キングダムは古代中華を舞台にした大人気マンガです。
このキングダムはアニメや映画も大人気ですが、多くの魅力的なキャラクターがいることも漫画の人気の理由にあるでしょう。
そんなキングダムのキャラクターに蒙驁(もうごう)将軍がいますが、この蒙驁将軍は史実に実在した武将なのでしょうか?
また戦績はどのくらいで、史実での最後はどうだったのでしょうか?
こちらではキングダムの蒙驁将軍の史実について、詳しくご紹介していきます。
それでは最後までお楽しみください!
Contents
キングダム蒙驁は史実に実在?
「幕舎のひと時」
王翦の書き物の邪魔をし、会話を楽しむ桓騎と蒙驁。
緊張感のある戦場の中でも
こういったひと時があったら
素敵だなと思いました。
王翦と蒙驁が巾姿なのは自分の趣味です💦
スミマセン。 pic.twitter.com/EBOpEqt8n1— K.H (@koukannha) January 19, 2021
さてそんなキングダムの蒙驁(もうごう)将軍ですが、史実に実在した武将なのでしょうか?
この蒙驁将軍は、史実に実在した武将です
また子供が蒙武で、孫が蒙恬(もうてん)・蒙毅(もうき)であることもキングダムと史実は同じです。
では史実での蒙驁将軍も、極めて凡庸な将軍だったのでしょうか?
蒙驁将軍の史実での活躍は?
では蒙驁将軍の史実での活躍をご紹介していきますが、以下のような戦歴を持っています。
紀元前249年:蒙驁は韓を攻めて成皋と滎陽を奪った
紀元前248年:蒙驁は魏の高都と汲を攻めた。また趙の楡次・新城・狼孟を攻めて37城を奪った
紀元前247年:五国連合軍を率いた魏の信陵君が秦を攻めた。蒙驁と王齕(おうこつ)がこれを迎え撃ったが敗れ、秦軍は函谷関より西に退却を余儀なくさせられた
紀元前246年:晋陽で反乱が起こったが、蒙驁はこの反乱の平定に成功した
紀元前244年:蒙驁は韓を攻めて13城を奪った
紀元前242年:蒙驁が魏を攻めて20城を奪い、この地に東郡を置いた。
紀元前241年:楚・趙・魏・韓・燕の五国の合従軍が秦に攻め入る。秦は函谷関で合従軍を迎え撃って撃退したが、この戦いの指揮を取ったのが蒙驁と言われている。
このように蒙驁将軍は敗れたことがあるものの、奪った城の数は多くあります。
この戦歴だけを見ると、蒙驁は名将と評されていてもおかしくないほどです。
ただ当時はすでに、秦は他の国に比べて強国になっていました。
また史記には優れた人物には「列伝」が作られて詳細な記録が残されていますが、蒙驁の列伝は作られていません。
(王翦や孫の蒙恬の列伝は作られていますが。)
そして蒙驁は信陵君と戦って敗れていますが、この点はマイナス材料に働いているかもしれません。
これらの点を踏まえると、史実の蒙驁将軍は凡庸ではなかったとは思いますが、歴史に名を刻まれるほどの名将ではなかった、とも考えられます。
ただ列伝が作られている武将は限られていますし、列伝が作られていないという点では昌平君や騰、桓騎や楊端和も同じです。
また史実の蒙驁将軍は凡庸でありながらも優れた副将がいたために、蒙驁将軍は成果を上げることが出来た可能性は否定できないのかもしれません。
キングダム蒙驁は史実でも廉頗将軍と戦った?
初めて描いたけど
蒙驁と廉頗の落書き
対照的な二人好き。まじカッコいい爺様達。
この二人の一騎打ちは
シロクマVSライオンにしか
自分は見れない。#キングダム#廉頗#蒙驁 pic.twitter.com/XCnvl3koYY— K.H (@koukannha) August 7, 2020
ちなみにキングダムでは、蒙驁将軍が魏の山陽を攻めた時に廉頗(れんぱ)将軍と戦っています。
この時の蒙驁将軍は王翦・桓騎という過去の六将にも引けを取らない実力を備えた副将がいて、対する廉頗は廉頗四天王と呼ばれる優れた武将を率いていました。
キングダムでは結果として、蒙驁将軍は廉頗将軍を破りましたが、この山陽の戦いは史実でも行われたのでしょうか?
キングダムの山陽の戦いは、史実でも東郡を置いた紀元前242年の戦いとして記録されています。
ただ史実ではこの時の戦いに、廉頗将軍が出陣してきたという記録はありません。
廉頗将軍はこの時には趙から魏に亡命していたものの、魏では信任されることなく大軍を率いたことは無かったとされています。
そのため山陽を巡る戦いは史実では存在していたものの、この時の蒙驁将軍vs廉頗将軍という戦いは、キングダムの創作だったことが明らかになっています。
蒙驁将軍は若い頃に廉頗将軍と戦った?
またキングダムでは、蒙驁将軍は若い頃に廉頗将軍と何度も戦ったことになっています。
この点は史実ではどうなっているのでしょうか?
史実では蒙驁将軍と廉頗将軍が戦ったという記録が、そもそも残されていません。
ただ史実の蒙驁将軍も元は「斉」の国の出身ですし、廉頗将軍は斉を攻めたことがあります。
そのため蒙驁将軍と廉頗将軍が戦った可能性は否定できない、ということになります。
ちなみにキングダムでは百人将や三百人将など、各段階で蒙驁と廉頗は戦ったことになっています。
(単行本19巻・第199話)
同じように蒙驁将軍と廉頗将軍は、まだ将軍ではない時期に顔を合わせていた可能性があるのかもしれませんね。
キングダム蒙驁は史実に実在?まとめ
白老蒙驁😄
リクエストもいただいてましたが、キンランLG記念に😆 pic.twitter.com/f3CyAtYDSe— Toma (@RideKaz) July 3, 2021
ここまでキングダムの蒙驁の史実と最後をご紹介してきました。
蒙驁将軍は史実では、数多くの城を落とした武将でした。
その戦功だけを見れば名将クラスであるものの、史記の中で列伝が立てられているわけありません。
また蒙驁は信陵君に敗れていますので、その点で評価を落とした可能性は考えられます。
とはいえ数多くの城を落とした蒙驁が、中華統一に大きな貢献をしていたことは確かでしょう。
それでは以上でキングダム蒙驁将軍の史実に関するご紹介を終わります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!