キングダムの王翦(おうせん)は優れた軍略家として描かれています。
そしてキングダムの中では”絶対に勝つ戦(いくさ)”以外 興味がない武将としても描かれていますね。
また王翦は鄴攻めでも優れた軍略を披露したように、優れた知略の持ち主でもあります。
一方でキングダムには李牧という「趙の三大天」の優れた軍略家がいますが、王翦はこの李牧を負かした実績を誇ります。
それではキングダムの王翦は、知略最強と言えるのでしょうか?
この点を史実や鄴攻めから考察していきます。
それでは最後までお楽しみください!
Contents
史実での王翦(おうせん)と李牧の勝負は?
それでは王翦と李牧はどちらが強いのか?
この点を検証・考察していきますが、まずこの2人の勝負を史実から見ていきます。
史実での王翦は、李牧と司馬尚と戦って趙を攻略することに成功しています。
そう考えると王翦は李牧より強いと言えるのでしょうか?
そこには一つ疑問があって純粋な戦いで王翦は李牧を討ち破ったわけではありません。
王翦は趙の臣下にワイロを渡して「李牧が敵に内通している」とニセ情報を流させたことで、李牧は処刑されることになります。
(王翦が李牧を陥(おとしい)れたことは戦国策に記述があります。)
そして総大将が別の将軍に代わってから、王翦は趙を攻撃。
そこで秦は趙を滅ぼすことに成功しているんですね。
こうした駆け引きも戦いのうちと考えれば、王翦は李牧より強いと言えるのかもしれません。
一方で国力を比較すれば、この時期の秦は強大で趙は弱小だったとされています。
それだけの国力の差がありながら、なおかつ秦の王翦の攻撃を寄せ付けなかった点を見ると、趙の李牧は強しという印象は受けます。
とはいえこの時の趙には司馬尚という名将もいて、趙は李牧と司馬尚の2人の力で王翦の攻撃を防ぎ切ったと言えます。
そうなると史実のこの時の戦いだけで、王翦と李牧の強さを比較することは難しいと言えるのかもしれません。
キングダムの王翦とは?
ちなみにキングダムの王翦は、かつての六将・王騎将軍と同じく王一族の人物として登場してきます。
ただ王騎と違って王翦は王一族の宗家の当主として、キングダムでは描かれています。
また王翦は以下の特徴を持っています。
- 軍略の才はかつての六将に匹敵する
- 自分が王様になりたいという野望があると言われている
- 絶対に勝てる戦以外は興味がない
- 息子の王賁とは仲が悪い
- 性格は冷静沈着で言葉も少ない
- 常に仮面をかぶっていて素顔はまだ出ていない
- アニメでの声優は堀内賢雄(ほりうちけんゆう)さん
そういえば仮面を取った王翦の素顔は、どんな顔なのでしょうか?
息子の王賁もイケメンですので、仮面を取った王翦もイケメンだとは思いますが、素顔が出る場面を待ちたいところですね。
王翦と李牧の武力や知力などの能力値は?
ちなみに公式ガイドブックの中では、王翦と李牧の武力や知力などの能力値は以下の通りです。
要素 | 王翦 | 李牧 |
武力 | 93 | 91 |
指揮力 | 94 | 99 |
知力 | 97 | 100 |
経験値 | A | S |
李牧は知力が100になっていますね。
王翦は知力97ですが、キングダムの中の鄴攻めの戦いでは王翦が李牧を上回った場面もありました。
また李牧は信との一騎討ちでも信の刃を跳ね返しましたが、そんな李牧の武力は91を誇ります。
一方の王翦も武力は93と高い数値となっています。
まだ王翦は強い武将との一騎討ちを見せていませんが、もしも李牧と一騎討ちをしたら王翦が勝つのかもしれませんね。
ただ公式ガイドブックは今後も続編が出てくると思われますが、その際には数値が変更することもあります。
今後の王翦の数値の変化も見ものですね。
鄴攻め戦術徹底比較!王翦が李牧より優れていた場面は?
王翦は鄴攻めで兵糧攻め合戦に持ち込んだ!
