久保建英の両親の仕事や年収は?両親の教育方針がヤバい?

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サッカーの久保建英選手はオリンピックでも活躍をしましたが、オリンピックは残念な結果になりました。

久保建英選手の今後の活躍も楽しみですが、気になるのは家族で父親や母親のお仕事は何で、どんな教育方針を掲げていたのでしょうか?

また久保健英選手には弟がいて同じくサッカーをしていますが、弟の実力はどの程度で現在はどこの所属しているのでしょうか?

こちらではサッカーの久保建英選手の両親の仕事や教育方針を見ていき、弟の現在についてもご紹介していきます。

それでは最後までお楽しみください。

 

Contents

   
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久保健英選手のお父さんのプロフィールは?

さて久保建英選手のご家族の紹介からですが、両親と弟の4人家族ということが分かっています。

まずはお父さんの紹介からですが、お父さんの名前は久保建史(くぼ たけふみ)さんと言います。

  • 生年月日・・・1971年生まれ(誕生日は不明)
  • 年齢・・・・・50歳
  • 出身地・・・・和歌山県
  • 出身大学・・・筑波大学体育専門学群

    また久保建英選手がスペインのバルセロナに渡ったのは、建英さんが小学4年生の時でした。

    この時にはお父さんの建史さんは、仕事のため一人で日本に残っていたそうです。

    (お母さんたちは、建英さんと一緒にバルセロナに行っていたようです。)

    このお父さんの仕事は何なのでしょうか?

     

    久保建英さんのお父さんの建史さんの仕事は?

    久保建英選手のお父さんのお仕事は、サラリーマンであることが分かっています。

    職場はミサワホームとのことで、現在の役職は「総務人事部長 兼 BR働き方改革推進室 担当室長」となっているそうです。

    管理部門で部下を育てた経験は、息子さんの建英さんの育て方に良い影響を及ぼしたのかもしれませんね。

    ちなみにお父さんの収入はどのくらいなのでしょうか?

     

    久保建英選手のお父さんの年収は?

    ちょっと下世話かもしれませんが、ミサワホームの年収を調べてみましたwww

    ミサワホームの平均年収は、約703万円。

    また50~54歳の男性社員の年収は、約818万円とも言われています。

    さらに部長職での年収を調べてみると、約1163万円だと言われています。

    お父さんの建史さんは、「総務人事部長 兼 BR働き方改革推進室 担当室長」となっています。

    部長職の1163万円に加えて、「BR働き方改革推進室 担当室長」の給料が上乗せされているかもしれませんね。

    では久保建英選手のお母さんはどんな人なんでしょうか?

     

     
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    お父さんの建史さんのサッカーの実力は?

    さてお父さんの建史さんですが、高校・大学とサッカー部に所属していたことが分かっています。

    ではお父さんもスゴい選手だったのか?というと、息子さんほどの実力があったわけではなさそうです。

    とはいえお父さんの建史さんは、歴史と伝統があって強豪として知られる筑波大学のサッカー部に所属していましたので、サッカー経験者の中でもサッカーが上手かったであろうことが伺えます。

    もしかすると久保建英さんのサッカーの上手さの背景には、お父さんから受け継いだ運動神経の良さがあったのかもしれませんね。

     

    お父さんの建史さんのサッカーの指導経験は?

    またお父さんは、大学時代には少年サッカーで指導をしたことはあったそうですが、それ以外ではサッカーの指導経験は無かったそうです。

    ただお子さんが生まれてから一緒にサッカーで遊んでいたそうで、その後に東京の稲城市の坂浜サッカークラブでコーチをしていたことも分かっています。

    また建英さんが生まれると、建英さんが2歳の頃からお父さんと一緒にサッカーボールをけり始めたそうです。

    そして親子でボールを蹴っていたのは、1年のうちで350日以上だったそうです。

    当初はサッカー経験者だったお父さんが自分の経験を元に息子の建英さんにサッカーを教えていたそうです。

    ただ息子の建英さんはサッカーの飲みこみがかなり早く、建英さんが小学校に入学する頃にはお父さんが教えることは無くなっていたそうです。

    そこからお父さんはサッカーの勉強をするようになり、建英さんが18歳でプロとして活躍するために、建英さんが子供の頃から何をすべきなのかをお父さんは考えたと言われています。

    お父さんは息子の建英さんのサッカー教育にかなり力を注いでいたそうですが、そんなお父さんの仕事は何なのでしょうか?

     

    お父さんの建史さんの教育方針は?

