キングダム呉慶(ごけい)は史実に実在!強さや息子・最後を徹底解説!

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キングダムは古代中華の秦の始皇帝の時代を描いた大人気マンガです。

映画キングダム2も公開され、この映画の中では呉慶(ごけい)という武将が登場してきます。

さてこの呉慶という人物は、史実に実在した武将なのでしょうか?

また史実での強さや息子、そして最後はどうなったのでしょうか?

こちらでは映画キングダム2にも登場してくる呉慶の史実と、キングダムでの様子などを詳しくご紹介していきます。

それでは最後までお楽しみください!

 

Contents

   
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キングダム呉慶は史実に実在!

さてまず映画キングダム2にも登場する呉慶(ごけい)ですが、この人物は史実に実在した武将として知られています。

この呉慶が登場するのは、ご存知「戦国策」という古代中国の書物です。

この戦国策の中で、呉慶はどのような人として描かれているのでしょうか?

 

戦国策の中の呉慶とは?

さて戦国策に登場する呉慶ですが、この書物の中で呉慶は、魏王に秦との接し方を説いています。

ちなみにこの時、秦は趙の都・邯鄲(かんたん)を攻めることをやめて、魏の寧邑(ねいいう)を攻め落としました。

そして呉慶は、この時の魏王が秦と講和するのではないか?と心配して、次のように説いたと言われています

「秦の人々が邯鄲を撤収して、二周(東西の二周)を通り過ぎて王の国を攻めているのは、王をくみしやすいと思っているからです。

王にも、弱腰が却(かえ)って攻撃を招くことをご存知でしょうか」

呉慶はこのように、魏王に対して弱腰の姿勢が攻められる要因を作っていることを説いたと言われています。

ちなみに呉慶が戦国策に登場する場面は、この場面だけになります。

 

史実の呉慶の強さは?

ちなみに呉慶の史実での強さはどのくらいなのでしょうか?

呉慶の記録として史実に残されているのは上記のみですので、戦場での強さについては不明です。

呉慶の記録がこの記録のみというところからは、史実の呉慶は弁舌によって諸国で政治に影響を与える「遊説家」というところでしょうか。

 

史実の呉慶はどの国の出身?

ちなみに戦国策では、呉慶は呉の人と書かれています。

呉慶は魏王に秦に対する姿勢を説いていましたが、呉慶は呉の出身となっています。

 

史実の呉慶に息子はいるの?

またキングダムでは呉慶の息子として、呉鳳明(ごほうめい)が登場してきます。

ただ史実での記録は、先ほどご紹介したもののみ。

ですので史実での息子の存在は明らかにされていませんが、歴史に名が残っている呉慶に息子がいても不思議はないと言えそうです。

 

 
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キングダムの呉慶とは?

ではキングダムの呉慶をご紹介していきますが、キングダムの呉慶は魏の武将として登場してきます。

また呉慶は本能型の麃公(ひょうこう)将軍と対比して、知略型の武将として描かれています。

ただ呉慶は知略型とはいっても武力や強さも優れたものがあり、秦国の丸城の城主・黒剛(こくごう)という猛将を呉慶は自ら討ち取っています。

知勇兼備の優れた将。

それがキングダムの呉慶将軍になります。

 

キングダムの呉慶は信陵君の食客!

またキングダムの呉慶は、信陵君の食客として描かれています。

信陵君は戦国四君の一人で、戦国四君はそれぞれが一国の王に匹敵する力を持っていたと言われてます。

ちなみに戦国四君は以下の人物です。

  • 孟嘗君(もうしょうくん)
  • 平原君(へいげんくん)
  • 信陵君(しんりょうくん)
  • 春申君(しゅんしんくん)

このうちキングダムに実際に登場してきたのは、楚の春申君ですね。

また戦国四君は才能のある人物を集めて食客として囲っていました。

いざという場面で、それぞれの食客が自分の能力や才能を誇示する場面が、史記などの歴史書に描かれています。

 

キングダムの呉慶は信陵君の食客!

またキングダムの呉慶は、魏火龍七師の一人として描かれています。

魏火龍七師というのは、魏の国に当時存在していた優れた武将7名を司る呼称です。

秦の六大将軍や趙の三大天と同様の名称ですね。

この魏火龍七師となった武将は、以下の人物です。

  • 呉慶
  • 霊凰(れいおう)
  • 凱孟(がいもう)
  • 紫伯(しはく)
  • 太呂慈(たいろじ)
  • 晶仙(しょうせん)
  • 馬統(ばとう)

ちなみに魏火龍七師という名称は、呉慶たち世代の優れた将に与えられた呼称です。

ただ火龍という呼称は、息子の呉鳳明が引き継いだことになっています。

>>紫伯が起こした同士討ち事件とは?<<
 

キングダム呉慶は小国・甲の王族!

