成恢(せいかい:キングダム)は実在?史実の記録とヤバい最後とは?

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キングダムは古代中華の秦の始皇帝の時代を描いた大人気漫画です。

このキングダムはアニメも面白いですが、特徴あるキャラクターが所狭しと躍動しているところが魅力的な歴史漫画です。

そんな魅力的なキャラクターの中に、ひときわ不気味な存在感を放つのが合従軍・韓の総大将である成恢(せいかい)です。

アニメでは成恢の肌は紫で、毒の使い手として描かれていますが、この成恢は史実に実在した武将なのでしょうか?

また成恢の強さや最後の死亡はどのようなものだったのでしょうか?

今回はキングダムの成恢に注目して、成恢が史実に実在したのか?という点や最後の死亡についてご紹介していきます。

それでは最後までお楽しみください!

 

Contents

   
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キングダム成恢(せいかい)は史実に実在の武将?

ではキングダムに登場してくる成恢(せいかい)が史実に実在の武将なのか?

この点からご紹介していきますが、成恢という人物は「戦国策」という中国の歴史書にその名前を確認することができます。

ただ史実の成恢は、キングダムの成恢と以下のような違いがあります。

  • 史実の成恢は、キングダムの時代より100年前に生きていた人物
  • 史実の成恢は魏の人(キングダムでは韓の武将)
  • 史実の成恢は他国の人物と交渉しているので、武将というよりも外交官(文官)か?

 

ちなみに成恢がキングダムの時代より100年前に生きていたというのは、戦国策では成恢が公孫衍(こうそんえん)という人物と同時代の人物であることが記述されているんですね。

またこの公孫衍は紀元前360年頃から紀元前300年頃に生きていたそうで、秦の始皇帝が中華を統一するのが紀元前221年。

ですのでおおよそですが、成恢が歴史上で生きていたのはキングダムの時代より約100年前だと推測されます。

つまり成恢は史実に実在した人物ではあるものの、キングダムの時代とは違う人物であり、その名前だけがキングダムの武将として使われたほぼオリジナルキャラということになります。

 

成恢の史実での記録は?

ちなみに成恢の史実での記録は以下の2つになります。

  • 成恢は韓の襄王に対して、魏から手を引くように説得した。
  • 韓によって、周という国から追い出された尚晋(しょうしん)が再び周に戻れるように、成恢は魏王や韓王と交渉した。

(出典:戦国策 中 下 明治書院)

 

簡単に書くと成恢の史実での記録は以上になります。

成恢についてはWikipediaも作成されていない人物ですが、「戦国策」という書物に成恢の上記の記録が残されています。

 

史実での成恢の最後は?

ちなみに史実での成恢の最後については記述が残されていません。

ですので、成恢が歴史上どのような最後を迎えたのかは不明です。

ではキングダムでの成恢は、どのような人物なのでしょうか?

 

 
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キングダムの成恢は毒の使い手

さてキングダムでの成恢についてですが、ご存知のように毒の使い手として描かれています。

ちなみに成恢が毒の使い手として描かれた経緯として、原先生はこう言っていました。

やっぱり(韓は)小さい国だから武の力も他国からは劣るだろうなと思いました。

それでも、激しい列国との争いの中で存命し続けている事実を見れば、外交という面はもちろんですが、武力の面でも何か正攻法ではない飛び道具があるかもしれないと考え出てきたのが「毒」だったというわけです。

やはりこれぐらいの卑怯技が無いと、生き残る術はなかったのではないかと。

(出典:週刊ヤングジャンプ キングダム特集第2弾 ー特別講義ー 戦国七雄の作り方)

 

これがという国に対する原先生の考えですが、こうした経緯で合従軍の韓の総大将・成恢が毒の使い手とされたようです。

 

成恢の初登場は何巻何話?

また成恢の初登場は、何巻何話だったでしょうか?

成恢の初登場は、単行本25巻・第268話「一堂に会す」の回のことでした。

各国の総大将が函谷関での戦いの直前に一堂に会するという場面で、成恢は韓の総大将として登場してきます。

見た目の不気味さから怪しさが漂っていましたね。

 

成恢の毒の研究はどのくらいスゴい?

また成恢の毒の研究はすさまじいものがありました。

成恢の毒の研究は、猛毒を持つ生物・植物・鉱物をかき集めてのものでしたが、その収集エリアは中華に飽き足りなかったようです。

成恢は毒の研究のために南方や西方に向けて、異民族が支配する地域にまで足を延ばしています。

それらを日夜研究して、抽出・混合を繰り返した結果、成恢は独自の様々な猛毒兵器を作り出すことに成功しています。

また本来の成恢は、男でさえ色気を感じるほどの美男子だったのですが、毒の研究で自らの肉体も毒に冒されています。

そのため成恢自身も、ドス黒い血管が浮かんでしまう醜悪な姿に変わり果ててしまっています。

ちなみに成恢の手下も健全な者はいないほどで、部下は100人以上が死亡してしまい、生きている者も体に何らかの異常をきたすという犠牲を出したほど。

また魏の知将・呉鳳明も一時期、毒に興味を持っていた時があったものの、この成恢がいたから「かなわない」と悟ったそうです。

 

成恢の使った毒の種類はいくつ?

