ヤングジャンプ掲載の人気マンガ・キングダム。
このキングダムは古代中華がその舞台で、下僕の身から這(は)い上がって大将軍を目指す信という少年が、のちの始皇帝となる秦王・政と出会うことから運命を切り開いていく物語です。
このキングダムには人気のキャラクターも多くいて、桓騎(かんき)将軍もその一人です。
2020年5月28日のキングダム総選挙では第6位となった桓騎将軍ですが、この桓騎将軍は元々は大野盗団の首領としてキングダムでは描かれています。
生まれが一世代早ければ、六将に名を連ねたであろうという若き才能―――
そんな桓騎将軍も最初は蒙驁(もうごう)将軍の副将として戦いで活躍していました。
それではなぜ桓騎は蒙驁将軍の副将になったのでしょうか?
そこには何か理由があったのでしょうか?
ここでは桓騎がなぜ蒙驁将軍に付き従うことになったのか?
まず蒙驁将軍のことを見ていきながら、この点を考察していきたいと思います。
Contents
キングダム蒙驁(もうごう)将軍の評価は?
極めて凡庸
正月からキングダム読み返してるんだけど、父親の蒙驁が死んだと聞かされても戦を優先していた蒙武が、ふと想い出にふけるこのシーン何度見ても泣ける。 pic.twitter.com/wG0tOqa8QP
— カノンパパ👾 (@ka_no_n_pa_pa) January 16, 2019
では改めて蒙驁(もうごう)将軍について見ていくことにしますが、この蒙驁という将軍に対する評価は「極めて凡庸(ぼんよう)」。
戦いぶりは常に定石(じょうせき)どおり。
冒険をおかさず、普通に戦い普通に勝つ。
そのため強い敵に勝つことは難しいが、弱い相手には絶対に失敗もないと昌文君に評されています。
(単行本11巻 108話「三大天」)
人を見る目は天下に比類なし
また蒙驁将軍は、軍才が劣るものの人を見る目は天下に比類ない―――
そこまで人を見る目に対しては激賞(げきしょう:盛んにほめたたえること)されたこともあります。
(単行本19巻 200話「千人将」)
蒙驁をそう評しているのは、他ならぬ蒙驁の息子である蒙武(もうぶ)でしたが、近くで見てきた息子だからこその的確な評価と言えます。
二人の副将が化物
また六将・王騎は「蒙驁の抱えている二人の副将が、世がまだ気付いていない”化物”」だと評していました。
(単行本19巻 198話「王騎と廉頗」)
その副将というのが桓騎と王翦(おうせん)。
廉頗(れんぱ)が魏に亡命した時、廉頗の屋敷を訪れた王騎。
その六将・王騎はその時に廉頗に対して、「退屈したら蒙驁軍と戦え」とそそのかしていたことを廉頗が明らかにします。
そして王騎は上記のように、蒙驁の二人の副将のことを高く評価していたことも廉頗の口から明かされることになります。
ただ二人ともワケありの人物であったため、広く名前が知られていないこととなっていました。
桓騎は元々は大野盗団の首領だった人物。
性格も残忍で、野盗時代には城を攻め落とした際に、桓騎は自らの手で住人全員の首をはねたと言われています。
そんな桓騎は独自の兵法を操り、秦の討伐軍はただの一度も勝つことができなかったと言われています。
(単行本19巻 203話「抱擁」)
また王翦も危険人物として知られていて、自分が王様になりたいという野望を胸に秘めていると言われています。
そんなワケありでクセのある人物を副将に据えるところに、蒙驁の器の広さが垣間(かいま)見えると言えます。
キングダム桓騎(かんき)が蒙驁(もうごう)の副将だった理由は?
蒙驁の器の広さゆえ
僕がキングダムで1番好きな将軍は桓騎将軍です!1番残忍ですがたまに覗かせる人間らしい一面が良いですよね!あとなにより天才でカッコいい!!敵に扮する函谷関の戦いはまじで痺れたぁ…#キングダム pic.twitter.com/3t149oUvPy
— KIM!! (@kim_kim_kin) May 29, 2020
それではなぜ桓騎(かんき)が蒙驁(もうごう)将軍の副将だったのか?
この点を考えていきたいところですが、まず蒙驁の器の広さが挙げられます。
普通であれば扱いにくい桓騎だったと思いますし、実際に函谷関での戦いでは、張唐(ちょうとう)将軍との問答でも年齢が上の張唐に対してもタメ口で話していましたし、張唐に対してこう言っていました。
「ボケてんのか てめェは」
「うぜェよ お前ら」
何という言葉遣いの悪さ!
