キングダム政の父親は呂不韋か荘襄王か?政の実の親子関係を徹底考察!

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キングダムは古代中華を舞台にした人気漫画で、単行本は60巻以上が発行されています。

そんなキングダムは秦の始皇帝の時代が描かれていますが、のちの始皇帝となる秦王・政はキングダムでは光ある王として描かれています。

ただ政の父親にはやや疑惑があって、政の父親は先代の秦王・荘襄王(そうじょうおう)ではなく、呂不韋だという噂があります。

これはキングダムでも描かれていましたが、歴史上の記録でも同様の記述があります。

では政の父親が呂不韋であると言われる理由は一体何なのでしょうか?

また政の本当の父親は誰なのでしょうか?

こちらでは政の父親が呂不韋なのか?荘襄王なのか?という点について、歴史上の記録を元に考察したいと思います。

それでは最後までお楽しみください!

 

Contents

   
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キングダム政の父親は呂不韋?


さてキングダムの政の父親は呂不韋ではないか?とウワサされています。

それは一体どういった理由なのでしょうか?

まずは歴史上の記録から呂不韋が政の父親ではないか?と言われる理由を見ていくことにしましょう。

 

奇貨居くべし

まず呂不韋についてですが、この人物はキングダムでも描かれていたように歴史上の記録でも大商人として知られています。

そんな大商人だった呂不韋は、商用で趙の邯鄲(かんたん)に出向いた時に、のちの荘襄王(そうじょうおう:政の一代前の秦王)となる子楚(しそ)という人物が邯鄲にいることを知ります。

ちなみにこの子楚の父親はのちの孝文王なのですが、この孝文王には20人余りの子供がいました。

また子楚の母親の夏姫(かき)は、孝文王の愛を得られなかったため、子楚は人質として趙に送られていました。

しかも秦はお構いなしに趙を攻撃したので、人質だった子楚は冷たいあしらいを受けたと言われていますし、日々の生活にも事欠く始末だったと言われています。

呂不韋はそんな子楚の様子に同情して、また自分の利益のために、子楚を次の秦王にすることを企んで子楚に近付くことになります。

この時に呂不韋が言った言葉が「奇貨、居(お)くべし」。

これは「チャンスだ、うまく利用しよう」という意味として使われますが、「掘り出し物だ。買っておこう。」とも訳されています。

つまりここで呂不韋は、子楚が秦王になるための後ろ盾となったことになります。

さてここから2人はどんな関係になったのでしょうか?

 

荘襄王(子楚)は呂不韋の妾をもらい受けた?

ここから呂不韋は子楚を秦王にするために様々な画策を行ってきますが、呂不韋は邯鄲の舞姫の中でもとりわけ美形で踊りの上手な女を身受けして、手元に置いていました。

その女はやがて呂不韋の子供を身ごもることになりました。

そんな時、呂不韋が子楚を招いて宴会を行ったのですが、そこで子楚はこの呂不韋の女に一目惚(ぼ)れをすることになります。

そこで子楚は呂不韋にこの女を譲って欲しいと頼みこんだそうです。

呂不韋もムッとしたものの、子楚を秦王にするために全財産を投じていましたので、女のことは大事の前の小事だと考えなおして、女を子楚に譲ることにしたそうです。

ただこの女はすでに呂不韋の子供を身ごもっていました。

そしてそれを隠したまま、女は子楚の元に向かったことになっています。

その後、子楚と女の間に生まれたのが政ということになっていて、それから子楚はこの女を正夫人としていますが、この点が政の実の父親は呂不韋ではないか?と推測される根拠となっています。

そしてキングダムでも、呂不韋は意味深で不用意な発言をしています。

 

キングダムでの呂不韋の不用意な発言とは?

キングダムでは呂不韋は政のことを、このように「さすが私の息子です」と発言しています。

この発言に対して、近くにいた蔡沢(さいたく)は非常に驚いていましたが、呂不韋はこの発言を冗談だと一蹴(いっしゅう)しています。

 

 
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キングダム政の父親はやはり荘襄王か?


ではキングダムの政の父親はやはり一代前の秦王である荘襄王なのでしょうか?

この点についてですが、政こと秦の始皇帝が荘襄王の子であると、史記には明記されています。

またキングダムでも書かれていましたが、呂不韋の子供であれば妊娠の月数の計算が合わないことが史記にも書かれています。

子楚の元に移った呂不韋の女は、予定日から2か月も遅れて政を生んだという記載があるんですね。

それらを考えると、始皇帝は荘襄王の子供であることになりますが、真相はどうなのでしょうか?

>>キングダム呂不韋の最後はどうなった?

 

荘襄王と呂不韋の話はガセネタ?

さて始皇帝の本当の父親が誰なのか?

残念ながらこの点については、現在では真相を究明することはできません。

ただあくまで個人的な意見ですが、政は荘襄王の子供である可能性が高いようには思います。

ご存知のように歴史書の史記は、秦の次の漢の時代に書かれた書物です。

その漢は秦から天下を奪う形になりましたので、漢の時代の歴史書では秦をヒドい国に仕立て上げたかったという狙いがあったのではないか?とも思います。

それは漢という国の正当性をアピールするため、とも言い換えられるかもしれません。

また本当に末期の秦はヒドい状況であり、秦という国に対する批判が当時はまだ根強かったのかもしれませんし、印象が悪ければさらなる批判も出やすくなるでしょう。

そんな秦に対して否定的な「世論」がその当時にあったことで、秦の始皇帝の出生についても必要以上に話が盛られた可能性があるように思います。

また子楚が呂不韋の女を譲り受けたという事実は確かなのかもしれず、その話が確かであれば憶測が憶測を呼び、呂不韋が政の父親というウワサが発生したのかもしれませんね。

ただ真相はやぶの中。

あとはそれぞれの方の想像に任されることになりますが、果たして真相はどうなのでしょうか?

 

 
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キングダム政の父親は呂不韋? まとめ

さてここまでキングダム政の父親は呂不韋なのか?荘襄王なのか?という点についてご紹介してきました。

歴史上の記録でもキングダムでも、政の実の父親は呂不韋ではないか?という表現が登場してきます。

ただ政が呂不韋の子供だとすれば、妊娠の月数が2か月合わないことが史記にもキングダムにも記載されています。

また私も政は荘襄王の子供だった可能性が高いと思いますし、その時代背景から漢という国の正当性をアピールするために、秦をヒドい国に仕立てたいという思惑は若干ながらあったのではないか?と思います。

そこで政の父親についてやや話が盛られた可能性があると思いますが、荘襄王が呂不韋の女を見初めたことは確かかもしれません。

そうした事実があれば憶測が憶測を呼ぶ事態となることは想像にかたくありませんが、真相はどうなのでしょうか?

それでは以上で、キングダム政の父親が呂不韋なのか荘襄王なのか?という点の考察を終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 
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