ではここからはキングダムの中で、王翦と李牧の強さを比較していきましょう。
この2人の直接対決は、秦が趙の鄴(ぎょう)を攻めた時のことでした。
この秦の鄴攻めは無理筋と思える仕掛けではありましたが、戦いが進むにつれて以下のことが分かります。
- 趙への入り口となる列尾という城は攻め落とされやすい城であること
- 目的の鄴という城が難攻不落の完璧な城であること
この2つが分かっていながら王翦は列尾を捨てて、鄴に向けて前進。
そして驚くべきことに、ここから王翦は鄴に対して兵糧攻め合戦を仕掛けていきます。
王翦はすぐに鄴を攻めようとせずに、周辺の城を攻めながら各城の民衆を鄴に向かって逃がしていきます。
これを9つの城で繰り返していき、鄴の城内を民衆であふれさせます。
そして鄴の兵糧を減らすという作戦に出た王翦でしたが、このような作戦は「私も聞いたことがありません」と言ったのは他ならぬ李牧でした。
さらにこの後で、王翦は鄴の城内の兵糧を焼くことにも成功。
そのために李牧は鄴を離れた朱海平原での戦いで、守りを固める戦いから攻撃的な布陣を余儀なくされていきます。
こうして李牧の想定を超える戦いを仕掛ける王翦の姿がそこにありました。
王翦は李牧の戦術を見破った!
また王翦と李牧との直接対決の場面では、王翦は李牧の戦術を見抜く場面がありました。
ではこの場面を振り返っていきますが、李牧は知略型の武将であるものの、本能型の麃公(ひょうこう)将軍との戦いから、本能型武将の戦いの仕組みを解き明かしていました。
そして李牧はその本能型武将の戦い方を、自らの兵団に叩き込んでいました。
それは「起こり」を察知して返し技を繰り出すことでした。
「起こり」というのは動きの予兆のことで、キングダムの中では例として「人がものをつかむ時」のことが挙げられていました。
人はものをつかむ時、わずかに先に肩が動いたり、腰に先に力が発していたりします。
その肩の動きや腰に発した力が「起こり」で、その「起こり」は軍にもあるとされています。
ただ軍の「起こり」は理屈では分からないものとされていて、この軍の「起こり」を感覚的に捉えて戦っているのは本能型の武将とされています。
王翦はその軍の「起こり」を分析したのでしょうか。
王翦は本能型の武将は、敵兵の表情や集団の重心などから軍の「起こり」を読み取ると言っています。
「起こり」はあくまで敵の動きの予兆ですが、この予兆から敵の動きを先に読んで、自軍は敵の動きを封じ、さらに敵に対して返しの技を出す。
それが本能型の武将の戦い方なのですが、その戦い方を実践していたのが李牧軍でした。
元々は知略型の李牧でしたが、本能型の戦いを取り入れて自分の兵団に叩き込んでいました。
このことだけでも李牧の優れた軍略家という面が分かりますが、王翦はこのカラクリをすぐに見抜いて互角の戦いに持ち込むことに成功します。
ここは李牧軍の戦術をすぐに見破った王翦の戦術眼が光った場面でした。
王翦は李牧軍の挟撃に成功した!
また鄴攻めの朱海平原の戦いでは、秦右翼と趙左翼の戦いも王翦に軍配が上がりました。
この戦いに関して王翦は”程なくして右翼が抜けてくる…”と考えていたのに対して、李牧は”秦右翼を頼みとしてもムダですよ…”と考えていました。
しかし結果的に秦右翼が抜けて中央軍同士の戦いに参戦したことによって、秦軍は李牧中央軍を挟撃することに成功しました。
ここは読みの正確さでも、李牧よりも王翦に軍配が上がった場面でしたね。
王翦は鄴への兵糧運搬に成功した!
また鄴を落とすことに成功した王翦でしたが、そこから鄴の城内は食糧問題に苦しむことになります。
陸地は列尾(れつび)という城が秦から趙への入り口でしたが、この列尾は趙軍に取り返されており秦はここから兵糧を運ぶことはできませんでした。
そこで秦は水路から兵糧の運搬を試みるものの、ここも李牧に読まれていて趙の水軍に阻まれてしまいます。
ただ鄴を攻め落としても食糧問題に陥ることは王翦も昌平君もあらかじめ想定していたことでした。
そのため王翦は予測される食糧問題の解決に向けて、あらかじめ鄴攻めの前から総司令である昌平君に頼みごとをしていました。
それは秦の反対側の斉から水路を通じて兵糧を運ぶというものでした。
この点は李牧も見落としいて、王翦が李牧の裏を見事にかいた場面でもありました。
鄴攻め戦術徹底比較!李牧が王翦より優れていた場面は?