さすが元野盗ですし「悪童」と言っても良いかもしれませんが、張唐将軍を前にして呼び捨てにして「お前」呼ばわりすることはしばしば。
(単行本28巻 299話「新たな攻略手」~300話「陥落の危機」)
こうした態度では他の武将とはソリが合わないことも考えられますし、張唐も函谷関での戦いで危機が訪れた時も桓騎に助けを求めようとはしませんでした。
ただ部下の口の悪い態度について、蒙驁はあまり気に留める様子を見せていなかった場面があります。
それは蒙驁が廉頗と戦った時に、信を千人将に昇格させたときのこと。
(単行本19巻 200話「千人将」)
その判断が蒙驁の独断であるために、信には厳しい条件を付けられました。
その厳しい条件というのは敵将の首。
千人将であれば三つ以上、将軍なら一つ以上の首をあげることが条件となりました。
その条件で千人将になるかどうかを受けるか。
この点を信に問いただした時に、信は「だから言ってるだろ そんなの悩む所じゃねェって じーさん」。
そんな信の言葉遣いを注意しようとした家臣を止めたのは、他ならぬ蒙驁本人でした。
蒙驁はその器の広さで桓騎の言葉遣いを気にしなかったかもしれませんし、蒙驁は態度よりも能力を重視したと言えるのかもしれません。
蒙驁が自分の手元に置きたかった
または蒙驁自身が、桓騎を自分の手元に置きたかった可能性もあるのかもしれません。
桓騎は秦の討伐軍に一度も負けたことが無かったと言われています。
そんな桓騎がどのような経緯で秦の武将として戦うようになったかは分かりませんが、蒙驁はその時の桓騎の戦いぶりから桓騎の才能を見抜き、自らの手元に置いておきたかったのかもしれません。
そして蒙驁が桓騎をお金で雇った、または自分の元で戦うように口説いたことから、桓騎は秦の武将として戦うようになった。
極めて凡庸と評される蒙驁。
ゆえに蒙驁は、戦いで勝つために優秀な人材を求めていたのかもしれません。
そして実際に蒙驁の功績のほとんどは、桓騎と王翦の二人の副将の手によるものだとも言われています。
桓騎にとっても都合が良かった
また桓騎にとっても、蒙驁将軍の元で戦いをするのは都合が良かったかもしれません。
ここも具体的な描写がキングダムの中であったわけではありませんが、器の広い蒙驁将軍は戦い方についても細かく指示を出すわけではなく、具体的な成果を求めていただけだとも思われます。
先ほどご紹介したように、信を千人将に抜擢した時には敵将の首という具体的な成果を求めていて、戦い方について細かく指示を出していたわけではありません。
ですのでおそらくですが蒙驁はこの人物なら成果を出す、と思った人物に対して細かな指示を出すことなく、本人のやり方を尊重していたと思われます。
桓騎は虐殺や略奪、凌辱も行う戦い方もしていますが、それについても結果を出すのであれば蒙驁自身は許していたと思われます。
やりたいようにやらせてくれる蒙驁の元だと、戦(いくさ)がやりやすい。
桓騎はそのように感じていたのかもしれませんね。
まとめ
函谷関の戦いで、桓騎軍が敵陣の中を悠々と渡っていく場面。敵の目は巨大な床弩(しょうど)や巨大な井闌車(せいらんしゃ)によって函谷関が陥落するか?という場面でしたので、敵の意識は函谷関の上に集中。そのスキを突いて悠々と敵陣の中を渡っていく様子は桓騎の才覚を認識させることになります。 pic.twitter.com/wtfaWkj7l4
— comic-search (@search_comic) May 10, 2020
ここまでキングダムの桓騎(かんき)が蒙驁(もうごう)の元で副将として戦ってきたワケを考察してきました。
まず理由として考えられるのは蒙驁の器の大きさ。
これが桓騎が蒙驁の元で戦った大きな理由の一つだと考えられます。
また蒙驁の側でも凡庸と評されていたように、蒙驁自身は戦(いくさ)にはそれほど強いわけでありませんでした。
そんな蒙驁が戦で結果を出そうと思えばこそ、優れた才能を持つ人材を蒙驁自身が求めていたという事情もあるように思います。
また桓騎にとっても言葉遣いを気にすることなく接することのできる蒙驁は、下に付きやすい面があったと思われますし、自分のやり方にいちいち口を挟まれなかったこともやりやすさを感じていた面があったかもしれません。
以上のような理由で桓騎は蒙驁に付き従っていたのだと思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
それではここでキングダムの桓騎が蒙驁の元で戦っていた理由に関する考察を終わります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。