キングダム麃公(ひょうこう)将軍の最後がヤバい!盾を李信はどうする?

キングダム 麃公 最後 史実
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古代中華を舞台にした大人気マンガのキングダム。

このキングダムはアニメ化もされていて、魅力的なキャラクターも多く登場してきます。

その中に秦軍の麃公(ひょうこう)将軍という人物が存在しています。

この麃公という将軍は、主人公の信を可愛がる武将として描かれていますが、すでにキングダム本編の中では龐煖(ほうけん)との戦いで戦死するという最後を迎えています。

それではこの麃公の最後は漫画では何巻何話なのでしょうか?

また麃公は最後に信に盾を投げつけましたがその意図はどこにあって、信はこの後で麃公の盾をどうするのでしょうか?

こちらではキングダムの麃公の史実やキングダムでの活躍を振り返りながら、麃公将軍の最後と盾を信がどうするのかなどについて、詳しくご紹介していきます。

 

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キングダム麃公将軍とは?

さてキングダムの麃公将軍について簡単に振り返っていきますが、まず麃公将軍は史実に実在した将軍として知られています。

この麃公将軍の史実での記録は以下の2点です。

  • 紀元前246年:政が秦王に即位すると麃公は将軍に任命される
  • 紀元前245年:魏の巻を攻め、敵の首3万を斬る

 

史実では麃公の記録は少ないものの、政が秦王になった時に将軍に任命されましたので、それまでに充分な活躍をしていたからに他なりません。

その意味では、史実の記録に残されていない麃公の活躍があったことが推測されますね。

また史実では、麃公の死の記録も残されてはいません。

どのような最後を麃公が迎えたのか?

それはそれぞれの人の想像に任されるものになっています。

 

麃公将軍のキングダムでの活躍は?

また麃公将軍は、キングダムではどのような活躍を見せていたのでしょうか?

麃公将軍の武功としては、蛇甘(だかん)平原の戦いで魏の呉慶(ごけい)を倒すという活躍を見せています。

この蛇甘平原(だかんへいげん)という名前は、キングダムの原先生の創作ということが分かっています。

この蛇甘平原の戦いは、麃公将軍が魏の巻を攻めたという史実を元に話を広げたのでは?と推測されますね。

ちなみにこの呉慶は魏の呉鳳明(ごほうめい)の父親で、のちに麃公は合従軍戦の直前に呉鳳明と戦いそうになりましたが、実際に戦うことはありませんでした。

その他にキングダムの中で、麃公将軍が倒した武将というものは存在していませんが、かつての六大将軍・王騎は、麃公をこう評しています。

「あの方は私と五分の武力の持ち主

そして率いる軍の強さは王騎軍より少々上!」

それだけの強さを秘めているのが麃公将軍と言えます。

 

麃公将軍は本能型の極み

また呉慶との戦いで本能型vs知略型という戦いを見せた麃公でしたが、麃公将軍は本能型の極みにある武将として描かれています。

そんな麃公将軍は以下のような特徴を備えています。

  • 戦の捉え方が独特で、戦を燃え盛る一つの大炎として捉えている
  • 火の起こしどころを探す、策略の臭いを感じるといった戦い方を繰り広げる
  • 各軍の置き方や戦い方はどの兵法書でも禁とするものが平気で目に付く
  • 無意味なほど兵を死なせる一方で、要所要所で有り得ぬような勝ちをおさめて、その差を帳消しにしてくる
  • 敵軍の「起こり(動きの予兆)」を察知して相手の動きを読み、敵の技を封じさらに返し技を出す

 

六大将軍にならなかったワケは?

また麃公将軍は王騎将軍並みの強さを持っていましたが、六大将軍になったわけではありません。

それは麃公将軍が、六大将軍に興味が無かったというのがその理由でした。

麃公将軍からすると、六大将軍は戦場に甘美な夢を抱いているように見えていました。

しかし麃公将軍にとって、戦場は家であり戦いが生きることだったと言います。

実際に麃公将軍は、昭王からの誘いも無視し続けていたそうです。

そんな麃公将軍はただ戦場で戦い勝利し、その夜うまい酒を飲めれば満足という気持ちで戦いに臨んでいました。

六大将軍と麃公将軍は、違う道を歩んでいた。

それが麃公将軍が六大将軍にならなかった理由でした。

そんな麃公将軍が最後を迎えることになりました。

それはどんな最後だったのでしょうか?

 

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キングダム麃公の最後は?