    お父さんの建史さんの教育方針については、2012年5月にお父さんが出版した「おれ、バルサに入る!」に記載されています。

    その中には、お父さんの建史さんのユニークな教育方針が紹介されていて、以下のような教育方針が披露されています。

    • 子供たちを外で遊ばせる時は「はだし」
    • 子どもたちだけの自主グループに参加させ、毎日公園などで遊ばせる
    • 小さいうちはテレビをつけない

    子供たちを外で遊ばせる時は「はだし」

    まず子供たちを外で遊ばせるときは「はだし」であることを徹底させていたそうです。

    その理由としては、足の裏は「第二の心臓」と言われているように、足の裏はそれだけ重要な健康のバロメーターです。

    その上、足の裏の感覚を養うためという理由から、子どもたちを外で遊ばせる時には「はだし」にさせていたそうです。

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    確かにはだしで外に出るだけで気持ちイイよなぁ。精神的にも良い効果があるのかも?

     

    子どもたちだけの自主グループに参加させ、毎日公園などで遊ばせる

    また建英さんたちを子どもたちだけの自主グループに参加させて、毎日公園で遊ばせていたそうです。

    この理由としては、子どもたちの自主性を重んじていたのかもしれません。

    つまりこの自主グループで子供たちの自発的な遊びを促したり、子どもたちで問題を解決させるように促したりしていたそうで、親たちは介入しないことにしていたそうです。

    忍者
    遊びを自分たちで作っていたことが建英選手のサッカーでのアイデアや発想につながったかもしれませんね。

     

    小さいうちはテレビをつけない

    またお父さんの建史さんは、子供が小さいうちはテレビをつけないことにしていたそうです。

    それはテレビの情報量の多さと速さに子供の脳みそはついていけないと考えたそうで、小さいうちはテレビを見せないという教育をしていたそうです。

    テレビを見せるより外で他の子どもたちと遊ばせるという教育方針は、建英選手の中に様々な経験を蓄えさせることにつながったでしょうね。

    他にもお父さんは長男である建英さんを次男のように育てた、おもちゃやゲームを買い与えずに外で遊ばせるようにした、本の読み聞かせをした、などお子さんの教育に様々な工夫をこらしていたようです。

    そんなお父さんの愛情あふれる教育方針の元、久保建英選手はすくすくと活発に育っていったことが伺えます。

     

     
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    久保建英選手のお母さんはどんな人?

    さて久保建英選手のお母さんはどんな人だったのでしょうか?

    お母さんは現在は専業主婦とのことで、下の名前も不明です。

    今後お母さんが結婚される前の仕事など、プロフィールの詳細は分かり次第こちらで追記していきます。

    また久保選手への教育方針には、お母さんの影響があったと言われていますが、お母さんの教育方針はどんなものだったのでしょうか?

     

    お母さんの教育方針は?

    さて久保建英選手のお母さんの教育方針ですが、長男として生まれた建英さんを次男のように育てたいと考えていたのはお母さんの考えだそうです。

    有名人や実力のあるアスリートに次男が多いことに着目。

    そこから建英さんを、次男のように育てたいという考えが出てきたそうです。

    またお母さんの考えでは、家が居心地が良すぎると子供たちが外で遊ばなくなるため、家におもちゃを置かない方針だったと言われています。

    お母さんは建英さんが子どもの頃から一日中外で遊ばせたそうで、お母さんも一緒に外で遊んだとも言われています。

    幼い頃から外で思いっきり遊んだことで、運動神経や感覚が育まれた面はあったのかもしれません。

    またお母さんは建英さんたちには、年上の子供相手でも年下の子供相手でも関われるようにしたいと思っていたそうです。

    そこで地域の情報誌から自主保育の団体を見つけて、そこに建英さんたちを入れたそうで、そこで健英さんたちは自分たちで公園などで遊んでいたと言われています。

    こうしたお母さんの教育方針が、建英さんたちに好影響を与えたことは間違いなさそうです。

     

    お母さんもスペインに移住?

    またお母さんは建英さんがスペインのバルセロナに渡った時に、建英さんの弟を連れてスペインに移住していたと言われています。

    お母さんは知り合いもいないスペインで息子さんたちを支えたことになりますが、言葉の壁もあったと思われますし、ご苦労をなさったことでしょう。

    もしかするとお母さんは気さくですぐに誰とでも仲良くなるタイプだったのかもしれませんが、教育方針からしてもしっかりとした女性であることが伺えます。

     

     
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    久保建英の両親の仕事や年収は?両親の教育方針がヤバい? まとめ

    ここまで久保建英選手のご両親のお仕事や教育方針などをご紹介してきました。

    お父さんの職業は普通のサラリーマンですが、筑波大学でサッカーをしていたようにサッカーの実力はあったようです。

    また調べてみて優れていると感じたのは、久保建英選手のご両親の教育方針で「外で遊ばせる」「外で遊ばせる時は『はだし』」「子供たちの自主性を重んじる」などの教育方針を貫いていました。

    そのことが久保建英選手の運動能力や感覚を鍛えることにつながったかもしれず、参考になる教育方針なのかもしれません。

    それでは以上で、久保建英選手のご両親の仕事や年収に関するご紹介を終わります。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

     
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