李牧は王翦・第二将の麻鉱を討ち取る!
では逆に李牧が王翦を上回った場面を見ていくことにしましょう。
まずは王翦軍の第二将・麻鉱(まこう)を李牧が自ら討ち取った場面が上の画像です。
李牧は自ら刺客のごとき別動隊を率いることをこれまでも実践してきました。
またこの別動隊を率いた場面は朱海平原1日目の戦いで、趙の右翼と秦の左翼の戦いがクローズアップされました。
ここで王翦は左翼の蒙恬軍をあえて少ない兵力で布陣。
「仕掛けてこい」とばかりの布陣に、李牧は正面から戦いを挑みました。
そこに秦の中央軍から麻鉱軍が波状攻撃を仕掛けていき、この戦いは秦側に有利に進むことになります。
ここで李牧は必殺の別動隊を発動。
李牧自ら秦将・麻鉱を自ら斬るという武功を上げます。
そして戦の流れは潮目が変わったように趙の優勢となってしまいましたが、ここから蒙恬の奮起もあって予想以上に秦は兵力を残すことに成功します。
李牧は亜光の防陣の謎を解く!
また李牧は、王翦の第一将・亜光(あこう)の防陣を破ることに成功しました。
この亜光には王翦が守りの戦術(防陣)を授けていて、王翦が授けた防陣は実際に趙の三人の将から同時攻撃を受けてもビクともしないほどでした。
王翦の防陣をそのまま使える亜光が優れているのですが、数日の戦いで李牧はこの亜光軍の弱点を見抜いていました。
それは亜光の防陣は「堅い殻に徹する隊」と「殻を自在につなぎ合わせる関節の隊」の二つの隊があること。
そして狙うのは関節の隊のみであること。
これらを見抜いた李牧は趙将・馬南慈(ばなんじ)にこの策を授けます。
この策を元に、見事に亜光の防陣を突破した馬南慈。
そこから別の戦術を繰り出そうとする亜光。
しかしここに尭雲(ぎょううん)が攻め入ってきたことで、亜光は防陣を突破されることになってしまい、亜光自ら馬南慈と尭雲の2人からの攻撃を受けることになってしまいます。
亜光は一命をとりとめたものの、李牧の戦術眼によって王翦の防陣が破られた場面でした。
李牧は王翦本陣を挟撃した!
また李牧は趙の中央軍が秦から挟撃を受けることになった直後、王翦本陣を挟撃することに成功しました。
趙中央軍を挟撃にすることに成功した秦は、勢いに乗って李牧中央軍を攻めようとしていました。
そんな挟撃を受けている趙軍から、傅抵(ふてい)が数百騎を率いて中央突破していきます。
そのことに気付いた秦中央軍の田里弥(でんりみ)と倉央(そうおう)でしたが、これが趙中央軍への攻撃を弱めるための李牧の防御術と判断。
田里弥と倉央はそのまま趙中央軍への攻撃を続けます。
一方で、王翦は数百騎からなる趙の攻撃を見て、李牧は無意味なことをしないと考えます。
すると王翦本陣の右側から、突如趙軍が現れます。
現れたのは馬南慈(ばなんじ)で、馬南慈は王翦の予測を上回るほどの武を見せつけます。
最後には王賁や蒙恬が、王翦本陣に駆け付けたことで王翦は難を逃れることに成功しますが、ここは李牧の戦術の鋭さが見えた場面と言えます。
王翦が語った鄴攻めの勝因は?
秦が勝った要因は手駒の差!
では鄴攻めを振り返って、王翦と李牧はどちらが強いと言えるのでしょうか?
