キングダムの王翦(おうせん)は秦では以前の六将級の実力があると評価されています。
実際に李牧との戦いでも、李牧の想像を超える戦い(兵糧攻め合戦に持ち込むなど)を披露し、李牧の戦術を見抜くなど戦い巧者ぶりを発揮しています。
ただキングダムでは王翦は自分が王様になりたいという黒野望を持っているとも言われていて、戦いのさなかでも敵の武将に投降を勧める場面が多く描かれています。
それではキングダムの王翦は史実ではどのような将軍だったのでしょうか?
実は王翦は戦巧者(いくさこうしゃ)な一面を見せながらも、世渡り上手な一面も史実では見せていました。
ここではキングダム王翦の史実での実像に迫りたいと思います。
Contents
キングダム王翦(おうせん)の史実での活躍は?
キングダム王翦は秦最強の武将?
王翦(おうせん)は武力もそこそこで、公式ガイドブックでは武力93もあるんだな。李牧も武力は高めだし、知略型の武将で武力も高い人はキングダムには多い。史実でも王翦は秦の中華統一に貢献が多かったけど、キングダムで裏切ったりするのかな?#キングダム pic.twitter.com/ToFmwlUHfV
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では王翦の史実での実像に迫っていきますが、この王翦は秦軍の中で最大の功績を上げた人物として知られています。
趙の王様を捕らえて、趙の領土を秦のものとしたのも王翦なら、楚の平定に最大の武功をあげたのも王翦でした。
王翦の子供である王賁(おうほん)も楚との戦いで武功を上げ、また李信と共に燕や斉の地を平定するなどの活躍を上げていきます。
秦の中華統一にあたっては、王翦・王賁親子は蒙恬(もうてん)一族と並んで、臣下の中でも軍の功績が最も高い武将として名声がのちの世まで伝えられたと言われています。
それでは王翦は史実では、どのような活躍を見せたのでしょうか?
王翦の史実での活躍は?
鄴攻めに成功!
中央軍同士の戦いでここが一番面白かったなぁ。複雑な戦術を使いこなす李牧軍に対して、早くも王翦が1万の兵を率いて進軍を開始。陣形も整えず単純な戦い方を始めた王翦軍は、しかし李牧軍と互角の戦いを演じることになります。王翦の戦術眼の鋭さが光った戦いでしたね。#キングダム pic.twitter.com/mHiBPQm8Aw
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それでは王翦の史実での活躍を見ていきたいと思いますが、王翦の登場は始皇11年(紀元前236年)にさかのぼります。
始皇11年と言えば、キングダムでは「灼熱(しゃくねつ)の始皇11年」と表現されていましたが、秦の鄴(ぎょう)攻めがあったあの年のことです。
この年に王翦は桓騎(かんき)・楊端和(ようたんわ)と共に趙を攻撃。
9つの城を攻め取って、閼与(あつよ)の地で趙軍を撃破することになります。
そしてその後に軍を一つにまとめて精鋭ぞろいに編成しなおした上で、鄴を攻め落とすことに成功します。
この記事を書いている段階では、鄴攻めは朱海平原の戦いの最中ですが、もしもキングダムが史実通りの展開を見せるとすれば、秦の鄴攻めが成功することになりますね。
趙を攻め落として趙王を捕らえる!
またその後には始皇18年から19年にかけて、王翦は趙を攻め落として趙の王様を捕まえることに成功します。
この時にはまず始皇18年に、王翦は李牧と司馬昭という二人の武将と相(あい)まみえることになりました。
ただ王翦はこの2人を破ったわけではありません。
趙の2人の将軍が難敵だと考えた秦側が、趙側の内部離間(りかん)策を取ることになります。
その経緯はこうです。
趙の王には可愛がっていた郭開(かくかい)という臣下がいましたが、この郭開に秦は多額のお金を渡すですね。
簡単にいえばワイロです。
そして李牧と司馬昭の2人は敵に通じている疑いあり―――
こう郭開から趙王に吹き込ませたのです。
可愛がっている臣下からの言葉でしたので、趙王もすっかりこの根拠のないデタラメを信じてしまうんですね。
そして李牧と司馬昭の2人の将軍を交代させようとしましたが、李牧はこれを拒否したので趙王はひそかに手を回して李牧は逮捕した上で首切りの刑に。
そして司馬昭は将軍をやめさせられることになりました。
その3か月後―――
年は変わり、始皇19年の紀元前228年。
王翦は一気に攻撃を仕掛けて趙軍を撃破。
交代した将軍を破って、趙の首都・邯鄲(かんたん)を攻め落とすことになります。
そして趙王を降伏させて、趙の領土をことごとく奪うことに成功。
ここに王翦は趙を滅ぼしたのでした。
燕と楚の攻略に成功!
