軍は、趙でも評判が悪くなると思いますが、果たして趙での扈輒将軍の評価はどうなるのでしょうか?
キングダム扈輒将軍の顔に付いているものは?
また気になるのが扈輒将軍の顔に付いているものが何か?という点です。
絵をよく見てみると、黒子(ホクロ)ではないことは間違いなさそうです。
(ホクロを漢字で書くと「黒子」というのは初めて知りましたが♪)
果たしてこれは何なのでしょうか?
扈輒将軍の顔に付いているものは「痛み」と関係がある?
この扈輒将軍の顔に付いているものについて、少し伏線らしい場面が描写されていました。
それは687話でのことですが、夏満(かまん)という部下が扈輒軍のことをこう言っていました。
我らは誰よりも”痛み”を抱きかかえる扈輒様と戦い歩んだ軍だ
この時に扈輒将軍の顔に付いている金属らしいものがクローズアップされていました。
ですのでこの扈輒将軍の顔についているものは、扈輒将軍の抱える”痛み”と関係がありそうです。
また693話で、この扈輒将軍の顔についているものが何なのかが明らかにされました。
この扈輒将軍の顔についているものは埋め込まれたものであり、それは痛みを感じて平衡(へいこう)を保つためであることが描かれていました。
このことは桓騎の口から語られましたが、それを聞いた扈輒将軍の表情からすると、このことが真実味を帯びていることが分かります。
ではこの埋め込まれたものは、長さはどのくらいで、どうやって扈輒将軍は痛みを感じ続けたのでしょうか?
長さは何センチ?
この扈輒将軍の顔についているものは、どのくらいの長さなのでしょうか?
まだこの点は明確な描写がありません。
これを扈輒将軍は額の中央にも埋め込んでいますが、扈輒将軍が金属らしきものを埋め込んでいるすぐ下には骨がありますからね。
え?これ何センチあるでしょうか?
というか「センチ」いってるのか?って思います。
う~ん、どうでしょうか?5ミリぐらいではないか?と予想します。
扈輒将軍は痛みをどう感じていた?
また扈輒将軍はこの金属のようなものを埋め込んで、どのように痛みを感じていたのでしょうか?
扈輒将軍はサムタイム時々、この埋め込んだものをグリグリ押していたんでしょうか?
それとも、時々抜き刺しをしていたんでしょうか?!
もしくは時々位置を変えて、刺し直していたのでしょうか??
いや!もう痛々しくて、考えたくありません!!
それでは話を変えますが、扈輒将軍の抱きかかえる痛みとは何なのでしょうか?
扈輒将軍の抱える痛みとは何か?
さて扈輒将軍の抱える痛み。
それは次のことが考えられます。
- 戦争で失った家族がいて、家族が拷問を受けたことがある
- 戦争で友と戦うことになってしまった
それではそれぞれを詳しく見ていきましょう。
扈輒将軍は戦争で家族を失って、家族が拷問を受けたことがあった?
まず考えられる扈輒将軍の痛みは、戦争で家族を失ったことがある、または家族も拷問を受けたことがあるというものかもしれません。
扈輒将軍が顔に張りつけている飾りのようなものは、失った家族の人数であり、失った家族を忘れないようにするために顔に飾りをつけるようになったのかもしれません。
そして扈輒将軍の家族は拷問を受けて、扈輒将軍に関する情報をもらしてしまったことがあり、扈輒将軍は結果的に家族から裏切られたことがあったのかもしれません。
その家族の裏切りは拷問の末とはいえ、結果的に扈輒将軍を大きなピンチに陥らせた可能性もあります。
つまり扈輒将軍は家族を失い、なおかつ家族の裏切りによって自らも危機に陥ったことがあるという”痛み”を抱えているのかもしれません。
戦争で友と戦うことになってしまった
もう一つの扈輒将軍の”痛み”の可能性としては、戦争で友と戦わざるを得なくなった、というものなのかもしれません。
扈輒将軍が生まれた場所は、他の国との国境に近い場所であれば、幼い頃から遊んでいた友達が別の国の兵士となってしまい、扈輒将軍はその友達と戦わざるを得なくなった過去があったのかもしれません。
もしも李信が漂(ひょう)と戦わざるを得なくなったら―――
それを想像すると、扈輒将軍の”痛み”は想像しやすくなるかもしれませんが、顔に付けている飾りの数だけ、扈輒将軍は幼なじみの友達と戦った辛い過去があるのかもしれません。
これは現時点での推測にすぎませんが、果たしてキングダムの扈輒将軍の痛みとは何なのでしょうか?
扈輒将軍の史実と最後 まとめ
扈輒(こちょう)将軍や舜水樹は表立ってこの趙の悼襄王(とうじょうおう)を愚かだと言っています。特に李牧を斬首にすることを聞いて舜水樹は怒り心頭に。ここから趙の悼襄王は舜水樹たちに殺害されてしまうのかな?史実でも秦の鄴攻めで死亡するけど。#キングダム pic.twitter.com/LzYCbmTF3v
— comic-search (@search_comic) May 4, 2020
ここまで趙の扈輒(こちょう)将軍の史実での姿と最後について考察してきました。
史実での記録は桓騎に敗れたという事実だけであまり記録は残されていませんが、キングダムの中では「邯鄲の守護者」の異名を持つ将軍として描かれています。
また扈輒将軍の最後については史実では桓騎に敗れたことが記録されています。
そしてキングダムの中では扈輒将軍は自害しましたが、雷土に対するヒドい拷問をした割には、自分はその痛みから逃げるという死に様は、見ていて見苦しくダサい死に様だったと私は思いました。
また扈輒将軍の顔に付いているもの。
これは当初はおしゃれアイテムだとは思っていましたが、キングダムの687話ではこの飾りは扈輒将軍の”痛み”と関係があるようです。
この扈輒将軍の”痛み”とは家族を失ったことがあること、または幼なじみの友達と戦わざるを得なくなった悲しい過去なのかもしれませんが、果たして扈輒将軍の抱える痛みとは何だったのでしょうか?
それではこれで扈輒将軍に関する史実の紹介や最後の感想のご紹介を終わります。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!