キングダム龐煖(ほうけん)は実在!史実との違いを考察

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キングダムに出てくる龐煖(ほうけん)。

漫画では武神という立ち位置で、自らを武神と称するように武に秀でた武将として描かれています。

キングダムの公式ガイドブックでも武力が100になっていますし、原先生もガイドブックの中で「龐煖をトップに据(す)えて・・・」と語っていました。

またこの龐煖は実在した人物として史実に記録が残っている武将ですが、その記録からは武だけではない姿がそこにありました。

それでは史実の龐煖はどのような人物だったのでしょうか?

ここでは龐煖の実在の姿に迫ってみたいと思います。

それでは最後までお楽しみください!

 

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キングダム龐煖(ほうけん)は実在した?!

龐煖は史実では知略がある人?!

最初にご紹介したように、この龐煖(ほうけん)はその名が史実に刻まれています。

実際に存在していた人物なんですね、この龐煖は。

ただ史実での実像は武力だけに優れた武将というだけではなく、本を執筆したように思想や弁論にも優れた人物として知られています。

龐煖は趙の王に招かれて孫氏の兵法にある以下の言葉について質問されました。

戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり

これに対して龐煖は、武力を用いるのではなく別の方法で敵国を弱体化させる方法を述べることになります。

良い策としては「計謀」を用いること。

これは敵国の君主を惑わしてしまい、世間の習慣をみだらなものにしてしまうことを指しています。

こうすることで敵国の君主は人望を失い、無駄なことに力を注ぎこんでしまうように仕向けて、敵国をそもそも弱体化させることを狙っています。

次に龐煖は「人事」による敵国の弱体化を述べていきます。

敵の王の側近にワイロを渡して、臣下を王から離反(りはん=王に背かせること)させることを狙っています。

その後にヘタな策として「戦克」(戦って勝つこと)を龐煖は語ります。

もとから弱くなっている国に軍事力で攻め込むこと。

これがヘタな策として語られているんですね。

このように龐煖は、知略に富んだ人物として史実には描かれています。

ですので圧倒的な武の持ち主として描かれているキングダムとは、実際には違った一面があったことになりますね。

このようにキングダムでは、キャラクターが史実とは異なることが多くあります。

ほうけんが求める答えとは?
 

史実では龐煖は武力は高かった?!

では史実での龐煖の武力はどうだったのでしょうか?

はじめは将軍としては無名だった龐煖でしたが、燕(えん)との戦いで劇辛を破ったことで将軍としての名声が高まることになります。

そして史実でも合従軍の総大将を務めていて、秦の王翦(おうせん)は龐煖との直接対決を避けていたと言われています。

このように戦場を戦う将軍としても有能であったことは確かだったようですが、ただ一騎打ちで他の将軍と戦って倒すほどの武力の持ち主であったのか?

この点は記録がないため分からない点ではあります。

もしかするとキングダムのような武の持ち主だったかもしれない―――

記録がなく分からないことだけに、そう想像するのも楽しいかもしれませんね。

 

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龐煖の史実での活躍は?!

紀元前242年に燕との戦いで劇辛を倒す!

また龐煖の史実での活躍としては、燕との戦いがあげられます。

紀元前242年。

史実では龐煖は燕(えん)に攻めたことになっています。

この時に対戦したのは、燕の将軍・劇辛(げきしん)でした。

これはキングダムでも同じでしたね。

この龐煖と劇辛が戦う場面は、キングダムでは単行本24巻の253話「下らぬ戦」にのっています。

またこの時には史実では劇辛は龐煖を甘く見ていたと言われていて、この点もキングダムでは同じでした。

ただ「甘く見ていた」という点で、キングダムと史実ではやや違いがあるんですね。

史実では龐煖はこの劇辛と、古くからの知り合いとして記録が残っています。

また劇辛は龐煖のことをとても親しみやすい人だと評(ひょう)していたと言われていて、軍を率いた将軍としては無名であったために、劇辛に甘く見られたようですね。

一方のキングダムでは、劇辛の生まれ故郷の近くには「武神」と名乗る求道者(ぐどうしゃ)が近くの山にひそんでいました。

そしてこの求道者はたまに村に降りてきたものの、こうした求道者を劇辛は何人か斬っていたんですね。

この話は単行本では同じく24巻の251話「燕の将軍」に描かれています。

劇辛はそうした求道者と龐煖を同じ種類の人間だと考えていたのですが、実際に戦ってみると龐煖の力はこれまでの求道者とは違うことに気づかされます。

しかし時すでに遅し―――

一騎打ちを挑んだ時点で敗北は決していたようなものでした。

劇辛は龐煖の矛を受け止めたまでは良いものの、龐煖は片腕で矛を押しこんでいき、最後は劇辛を切り伏せてしまいます。

史実では一騎打ちがあったかどうか、それは定かではないのですが、劇辛はこの時に戦死したことは確かなようです。

 

紀元前241年に合従軍を率いて蕞を攻める!

また紀元前241年には、合従軍を率いて秦の蕞(さい)を攻めたことが史実にも残されています。

この点はキングダムでも同じでしたね。

ただキングダムでは、合従軍の実質的な総大将は李牧ではありました。

龐煖は軍を指揮する、という立ち位置ではなく、ただ戦場に答えを求める求道者―――

そんな位置づけで描かれています。

 

紀元前236年に燕を攻める!

またその後の紀元前236年には再び龐煖が燕(えん)を攻めたという記録が残っています。

一定の成果をここでもあげますが、しかし秦から王翦(おうせn)、桓齮(かんき)、楊端和(ようたんわ)が趙を攻めて、鄴(ぎょう)や閼与(あつよ)を落とされることになります。

龐煖は秦の攻撃を知って、秦軍に対するために軍を移動させますが、すでに趙の一部地域は攻め落とされた後だったと言われています。

ただキングダムでは秦の鄴攻めに、龐煖が参加している姿が描かれています。

そしてこの年には、趙の王は世代交代が行われたという記録があり、次の王の代では龐煖は用いられなかったようで、その後の龐煖の記録は無いと伝えられています。

 

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キングダム龐煖(ほうけん)実在 まとめ

ここまでキングダムの龐煖(ほうけん)が実在した事実と、史実での実像について迫ってみましたがいかがでしたか?

キングダムとは違って、龐煖は知略も兼ね備えた人物として史実では描かれていました。

そして将として軍を率いる才能はあったものの、キングダムのように武に秀(ひい)でた将であったのか?

この点は記録が残っていないため不明です。

またキングダムでは王翦(おうせん)たちが鄴(ぎょう)を攻めた時には、龐煖は燕を攻めていて秦の鄴攻めには間に合わなかったと伝えられています。

そして王の世代交代があってから、龐煖は記録に残らなくなってしまいましたが、どのような死に方であったのか?

その点は明らかにされていませんので、それぞれの人たちの想像に任されることになります。

歴史は全てが明らかになっていない方が、想像がかき立てられて面白いかもしれませんね。

以上!キングダムの龐煖が実在した事実をお届けしました!

それではまた!

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