キングダム項燕(こうえん)の史実!李信を破った能力や最後の死に方は

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キングダムは秦の始皇帝の時代を舞台にした人気マンガで、様々な武将が登場します。

またキングダムは基本的に、史実を元に物語が進んでいることでも知られていますが、楚の国に項燕(こうえん)という武将がこの時代には実在しています。

まだキングダムには登場していないこの項燕という武将ですが、ではこの項燕は史実ではどのような活躍をしたのでしょうか?

また項燕の能力はどのような数値になるでしょうか?

そしてキングダムの中では楚には項翼(こうよく)という武将がいますが、項燕と項翼の関係は?

さらにこの項燕という武将は最後にどのような死に方を迎えるでしょうか?

こちらでは楚の項燕という武将について、その史実での活躍から能力値を考察していき、その最後の死亡について見ていきたいと思います。

最後までお楽しみください。

>>キングダム本能型と知略型はどちらが強い?<<
 

Contents

   
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キングダム項燕の史実

秦の侵攻を食い止めたのは李牧と項燕

それでは項燕の史実での活躍を見ていきますが、この時期は秦の国力が増大していた時期。

秦は中華を統一しましたので当然ではありますが、この時期の秦の侵攻を食い止めたのは楚の項燕と趙の李牧のみだったと伝えられています。

では項燕はどのような形で秦の侵攻を食い止めたのでしょうか?

項燕が撃退したのはキングダムの主人公の李信でした。

秦が楚を攻略する段階になって、始皇帝は楚を攻めるのにどのくらいに兵力が必要かと李信に問いかけます。

李信は「まず20万もあれば充分かと思います。」

それに対して名将・王翦(おうせん)は60万は必要だと言っていました。

始皇帝は李信の方が気概があって頼りになると考えて、李信と蒙恬(もうてん)に20万の兵を預けることになります。

李信と蒙恬は二手に分かれて楚への侵攻を開始。

当初は勝利を重ねていた李信と蒙恬でしたが、2人が合流しようとした時に、項燕率いる楚軍はひそかに李信の軍隊を追跡

三日三晩の強行軍を重ねて一気に李信軍に襲い掛かると、不意を突かれた李信の軍隊は防衛線を破られてしまい、指揮官クラスを7名も失うという惨敗を喫してしまいます。

 

項燕、王翦(おうせん)に敗れる

ただその後に秦は名将・王翦を将軍に立てて、60万の軍勢で楚を攻撃することになります。

項燕は李信を破って秦の本気を出させることになってしまいましたが、楚も全国の兵を総動員して秦に対抗しようとしました。

ただここは王翦が一枚上手。

ここで王翦はすぐには戦おうとせず、兵士が退屈しのぎに石投げやジャンプの競技に熱中していると聞くと、体制は万全と発言。

そして楚軍が引き揚げを開始してから、王翦は追撃戦を展開。

ここで楚は王の負芻(ふすう)が捕らえられるという敗北を喫してしまいます。

 

 
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項燕の史実での最後は?

昌平君を楚王に立てて抵抗

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(引用:photoAC)

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、項燕は昌平君(しょうへいくん)を楚王にしたと伝えられています。

昌平君?

そう思うかもしれませんが、ご存知の通りこの昌平君はキングダムの中では秦国の軍総司令として活躍してきました。

ただ史実ではこの昌平君は始皇帝の怒りを買って、丞相の位をやめさせられることになっていて、その後は郢(えい)という土地に流刑(るけい=罪人を辺境の地に追放する刑罰)になっているんですね。

>>キングダム昌平君は裏切る?<<
 

そして昌平君は楚王の子供という血筋の人物です。

楚王に立てられるのも無理はないという昌平君なのですが、昌平君は項燕によって楚王にされる展開がキングダムでも待っていることだと思います。

 

王翦・蒙武に敗れて死亡する!

ただしかし、王翦は若き李信たちほど甘くはなかったようです。

昌平君を楚王に立てて抵抗した項燕でしたが、2人は王翦と蒙武の前に敗れ去ったと伝えられています。

ちなみに二人はここで戦死したと伝えられています。

 

 
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項燕の能力値や子孫は?