キングダムも地名と場所がハッキリしないことがありますね。地図が所々で描かれていたら良いんだけどなぁ。#キングダム pic.twitter.com/2OzHRa76kQ
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また王翦は、始皇20年(紀元前227年)に中華東方の燕(えん)という国の攻略を始めます。
この背景には燕の国王が始皇帝暗殺を試みて失敗したという経緯があり、その結果として秦の始皇帝は王翦に燕攻略を命令することになります。
その翌年、王翦は燕の首都である薊(けい)を占領することに成功。
始皇23年(紀元前244年)には、王翦は大国である楚を大軍で攻撃して、蒙武と数年をかけて楚を平定することになります。
この時、あの昌平君が敵に回っていたというのが歴史に刻まれていて、キングダムでも同様の展開になることが予想されますね。
ここは少しかけ足で見ていきましたが、このように秦の始皇帝に仕えた武将として、王翦は優れた功績を上げています。
はじめにも書きましたが王翦の子供の王賁(おうほん)も活躍していて、親子二代にわたって名声が後世まで伝えられたと言われています。
キングダム王翦(おうせん)の処世術とは?
年老いたと判断された王翦?!
王翦は絶対に勝つ戦以外に興味を持たない武将としても知られています。そのことは桓騎も知っている王翦の気質であり性格ですね。そうなるとやはり鄴攻めは、勝てると見込んで始めた戦いということになるので、やっぱり鄴攻めでは秦が勝つのかな?#キングダム pic.twitter.com/D0DseeHSbh
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また王翦(おうせん)は、始皇帝の疑い深い性格を見抜いていたとも伝えられています。
秦が楚を攻撃する時のこと。
まず始皇帝こと政は、楚を平定するにあたってどれだけの兵力を必要とするか?
それを李信に質問したところ、「20万で充分」という返答を返します。
そして政が改めて王翦に尋ねたところ、王翦は楚が強国であることから「どうしても兵60万が必要」だと答えます。
この結果、政は王翦は年老いてしまい気力が衰えたと考えて、李信と蒙恬(もうてん)に20万の兵を授(さず)けて楚へ出陣させます。
李信と蒙恬は、はじめは戦いで勝利をするものの楚の反撃にあってしまい、指揮官クラスを7名も失うほどの敗北を喫することになります。
そして李信の大敗北という結果を受けた政は、王翦に楚の攻略を依頼。
当初に伝えたように60万の兵を与えられることを条件に、王翦は楚の攻略の将軍に返り咲くことになります。
財産を蓄えることに熱中したフリをする王翦?!
そして兵60万を率いることになった王翦でしたが、この60万という大軍は秦の全軍に相当すると言われています。
もしこれだけの兵力で王翦が政に対して反旗を翻(ひるがえ)していたら、政はひとたまりもなかったことでしょう。
そこで王翦は出陣の日にあたって、始皇帝こと政に対して、戦いに勝利した場合に受け取れる褒美(ほうび)のことを口にしていました。
その後、あの函谷関(かんこくかん)に到着してからも、政に使者を送っては、土地をもらえるようにお願いをしたと言われています。
さすがにこうした王翦の姿を見て忠告する人がいましたが、王翦は始皇帝の疑い深い性格について言及します。
わからぬか。王は冷酷で、人を信頼できない方だ。わしに秦の全軍をゆだねたいま、心安らかであるはずがない。こうして財産のことばかり気にかけるように見せかけなければ、逆心(ぎゃくしん=王に逆らう心)はないかと疑われてしまうだろう。
(出典 史記Ⅲ 独裁の虚実)
そして実際に反乱を起こすことなく、楚の平定に成功した王翦は、始皇帝に疑われることなく天寿(てんじゅう)を全(まっと)うしたと伝えられています。
キングダム王翦(おうせん)は史実では秦最強の武将 まとめ
起こり。武を極めると察知できて、相手の動きが読めることか。相手の動きを読めれば敵の動きは通じず、さらに返しの技が出せるという。その起こりのことを王翦が理解し始めたのかな?面白くなりそう。#キングダム #606話 pic.twitter.com/aBHufkTwrS
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ここまでキングダム王翦(おうせん)の史実での実像に迫りましたが、いかがでしたか?
子供の王賁(おうほん)ともども王翦は大活躍を見せていて、趙を滅ぼすことを筆頭に、大国・楚の平定にも大きな役割を果たしていました。
このように王翦は秦の中では抜群の功績を上げた武将として、歴史にその名が刻まれています。
また王翦で処世術も身に着けていて、疑い深い始皇帝から目をつけられることなく生涯を全うしたことでも知られていましたね。
この点は秦の六将だった白起(はくき)とは対照的な生き方だったと言えます。
そして王翦は李牧と戦い、この後には昌平君と戦うことにもなるかもしれず、そうなるとキングダムの知将二人を相手にすることになり、この点も興味を引く展開になりますね。
それではキングダムでの王翦の今後も気になるところですが、以上で王翦の史実での実像に関する考察を終わります。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!