ではここから麃公将軍の最後について振り返っていきます。

麃公将軍の最後は漫画で何巻の何話に描かれているかと言いますと、単行本では30巻・325話「前進」で描かれています。

ここに至る経緯としては李牧が率いる合従軍によって秦が攻められたことから始まりましたが、秦は函谷関で合従軍を退けることを選択。

秦は函谷関防衛戦を成功させたかに思えました。

しかしそこから李牧は別の動きを見せることになっていきます。

この李牧の動きを戦場で察知したのが麃公将軍でした。

それは30巻・322話「麃と飛」の回に描かれていましたが、後から振り返るとこれは麃公が死に近づいた一歩だったことになります。

 

李牧の背を討つ麃公将軍

李牧の動きを察知した麃公でしたが、李牧の狙いは秦の首都・咸陽(かんよう)でした。

李牧は函谷関に合従軍を止めたまま、李牧自らが別動隊を率いて別のルートから咸陽を落とすことを考えていたのでした。

その動きを戦場で察知した麃公将軍は、合流した飛信隊と共に李牧軍の背を討つことになっていきます。

しかしここから李牧は新たな戦術を見せることになります。

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李牧の戦術「流動」を見切る麃公

李牧が新たに放った戦術。

その名は「流動」と言います。

この流動は、キングダムの中では李牧と呉鳳明しか操ることができないとされています。

またこの流動は本陣というエサを追えば追うほど敵軍を分断させていき、最後に敵軍をからめ取って全滅させるという怖ろしい戦術です。

しかし本能型の極みである麃公将軍は李牧が操る流動の中、本能的な直感だけで李牧本陣に到達することに成功します。

この流動という戦術は、仕掛けている李牧以外に見切れる人はいないと言われていました。

実際に趙が誇る本能型の武将の慶舎(けいしゃ)でさえも、この流動を一度も見切ることができなかったと言われています。

しかし麃公将軍はこの流動を初見で見破ることに成功します。

ここで麃公将軍は、李牧の理解の範疇(はんちゅう)を超えた本能型の極みにある武将であることが証明されることになりました。

ただ李牧は麃公将軍に本陣に到達されながらも慌てるそぶりを一つも見せていませんでした。

李牧本陣にはあの龐煖(ほうけん)が待っていました。

 

麃公将軍と龐煖の勝負の行方は?

李牧本陣に到達した麃公将軍でしたが、ここから龐煖(ほうけん)と戦うことになっていきます。

龐煖はご存知の通り、王騎が倒されたほどの趙の武将です。

現れた龐煖に禍々しさを感じた麃公でしたが、当初は麃公は現れた人物が王騎を倒した龐煖だと分かっていませんでした。

龐煖が自らの名を名乗って、目の前の相手が王騎の仇であることを認識した麃公将軍。

ここから2人の勝負が始まっていきますが、矛の交わし合いでは龐煖が有利に戦いを進めていきます

 

麃公軍の反撃を許さぬ李牧

龐煖の優勢。

そうして2人の戦いは進んで行きますが、麃公も龐煖に対して反撃をしていくことになります。

戦況の火の付け所(反撃の糸口でしょうか)を探っていた麃公将軍は、王騎との勝負は矢がなければ王騎が勝っていたことを語り、言葉で龐煖を乱しにかかります。

また龐煖は王騎の力が何だったのかを知るために戦場にいることを明かしますが、麃公は龐煖が自らの大いなる矛盾に気付かずにもだえているど阿呆(あほう)であることを見抜きます。

ここから麃公は龐煖に反撃をしていきますが、そこで麃公兵は息を吹き返しそうになりました。

しかし李牧は種火すら起こさせぬとばかり、軍に麃公兵を討ち取るように命令を下します。

そうして麃公軍の副官である岳牙(がくが)も趙軍に討ち取られてしまいます。

元々李牧本陣に到達したのも、麃公軍の数十騎のみ。

麃公が李牧を討てなければ勝ち目のない戦いでしたが、ここに信が麃公のピンチを救いに李牧本陣に向かおうとしてくることになります。

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信に前進を指示する麃公

キングダム 麃公 最後 史実

(引用:キングダム)

助けに来ようとする信に対して、麃公は咸陽を指さして「前進じゃァ」と大声で指示を出します。

麃公は助けに来ようとする信に対して「ここは貴様の火を燃やし尽くす場所に非ず」と言っていましたので、麃公はこの戦況では信が助けに来ても助からないことを自覚していたのでしょう。

そして麃公は落としていた盾を、信に向って投げつけます。

この時点で麃公は死を覚悟していたのかもしれません。

ここで龐煖は麃公の様子を死の覚悟ではなく、生を諦(あきら)めた弱者だと決めつけようとします。

しかし麃公はまた違う考えを持っていました。

 