項燕の能力値や強さは?

また項燕の能力値や強さはどういう設定となるでしょうか?

個人的には「項燕」という名前の印象からは、孫の項羽のことを知っているからか、いかつくて武力が高い蒙武のような武将のようには思っていました。

ただ李信はキングダムでは武の結晶である龐煖(ほうけん)を倒したほどの武の持ち主。

この李信が項燕に個人の武で敗れることは考えにくいところがあります。

史実でも李信と蒙恬は楚を相手に当初は勝利を重ねていましたので、この李信が敗れるとすれば連戦連勝で浮かれているところに、知略優れた武将がスキを突いて追撃してきたパターンのように思います。

そしてキングダムでは本能型として描かれている李信ですので、本能型の武将を破るとすればそれはおそらく知略型の武将となるはず。

そうなると項燕という武将は知略型の武将なのではないか?

そんな推測が成り立つとは思います。

ですので能力値としては知力が高めで、ただ大将軍となっているところからは軍師タイプとは思えず、それゆえに武力もそこそこという設定のように思います。

  • 知力97
  • 武力85
  • 統率力93
  • 経験値S

この辺りが項燕の能力値になると予想します!

 

項燕の子孫は項羽

また項燕の子孫に項羽(こうう)という人物がいます。

項羽は項燕の孫にあたる人物で、秦の始皇帝が亡くなった後で秦は滅びることになりますが、秦の滅亡の時期に活躍したのが楚の項羽という将軍です。

ちなみに秦の次には漢という国が中華を支配することになり、この漢の初代皇帝が劉邦(りゅうほう)という人物なのですが、項羽はこの劉邦と中華の覇を争った人物としても有名です。

四面楚歌(周りが敵・反対者ばかりであること)という四字熟語は、項羽のエピソードに由来しています。

 

項燕と項翼の関係は?

また楚の武将に項翼(こうよく)という武将がいます。

莫邪刀(ばくやとう)という刀を操り、高い武力を誇る若き武将として描かれていますが、この項翼と項燕はどのような関係なのでしょうか?

史実では項燕の子供として、項梁(こうりょう)・項伯(こうはく)という人物がいることが分かっています。

ここに項翼という人物は出てきていませんね。

そうなるとおそらくですが、項燕と項翼は遠い血縁関係はあっても親子ではないと思われます。

ただ同じ名字ですので、叔父と甥のような近い関係であっても不思議ではないのかもしれませんね。

 

項燕の登場はいつ?

さてでは項燕という将軍はいつキングダムに登場するのでしょうか?

史実でも秦が楚に侵攻する時に、項燕は「大将軍」という立場で登場してきます。

この史実通りに考えれば、秦が楚を攻撃する時にようやく項燕はキングダムに登場してくるのかもしれません。

または秦が楚を攻撃しても当初は項燕は登場しないで別の武将(例えば媧燐)が楚軍を率いており、李信を追撃する段階になってようやく項燕は姿を現すのかもしれません。

早めに登場するのではなく、ギリギリまで登場が待たされるという展開をここでは予想することにします!

 

 
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まとめ

ここまで実在した楚の武将の項燕の史実の姿と最後の死に方、そして能力などを考察してきました。

歴史に実在した項燕でしたが、その史実での活躍の記録はそれほど多くなく、楚が滅びる直前での活躍のみが残っています。

ただ大将軍として登場していますので、それまでも大きな功績を残してきたはずですが、古い歴史上のことですので失われた記録も多かったと思います。

またキングダムでは李信は本能型の武将として描かれていますので、この李信を破ったのだとすれば項燕は知略型の武将として登場してくると予想します!

そしてその最後は、昌平君と共に戦死するという結末が史実の記録に残されていますが、あの昌平君と共に李信を破った項燕が秦と戦うわけですので、秦の中華統一に向けては最後の大きな山場になることも予想されます。

さて項燕は確実に今後のキングダムに登場してくる人物ですが、どのような人物でどのような能力値で、どのような形でキングダムの中では李信を打ち破るのか?

今後の展開が楽しみですが、それでは以上で楚の武将・項燕に関する考察を終わります。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

 
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