またキングダムの呉慶は元々は魏の国の人物ではなく、甲という小国の王族でした。

そんな呉慶は子どもの頃に、国が滅びることを目の当たりにしました。

そのため侵略者に対しても苛烈な感情を抱きがちで、侵略者に対しての対処は非常に厳しいものがあります。

また呉慶は元小国の王族で、国を滅ぼされた過去があることが、麃公将軍との対戦に深く影を落とすことになっていきます。

 

キングダム呉慶の息子は呉鳳明!

またキングダムの中では、呉慶の息子は呉鳳明(ごほうめい)となっています。

ちなみに呉慶の息子は呉鳳明しか登場していませんが、呉慶の息子が一人なのかは謎のままとなっています。

そし呉鳳明は巨大な井闌車などを作る発明家の一面もある、知略型の武将です。

呉鳳明は函谷関の戦いでも見せ場を作りましたが、魏の火龍であり魏の第一将という立ち位置で、魏では存在感を発揮しています。

>>キングダム呉鳳明とは?<<
 

キングダム呉慶の最後が見事!

またキングダムの呉慶は、最後に麃公将軍との一騎討ちで戦死することになります。

秦の麃公将軍は非常に武力の高い武将です。

普通であればこの麃公将軍と一騎討ちを避けるものですが、なぜか呉慶は麃公将軍との一騎討ちに応じました。

それは呉慶自身も高い武力を持っていて、自らの強さに自信があったという面もあったと思われます。

そしてもう一つは国を滅ぼされた過去が、呉慶将軍を麃公将軍との一騎討ちに向かわせた面があったようです。

また呉慶は最後まで麃公将軍との一騎討ちにこだわりますが、その戦いと散り際は見事の一言に尽きるものでした。

詳細は漫画・アニメや映画でご覧いただければと思います。

(まだ私はキングダムⅡを見てませんが、早く見てぇ!)

 

もしもキングダム呉慶が麃公将軍との一騎討ちに応じなかったら

またもしもキングダムの呉慶が、この時の麃公将軍との戦いで一騎討ちに応じなかったら、戦いの結末はどうなっていたのでしょうか?

この麃公将軍と呉慶将軍が戦った時には、麃公将軍に付き従っていた秦軍は約3千。

対する魏軍は5万を超えていましたので、兵力差では圧倒的に魏軍が有利ではありました。

ただ魏軍は、麃公将軍を討ち取るべく放った朱鬼・麻鬼という強力な武将が討たれています。

この状況で麃公将軍を止めなければ、魏軍は兵の数を大幅に減らしていたことは想像にかたくありません。

また敵兵を圧倒する麃公将軍と秦軍は勢いに乗って、さらに強さを増した可能性も考えられますし、魏軍の兵は大幅に減ってしまった可能性も否定できません。

となるとこの状況(麃公将軍を倒せる力のある武将の戦死)に至れば、誰かが麃公将軍を止めなければ魏軍の勝利はおぼつかない流れになっていたのかもしれません。

つまり麃公将軍を相手にしたこの状況での戦いでは、呉慶が麃公将軍を止めなければ魏軍は敗北し、兵力を大幅に減らした可能性も充分にあったのではないか?と思われます。

その意味では呉慶将軍は、魏軍の兵の多くを生き残らせたいという狙いから、麃公将軍との一騎討ちに応じたのかもしれない、と個人的には思います。

果たしてもしも呉慶が麃公将軍との一騎討ちに応じなかったら、どうなっていたんでしょうね?

 

 
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キングダムの呉慶の史実とは?強さや息子とその最後とは?

さて、ここまでキングダムの呉慶(ごけい)将軍をご紹介してきました。

呉慶将軍は史実に実在した人物ですが、魏王に秦への姿勢を説いた人物として記録が残されています。

ただ史実に残された呉慶の記録はそれだけで、戦場での強さや息子の有無、そして最後の様子は明らかになっていません。

またキングダムでの呉慶は、以下の特徴がありました。

  • 戦国四君の一人・信陵君の食客
  • 魏火龍七師
  • 知勇兼備の知略型の武将
  • 息子は呉鳳明
  • 最後は麃公将軍との一騎討ちで戦死

最後は非常に勇猛な戦いを貫いた呉慶将軍でした。

ただもしも麃公将軍との一騎討ちに応じなかったらということを考えると、それまでの展開からは、ここで呉慶将軍は麃公将軍との一騎討ちに応じる必要はあったのかもしれません。

それは魏軍の兵士の命を守るためだったのかもしれませんが、呉慶将軍の最後が見事だったことは色あせることはないでしょう。

それでは以上で、キングダムの呉慶将軍の史実や強さ、息子や最後のご紹介を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 
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