つむがれていく炎を感じる麃公

麃公が死を間際に抱いていた気持ち。

それはつむがれていく炎でした。

この「つむがれていく炎」というセリフと共に描かれていたのは信でした。

麃公は死の間際にこの信に対して、新しい大炎の担い手として頼もしさを感じていたのかもしれません。

それゆえに麃公は自らの盾を託すべく、信に投げつけたのかもしれませんね。

そういえば王騎も信に矛を渡しましたが、王騎将軍も信に対して自分の跡を継ぐ頼もしい若者という気持ちを抱いていたのかもしれません。

自分の跡を継ぐ若い力が台頭してきている。

このことを麃公を確かに感じ取っていたはずですが、そんな麃公は龐煖との最後の死闘を演じていくことになります。

 

龐煖に倒された麃公

龐煖との最後の死闘を繰り広げていく麃公。

麃公は龐煖の髪を切り落とすなど、際どい勝負まで持ち込んでいきます。

しかし麃公は龐煖から左腕を奪われてしまいます。

そこからも右腕だけで龐煖を斬り伏せようとする麃公。

その麃公の矛を弾き飛ばした龐煖でしたが、麃公の本当の狙いは別のところにありました。

右腕だけになった麃公は、その残った右腕で龐煖の左腕を抱えます。

するとそこから麃公将軍は、龐煖の左腕を肘(ひじ)から折ってしまいます。

しかし麃公将軍の奮闘もここまで。

「童(わっぱ) 信 火を絶やすでないぞォ」

このセリフが麃公将軍の遺言になってしまいましたが、そこで麃公将軍は龐煖から討ち取られることになってしまいます。

ここで麃公将軍は壮絶な最後を迎えましたが、その最後は後継者を見届けることができた幸せにも満ちていたのかもしれません。

 

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キングダム麃公が死亡した時の年齢は?

ちなみに麃公将軍が死亡した時の年齢は何歳だったのでしょうか?

麃公将軍の年齢については具体的にキングダムで描かれたことはありません。

また私は王騎将軍の年齢について、死亡した紀元前244年の時点で52歳で死亡したと推測しています。

 

麃公将軍も王騎将軍と同世代に近いと思われますが、個人的にはキングダムの中で麃公将軍の年齢は王騎将軍よりも少し上だったのでは?と推測しています。

ちなみに蛇甘平原での戦いの時に、私は王騎将軍が51歳と推測していますので、麃公将軍は王騎将軍よりも2つ上と推測しました。

すると麃公将軍の年齢は、以下の年表のようになります。

西暦 出来事 王騎の年齢 麃公の年齢
紀元前245年 蛇甘平原の戦い 51歳 53歳
紀元前244年 馬陽の戦い 52歳 54歳
紀元前241年 函谷関の戦い 57歳

 

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キングダム麃公の盾を李信はどうする?

また麃公将軍は信に対して盾を投げつけました。

それは麃公が李信を自らの炎を受け継ぐ者だと認識していた表れだと思いますが、この麃公の盾を李信はどうするのでしょうか?

個人的にはやはり李信は麃公の盾を戦場では使わないのではないか?と推測します。

使わないというよりも使えないというのが現実かもしれません。

というのも王騎将軍から受け継いだ矛もかなりの重さがあって、李信も当初は王騎の矛を振り遅れるぐらいでした。

 

それほどの重たい矛を持って、さらに麃公の盾を持って戦うというのは実践的に難しいことになると思われます。

または麃公将軍の盾を使うとすれば馬に付けておくだけに留めるのかもしれませんし、もしかすると岳雷や我呂など元麃公兵に盾を譲るのかもしれません。

しかしどこかで麃公の盾が李信のピンチを救う―――

そんな場面を見たい気もしますが、そんな場面が描かれる時は来るのでしょうか?

 

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キングダム麃公の最後 まとめ

ここまで麃公将軍の最後と麃公将軍の盾を李信が使うのか?

この点についてご紹介してきました。

麃公将軍は本能型の極みにいる武将としてキングダムの中では描かれていました。

そんな麃公将軍のキングダムの中での武功は、呉慶を討ち取っただけですが、李牧の流動を直感だけで見切って李牧本陣に到達するなど、本能型の武将として優れた面を見せました。

また本能型の麃公は威勢の良い武将でしたし、子供のいない麃公は李信を可愛がっていた様子も描かれていました。

六大将軍には見向きもしなかった麃公将軍でしたが、その生き様と見事な死に様はキングダムファンの心にしっかりと刻み込まれたことでしょう。

そして麃公の盾ですが、さすがに李信は王騎の矛と麃公の盾を実践で同時に使うことは難しいはず。

それでも麃公の盾が李信のピンチを救うという場面を見たい気もしますが、果たして今後のキングダムで麃公将軍の盾が出てくる場面はあるのでしょうか?

また今後も麃公のことは回想シーンで出てくることがあるのではないか?と期待していますが、それではこれでキングダムの麃公の最後と盾に関する考察を終わります。

最期まで読んでいただいて、ありがとうございました!

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