またキングダムの合従軍戦で、成恢が使った毒は2種類ありました。

  • 矢に塗って敵をすぐに葬り去った「速効性のある毒」
  • 8日後に血を吹かせて人を殺すという「遅効性のある毒」で轟丹丸(ごうたんがん)という毒

 

なお合従軍は函谷関の15日目の戦いに総力を結集する予定でした。

そこで成恢は、轟丹丸を15日目から8日逆算して、秦の張唐将軍に目がけて打ち込むことになります。

 

 
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キングダムの成恢の強さは?

またキングダムの成恢の強さはどの程度なのでしょうか?

公式ガイドブックにはこう書かれています。

  • 武力・・・50
  • 指揮力・・86
  • 知力・・・88
  • 経験値・・C
  • その他・・本気を出すと超絶美形

 

この武力50って結構弱いんですよね。

楚の宰相・李園(りえん)とか春申君でも、武力は70ありました。

また秦の李斯(りし)は文官ですが、武力は55。

一騎討ちだったら、李斯でも勝てるのが成恢ということになります。

毒を使えない展開にしてしまえば、成恢を討つのはそれほど難しくないことになりますね。

 

成恢の部下は?

キングダム 成恢 部下

(引用:キングダム)

また成恢の部下としては、この奈棍(なこん)が登場しています。

この奈棍は、韓軍の本陣の守備隊長で、本陣を守る精鋭部隊をまとめ上げている人物です。

この奈棍は秦の張唐隊を一時的に撃退したかに思えましたが、そこから張唐隊の反撃を受けて弾き飛ばされる場面が描かれています。

ただこの奈棍がその時に死亡したのかは不明です。

 

キングダム成恢の合従軍戦での活躍は?

そんな武力の弱い成恢ですが、合従軍戦の函谷関の戦いでの武功と言えば、秦の張唐(ちょうとう)将軍を毒で殺害することに成功しています。

ただ張唐を殺害するのに遅効性の轟丹丸(ごうたんがん)を使ったため、張唐は毒が回った状態に関わらず成恢を討ち取ることに成功しています。

さてその成恢の最後はどのようなものだったのでしょうか?

 

 
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キングダム成恢の最後の死亡がヤバい!

ではキングダムの成恢の最後の死亡ですが、これは桓騎と張唐の急襲によるものでした。

まず桓騎と張唐は魏の呉鳳明の巨大な井闌車(せいらんしゃ)を活用して、函谷関から地上に降りることに成功。

またこの時は、合従軍が函谷関に総攻撃を仕掛けていたタイミングでした。

そのため、今まさに決戦の場となっていた函谷関の上に、将も兵士も意識が集中していました。

そのスキをついて、桓騎と張唐は敵の大軍の中を大胆に、そして堂々と渡って進んでいくことになります。

桓騎の戦術の全てが理にかなっているとはいえ、張唐は桓騎の度胸と戦術眼に感心していました。

 

ただ毒が回ってきた張唐は、時折血を吐くなど苦しそうな場面を見せます。

それでも何とか張唐たちは、成恢のいる本陣に到達することに成功します。

武将としての死を常に覚悟してきたであろう張唐でしたが、毒で殺されることにはどうしても納得がいかなかった様子でした。

そこで張唐が見せた怒りはすさまじいものでした。

キングダム 成恢 最後 張唐

(引用:キングダム)

 

しかし成恢は毒が人を殺す効率化を求めた立派な武器であるとして、張唐の考えを否定します。

そしてここで、張唐には毒矢が見舞われることになりました。

そこで成恢はその場から立ち去ろうとするものの、毒矢を受けた張唐が最後の力を振り絞って見事な突破力を発揮してきます。

なぜ毒矢で死なないのか?と不思議に思う成恢でしたが、張唐は成恢が人の力や武将の力を分かっておらぬとして成恢を追い詰めていきます。

そして成恢は、このヤバい最後を迎えることになります。

キングダム 成恢 最後

(引用:キングダム)

 

この成恢の最後は何巻何話だったかというと、単行本28巻・第303話「武将の矜持(きょうじ)」の回のことでした。

ちなみにこの後の韓軍は、そのまま合従軍の一軍として函谷関を攻め続けています。

成恢の代わりの韓の将軍は登場してきませんでしたが、成恢の毒部隊の怖さがなくなった韓軍は、秦にとってそれほど脅威ではなくなったことは確かでしょう。

 

キングダム成恢は史実に実在? まとめ

ここまでキングダムの成恢(せいかい)が史実に実在した武将なのか?という点や、その最後の死亡や強さなどをご紹介してきました。

成恢という人物は中国の史実に実在していて、戦国策にその名前が残されています。

ただ史実の成恢が生きていたのは、キングダムの時代より100年ほど前のことでした。

また史実の成恢は魏の人でもあり、武将としての武功は記録に残されていないものの、他国との交渉が記録に残されています。

つまりキングダムの成恢は、実在の人物の名前だけを借りたほぼオリジナルキャラクターということになります。

また毒の使い手としてはキングダムでは最強の部類ですが、武力は50とかなり弱い数値になっています。

そんな毒の使い手・成恢は、秦の張唐に討たれる展開になりましたが、キングダムのストーリー上で張唐の優れた精神力を際立たせる役割を果たしたキャラクターになったと言えます。

これからも韓の優れた人物がキングダムで登場してくることを期待していますが、それではここでキングダムの成恢の史実や最後の死亡に関するご紹介を終わります。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。

 
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