ちなみに王翦はキングダムの中で、李牧と王翦の軍略はほぼ互角であったと判断していました。
むしろ先に麻鉱(李牧に斬られる)と亜光(馬南慈と尭雲から攻められ重傷)が退場した戦局からは、鋭さは李牧の方が一枚上手だったと王翦は言っています。
それでは秦が勝った要因は何か?
王翦は手駒の差だと断定します。
蒙恬、王賁、信の3人の奮闘ぶりが、李牧の描いた戦いの絵を狂わせたこと。
ここに王翦は注目しています。
確かに蒙恬は、秦左翼の戦いで麻鉱が倒れてからは、戦いの流れが趙に傾いたのを食い止めた功績がありました。
王賁も尭雲という趙の優れた武将を倒しましたし、信も岳嬰(がくえい)・趙峩龍(ちょうがりゅう)・龐煖(ほうけん)という3人の将を討ち取っています。
特に王賁、信は秦右翼の将軍・亜光が倒れてから援軍が来ない中で、粘り強い戦いを繰り広げた功績、そして趙左翼を破って趙中央軍の挟撃につなげた成果もあります。
また王翦本陣が挟撃を受けてピンチになった時、王翦本陣を救いにきたのは王賁と蒙恬でした。
若き3人の将の台頭。
これが秦の勝因だったと王翦は判断しています。
趙の敗因は趙王や王都・邯鄲にあり?
また王翦は李牧の敗因として、趙の王都・邯鄲(かんたん)が軍を動かさなかったことも挙げています。
李牧も負ける要因を抱えて戦っていたことになりますので、王翦の言葉を借りれば、この段階ではまだ王翦と李牧の勝負はついていないことになります。
確かに国全体のことまで考えれば、国同士の戦いでも将はあくまで手駒であって、本来は秦王と趙王の2人の勝負だった言えます。
その意味ではキングダムの中では光ある王として描かれている政と、暗愚な王として描かれた趙王・悼襄王(とうじょうおう)は、その素養(そよう)からすでに勝負は決していたのかもしれません。
もしも優れた王が趙にいたら、絶対に勝てる戦い以外は興味のない王翦ですので、そもそも王翦は鄴攻めを進めなかった可能性も高いですね。
ただ国全体を含めて勝てると判断して鄴攻めを実行に移して、その上で実際に勝利を収めた王翦の手腕が色あせることはないと私は思います。
またもしも対等な立場で戦っていたら、王翦と李牧の勝負はどうなっていたのか?
そんなことも考えますが、果たしてこれから王翦と李牧はキングダムの中でどのような戦いを繰り広げていくのでしょうか?
キングダム王翦(おうせん)は知略最強?李牧より強い? まとめ
キングダムの王翦(おうせん)は、自分が王になりたい野心があると言われています。そのため戦場で他の国の武将を誘うこともしばしば。李牧にも誘いの言葉をかけていましたからね。優秀な人材を求める気持ちは李牧にもあったと思いますが、戦いの中で誘うのも大胆な気が。#キングダム pic.twitter.com/sfPegEygEx
— comic-search (@search_comic) December 15, 2019
ここまでキングダムの王翦(おうせん)と李牧の強さの比較について考察してきました。
王翦は以下の点で李牧を上回っていました。
- 鄴攻めを兵糧攻め合戦に持ち込んで、鄴の兵糧焼き討ちに成功したこと
- 李牧の戦術を見抜いたこと
- 趙中央軍を挟撃にしたこと
- 斉から食糧を運んだこと
一方で李牧は以下の点で王翦を上回っていました。
- 必殺の別動隊で麻鉱を討ち取ったこと
- 亜光の防陣の弱点を見抜いたこと
- 王翦本陣の挟撃に成功したこと
また王翦自身は王翦と李牧の軍略は互角と見ていて、信・蒙恬・王賁の3人の活躍が勝負を決めた要因だったと判断しています。
ただ王翦は「負ける戦は絶対に始めない」ことでも知られていますが、李牧や趙王のことまで考慮した上で鄴攻めの戦略を描き、実際に鄴を落として勝利を収めた点は色あせることはないと私は思います。
さてここからの王翦の活躍も楽しみですが、それでは以上でキングダムの王翦と李牧の強さの比較に関する考察を終わります。
それでは、また!!